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翻訳としてのデータ分析#10 サイクル図がないPDCA

原文抜粋 : 翻訳のように見えない翻訳

「西洋は進んでいる」という価値観は訳し方にもあらわれていて、原文に対するリスペクトは欧米の翻訳者よりも日本の翻訳者の方が強いです。だから、英語の原文には忠実だけど日本語としては不自然というケースがどうしても多くなる。

欧米では「翻訳のように見えない」というのが翻訳の理想なんです。

『ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-』より

データ分析に置き換えて考える

自分が言いそうになったとき、余程自信がない限り、使わない言葉がある。

PDCAサイクル

だ。というか、今まで、サイクルしないPDCAサイクル図を何枚も書いてきた。日の目を見なかったパワポのSmartArtがいくつあるか。それを見せてしまった方々にお詫びしたい。最近はGoogleスライドだけど。

思い返すと、本当にPDCAサイクルが回ったとき、事前にあのサイクル図は書いてない気がする。あったのかもしれないが、おまけ程度でしかなかったはずだ。

それよりも「イケてるダッシュボード」に尽きる。樫田光さんは「愛されダッシュボード」と呼んだが、それがPDCAの実行可否を分けると思う。

信じるべき指標をモニタリングできるダッシュボード。それさえあれば、勝手にPDCAは回る。ダッシュボードの下に、しかるべき指揮系統や会議体が設置され、手を打っては、振り返り、また手が打たれていく。

本当にPDCAが回ったときに僕がしたのは、指標を決めることと要因分解だけだ。あとはダッシュボードを磨き上げた。それで、他のことはみんなが勝手に回していく。

数字があって、それを伸ばせばいいとわかっているならば、あとは現場でよしなにできるものだ。現場の力はすごい。だから分析者としては、とにかく、

・プロダクトの良し悪しや事業成否に直結する
・コントロール不可能ではない
・運用に耐えられる

指標を打ち立てれば良い。そして理解さえ得られればよい。サイクル図なんて不要で、指標でそそれなければ、PDCAは回らない。

(逆に指標のコントロール性を信じ過ぎてしまうケースにも注意が必要で、それについてはいつか書く)

その指標は、単純集計の結果かもしれないし、高度なアルゴリズムに基づく推定値かもしれない。僕はまだ単純集計レベルの指標でしかPDCAを導けたことはない。

でも、心理統計学出身者(サイコメトリシャンの端くれだった者)として、イケてる心理測定系のモノサシを打ち立てたい。

現状、世界一、PDCAが回されている指標というのは、Youtubeの再生数/チャンネル登録数や、Twitterのエンゲージメント総数なんじゃないかと思っている。

その指標の向上を目指すことが、世のため、人のため、自分のためになるようなモノサシ、それでいてつい熱中しちゃうようなモノサシをつくることが、僕の分析屋としての目標である。

サポートされた者たちから受け継いだものはさらに『先』に進めなくてはならない!!