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呼応,影響,存在 -teamLabBotanical@長居公園 大阪

 teamLabBotanical@長居公園(大阪)。

  10月末に予定していたのだけど、12月に予定変更に。オンライン予約は3回まで変更可能。


 最寄り駅は、御堂筋線の長居駅。

 立地をあまりわかっておらず、京都から訪ねた。迷いながら、片道2時間近くを費やす長旅に。

 印象に残った作品を中心に。

ツバキ園の呼応する小宇宙 - 固形化された光の色

 思わず触れてみたくなる、卵型の物体。時間とともに色を変える。

 やさしく触るのはOK、とのことで、ころんと転がしてみる。起き上がりこぼしのような感触。愛らしい。

ツバキ園の呼応する小宇宙 - 固形化された光の色, Dusk to Dawn / Resonating Microcosms in the Common Camellia Garden - Solidified Light Color, Dusk to Dawn
teamLab, 2022, Interactive Digital Installation, Sound: Hideaki Takahashi

日中と日没後で様子が変わるOvoid(卵形体)が密集するツバキ園。

太陽の下では、Ovoidは周りの世界を映しはじめる。
太陽が沈むと共に、Ovoidは自ら光り輝き出す。Ovoidは人に押されると、もしくは風に吹かれたり、雨に当たると、その光を強く輝かせ音色を響かせ、自ら立ち上がる。周辺のOvoidも次々に呼応し、同じ光を輝かせ、同じ音色を響かせ連続していく。

Ovoidは、風が静かで人々が何もしない時、ゆっくりと明滅をはじめる。
Ovoidは、光だからこそ発色できる61色の「固形化された光の色」で変化していく。

ツバキ園の呼応する小宇宙 - 固形化された光の色 より


 森をさまよっていると、だんだん、生き物のように見てくるところがふしぎだ。振り向くと、じっと見つめられているような。


大池に浮遊する呼応するランプ - 曖昧な色

 会場はほぼ真っ暗なので、案内表示が助かる。

 水面に浮かぶ灯りに近づいてみる。


大池に浮遊する呼応するランプ - 曖昧な色 / Floating Resonating Lamps on Oike Lake - Ambiguous Colors
teamLab, 2022, Interactive Installation, Murano Glass, LED, Endless, Sound: Hideaki Takahashi

大池に浮かぶランプは、それぞれ自律し浮遊している。
人がランプの近くで立ち止まっていると、もしくは風に吹かれて傾くと、ランプは色を変えて強く輝き音色を響かせる。その周辺のランプも次々に呼応し、光を輝かせ音色を響かせ池の中央に浮かぶ小島の木々にまで連続していく。人々はきっと、同じ空間にいる他の人々の存在を感じるだろう。

ランプは、風が静かで人々が近くにいない時、ゆっくりと明滅をはじめる。

近代以前、日本では「かさねのいろめ」という、表の色と裏の色の組み合わせ(当時の絹は薄かったので裏地が透けたため複雑な色彩となった)や、重なる色彩のグラデーションなど、曖昧な色彩に、季節の色の名前がついていた。ランプは、光だからこそ発色できる曖昧な色(水の中の光、水草のこもれび、朝焼け、朝空、たそがれ時の空、桃の実、梅の実、花菖蒲、春もみじ)に変化していく。

大池に浮遊する呼応するランプ - 曖昧な色 より


 自律しているランプたちが集まることで、それは集団として一体化しているように見える。


 儚い灯り。水面への映り込みも含めて作品のように感じられる。


自立しつつも呼応する生命の森 - ユーカリ

 ユーカリの森に、転がっているかのような大きな球体。

 さきほどの卵型の球体よりも大きく、軽そうだ。

 同じように、積極的に触れることで、自分も作品に影響を及ぼしていく。

自立しつつも呼応する生命の森 - ユーカリ / Forest of Autonomous Resonating Life - Eucalyptus
teamLab, 2018, Interactive Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi

ユーカリの広場に密集して立ち続ける光のovoid(卵形体)は、それぞれ自律している。人にかき分けられたり、風に吹かれたりして倒れると、立ち上がりながら光の色を変え、色特有の音色を響かせる。その周辺のovoidにも次々に呼応し、同じ色に変化し音色を響かせながら、連続していく。光のovoidは、風が静かで人々が何もしない時、ゆっくりと明滅をはじめる。

ovoidの奥から光が押し寄せてくれば、向こうに人がいることを意味する。人々はきっと、同じ空間にいる他の人々の存在を普段より意識するだろう。

自立しつつも呼応する生命の森 - ユーカリ より


風の中の散逸する鳥の彫刻群

 本作の前で、最も長い時間を過ごした。

風の中の散逸する鳥の彫刻群 / Sculptures of Dissipative Birds in the Wind
teamLab, 2022, Interactive Digital Installation, Raised earth, Birds, Wind, Flora, H7300 mm W11550 mm (left), H7610 mm W111820 mm (center), H7670 mm W12300 mm (right), Sound: Hideaki Takahashi

生命の存在の輪郭は、肉体の境界面ではなく、それらと連続する環境も含めた、曖昧なものである。

この作品は、実際に周辺を飛ぶ鳥が、周辺の環境に連続的に与えるエネルギーを描き続ける、巨大な彫刻群。

鳥が飛ぶと、そのエネルギーは、空気などの環境を動かしていく。
吹いている風の中に、今この瞬間に飛んでいる鳥と、そして、今日の日の出から日の入りまでの間に飛んだ鳥の記憶が重なりあいながら、鳥がこの世界に与えたエネルギーを描いている。

彫刻群の周りに鳥が飛ばなければ、この彫刻群は真っ暗で闇に溶け込み、作品は存在しないに等しい。
彫刻群のある池の島には、鳥にとって良い環境にするため、鳥が食べる虫が集まる草木などを植えている。彫刻群の周辺に植えられたこれらの草木に鳥が集まることにより、この彫刻群は成り立っている。しかし、鳥は、そして虫も、池の島の草木だけで存在しているわけではなく、広大な植物園の森と池の生態系によって存在する。

この彫刻群の存在の輪郭もまた、物質的な彫刻の境界面ではなく、周辺の環境に対して連続的で曖昧である。

風の中の散逸する鳥の彫刻群  より

 見たところはゴッホの絵画のようでありながら、じつは鳥の飛行に影響された作品。

 それがわかると、この渦巻の中に、鳥の姿を想像してしまう。

 この夜は、あとで友人に呆れられたくらいの冷え込みで、

 たしかにとても寒かったのだけど、

 寒空の下、鳥たちは活発に飛び回っていたようだ。

「存在の輪郭」

  最後に、teamLabBotanicalのコンセプトを。

生命のような存在の輪郭
大阪市にある屋外植物園の長居植物園は、1974年に開園した。野球場などを備えた総合公園として1944年に開園した長居公園内にある。長居植物園は、広さ約24万㎡、中央には、大きな池があり、草花や木々が季節と共に移り変わっていく。 開園から50年経ち、今では多くの野鳥が生息し、オオタカやフクロウも目撃される。オオタカやフクロウは食物連鎖の頂点に位置する生物で、健全な生態系がないと生きていけないといわれている。大都市の中に、人工的につくられた植物園とその中央の池が、人と共に生態系をつくっている。人も含めた都市の中の人工生態系とも言える。

生命の存在の輪郭はどこか?

石ころや、これまで人間がつくってきたものは、それ自体で安定的な構造をもつ。石ころは、外界から遮断され密封された箱に入れても存在し続けるが、生命は、そのような閉じた箱に入れられると存在を維持できない。生命は、自分自身で構造を持っていないのだ。

生命は、海に生まれる渦のようなものである。渦を海から切り取って閉じた箱に入れると、渦は消えてなくなる。渦は、それ自体で安定した自らの構造を保っているものではなく、渦の外部から内部へ、そして内部から外部へと流れ続ける水によってつくられ、その流れによって渦の構造は維持され続ける。渦は、流れの中にある存在であり、その存在の境界は曖昧である。

生命も、外部から食物として物質とエネルギーを取り込み、物質を排出し、エネルギーを外に散逸させながら、秩序構造を維持している。生命の構造は、そのもの自体ではなく、それらと連続する環境によってつくられている。つまり、生命の存在の輪郭は、肉体の物理的な境界面ではなく、それらと連続する環境も含めた曖昧なものなのである。

チームラボは、「Digitized Nature」というプロジェクトを行っている。非物質的であるデジタルテクノロジーによって「自然が自然のままアートになる」というプロジェクトだ。

草木そのものや、ここに生息する鳥のふるまいを使った作品群は、草木や鳥がなくなると、作品は消えてなくなってしまう。草木や鳥は、植物園の森や池などの生態系とは切り離せず、環境が維持されない時、草木や鳥が生存できないため、作品も存在しなくなる。つまり、これらの作品群の存在の輪郭もまた、作品の物質的な境界面ではなく、周辺の環境に対して連続的で曖昧である。

そして、作品は、吹く風や雨、そこにいる人々のふるまいの影響を受けてインタラクティブに変容し、環境と人々を作品の一部にしていく。人々と作品、草木、森や池、生態系や環境が、境界なく連続していく。

人々の意識が、作品そのものから環境に広がっていく場を、模索していこうと思う。

公式サイト より

 自然とデジタルアートの、どちらかがなくなるとどちらも生存しえなくなる「縛り」。そうした緻密な積み上げから成っているからこそ、来場者が感じることのできる深み。

 閉じた空間とはまた違ったオープンスペースで、呼応する作品世界の一部にみずから成ることのうれしさ、喜びとともに。



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