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本歌取りの世界を覗く -杉本博司[本歌取り 東下り]@松涛美術館(-11/12)

 杉本博司の展覧会「本歌取り 東下り」が松涛美術館で開かれる(9/16-11/12)を知ったのは、丸亀市の猪熊弦一郎美術館でのことだ。

 杉本作品についての「先生」は、瀬戸内海の直島だ。

 そこに至るまでの現代アート関連の大先生は、六本木の森美術館。

 だから、杉本博司の「本歌取り」といえば、「ああ、あんな感じ」とまでは思い浮かぶ。

 しかし、その「本歌」の知識の部分がどのみちあやふやなので、今回も難しくて絶対モヤモヤするのだろうと知りつつも、これは絶対に行かなければならない、とも思っていて。

 ぐずぐずしながら、会期末ぎりぎりに鑑賞に向かった。


美術館そのものが1つの作品のような

 渋谷区立松涛美術館。設計者は白井晟一。


 館内も、まるでひとつの作品のように愉しめる。

本展の「本歌取り」とは

 展示作品すべてについて書くのはわたしの手に余るので、本稿では「さわり」を紹介する。

 まず、テーマである「本歌取り」を。

杉本博司(1948~)は、和歌の伝統技法「本歌取り」を日本文化の本質的営みと捉え自身の作品制作に援用し、2022年に姫路市立美術館でこのコンセプトのもとに「本歌取り」展として作品を集結させました。

本歌取りとは、本来、和歌の作成技法のひとつで、有名な古歌(本歌)の一部を意識的に自作に取り入れ、そのうえに新たな時代精神やオリジナリティを加味して歌を作る手法のことです。作者は本歌と向き合い、理解を深めたうえで、本歌取りの決まりごとの中で本歌と比肩する、あるいはそれを超える歌を作ることが求められます。西国の姫路で始まった杉本の本歌取り展は、今回、東国である東京の地で新たな展開を迎えることから、「本歌取り 東下り」と題されました。(後略)

杉本博司 本歌取り 東下り より抜粋

 この解説の(本来の意味の)「本歌取り」の説明において、「作者は本歌と向き合い、理解を深めたうえで、本歌取りの決まりごとの中で本歌と比肩する、あるいはそれを超える歌を作ることが求められます」のなかの「歌」、を、「古今東西のあらゆる過去作品」、と置き換えると→杉本作品になる、とわたしは解釈している。

 「本歌」(いわゆる、ネタ元)のほうも非常に情報量が多く、ひとつではない場合もあるし、「本歌取り」のほうもいろいろな仕掛けを施したりするので、一作一作を紐解くのに非常に大変でありつつ、いやじつはもっとシンプルに捉えていいのではないかととも思えてきて混乱したりもする。

 つまりは、そういうことに翻弄されるのが好きなので、つい鑑賞してしまうのだけど。


富士山図屏風

 まず、本展初公開の作品から。

 「本歌」は、こちら。ああ、赤富士、というところで、そうなんだ、という気づきがある。

本展を象徴する作品である《富士山図屏風》は、東国への旅中に、旅人が目にする雄大な富士山を描いた葛飾北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》を本歌とした新作で、本展で初公開となります。

同上

葛飾北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》で描かれた赤富士を本歌とし、本展のために制作された新作。北斎の赤富士 が描かれたと推測される、山梨県三ツ峠山からの富士山の姿をとらえています。

展覧会 プレスリリースより

 富士山のアングルは、赤富士と同じように見えながら、

 遠景の建物のシルエットから、風景が現代のものだと推測できる。

 解説が入ることで「なるほど」と納得できるのだが、もちろん、難しいことは置いておいて(あえて入れずに)、富士の屏風絵の美しさそのものを楽しむ選択肢もある。


狩野永徳筆 安土城図屏風 想像屏風風姫路城図

 こちらについても、解説が必要だ。

 解説を読むことで、焼失した安土城が屏風に浮かび上がってくる。


春日大社 藤棚図屏風


時間の間(はざま)

 このような「本歌」の取り方もある。

カリフォルニア・コンドル

 本展のポスターにも使用されている作品。

「本歌取り」の代表的作品としての展示ということだ。

本展は新作を中心に構成される一方、中国宋時代の画家である牧谿の水墨画技法を本歌取りとした《カリフォルニア・コンドル》など、杉本の本歌取りの代表的作品も併せて展示します。

杉本博司 本歌取り 東下り より

 杉本博司の写真家としての代表作として、アメリカ自然史博物館のジオラマ撮影からはじまった「ジオラマ」シリーズがある。

1974 年に初めてニューヨークに到着したとき、市内の多くの観光地を訪れましたが、その 1 つがアメリカ自然史博物館でした。動物のジオラマの展示を見ていて、興味深い発見がありました。ペイントされた背景の前に置かれたぬいぐるみは、まったく偽物に見えましたが、片目を閉じてちょっと覗いてみると、すべての遠近感が消え、突然本物に見えました。私はカメラのように世界を見る方法を見つけました。被写体がどんなに偽物であっても、一度写真に撮れば、それは本物と同じになります。- 杉本博司

 本作は、まずその写真を使い、さらに中国宋時代の画家である牧谿の水墨画技法を「本歌取り」するという、複雑な構造になっている。

いつか、その意味を知るために

 杉本作品を前にすると、いつも「ああ、もっと意味を知ることができれば」と思う。自分が感じている感想以上のなにかが、ここには絶対にあるのだという確信だけはある。

 だからとりあず、わからなくとも、目に焼き付け写真に記録することだけは怠らず、していこうと思う。

 いつか「ああ、そういう意味だったか」と、インプットしたもの同士が繋がる日を楽しみにしながら。


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