見出し画像

バングラデシュの子供たちの目が輝く理由

みなさんは、勉強することが好きだろうか。しなくていいのなら、したくない!…面倒臭い!…と思われるだろうか。なんなら、勉強を好き嫌いで考えたことなどなく、「将来のためにしなければいけないこと」という認識かもしれない。

今回は、オードリーヘップバーンの言葉をヒントに「勉強」というものの本来の姿ついて考えてみたいと思う。


「フリルを取り去って、リボンを取り去って、
さらに不要なものを取り去れば、
肝心なものの輪郭がはっきりと見えてきます。」

山口路子.『オードリー・ヘップバーンの言葉』.大和書房,2016,24p

私は一時期、2歳の赤ちゃんから、中学生までに英語を教えるアルバイトをしていたことがあった。小学生のクラスにもなると、子供たちは「なんで勉強しなきゃいけないの?なんで英検なんて受けなきゃいけないの?面倒くさい〜」なんて言ってくる。

この時、私が思い出したのはバングラデシュで出会った子ども達の顔だ。私はバングラデシュにある児童養護施設にボランティアの一員として出向いたことがある。彼らの小学校にもお邪魔したが、そこで最も驚いたのは、学ぶ彼らの表情だった。英会話教室の子どもたちとは全く異なり、目は輝き、みんな元気に手をあげ、楽しくて仕方がないと言った様子だ。何がこんなにも違うのか。

日本で教えていた多くの子どもたち(の親?)が学ぶ(学ばせる?)目的は、テストや受験の合格、留学、より良い大学への入学、よい就職先を得ることなどだ。勉強の先に何かよい結果を期待して学ぶ。その結果が、何か楽しい、嬉しいものなのだ。しかし、バングラデシュで出会った子どもたちにとっては、勉強そのものが、学ぶこと自体が楽しくて嬉しいことなのだ。

私たちは、フリルやリボンに飾られた複雑な世界の中で生きている。オードリーが言うように、そういうものを全て取り去って、シンプルに物事をみると、そのものの本質が見えてくるのかもしれない。今まで知らなかったことを知るということは、本来嬉しいものだ。学ぶということは、自分の心にある畑を思考力で耕し、知識というタネを植え、豊かにすることだと思う。学ぶことは本来喜びであったはずなのに、受験や就職、テストというフリルでかざられ、リボンをつけるように評価されランキング付けされれば、そんな喜びも忘れてしまう。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?