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既知の風景が鮮やかに上書きされる -平 久弥「渋谷」

 平 久弥 個展「渋谷」@NANZUKA 2G(渋谷 PARCO、7/12– 8/11)

平 久弥は1960年鳥取県倉吉市生まれのアーティストです。主な個展に、「City Diptychs」( Yoshiaki Inoue Gallery、大阪、2020)、「Exploring the Urbanscape and beyond」( Anthony Brunelli Fine Arts、ニューヨーク、2018)、また主なグループ展に「Size Doesn’t Matter: Food for Thought」(Louis K. Meisel Gallery、ニューヨーク、2019)、「Photo Reference」(Belgrade Cultural Center The Art Gallery、ベオグラード、セルビア、2012)などがあります。

90年以降より、地下鉄のプラットホーム、エスカレーター、街の路地裏など、日常にありふれた風景を、フォトリアリズムの手法で、徹底的に、忠実に、描き続けています。中でも代表作、エスカレーターのシリーズは、都市の喧騒や動きの中で見逃されがちな、その美しさや機能性を捉えており、一見写真のように見えるそのリアルなテクニックが世界から評価を受けています。平は作品の題材をキャリア当初から日本のみならず、海外でも自らの取材で得ていますが、今展では平の制作の原点とも言える東京・渋谷の街の路地にフォーカスして作品を発表いたします。

「入り組んだ谷の地形が特徴的な渋谷の風景を描くことは、林の間を谷沿いから眺めているよう」と語る平は、都心の中でも洗練されていない雑然とした風景を意図的に選んでいます。そこに潜む光と影のダイナミズムを鮮やかに描き出し、街の喧騒と静寂を美しく表現します。何気なく通り過ぎる毎日は、平の作品を通して価値が生み出され、私たちの視点に変化をもたらします。

同上


何気なく見ていた風景の存在感

 さきの説明にもあるように、本展「渋谷」で描かれているのは、渋谷界隈を訪れたことがある人なら「ああ、ここは渋谷スペイン坂の……」というふうに、気が付く場所ばかりだ。

 そしてそれは決まって、待ち合わせ場所に使われるような目立った地点でも、立ち止まって眺めたりする印象深い場所でもなく、ただ一瞬通り過ぎてしまうような一地点でもある。

 フォトリアリズムの手法で描かれたリアルすぎる作風ゆえに、「夜は行ったことがないけど、こんな雰囲気なんだ」と気づかされる作品もある。

 子細に美しく描かれたリアルな画を鑑賞していると、普段の自分が、いかに街をよく見ずに通り過ぎているかがよくわかった。

 作品として描かれたその風景の美しさに、改めてはっとする。


写実的な夜景、の描かれ方

 本展を観ていてすぐさま思い起こしたのが、先月に鑑賞したYUSUKE KITSUKAWA「ZONE-TOKYO」だ。

 KITSUKAWA氏の夜景は、ご本人から伺ったように、基本はリアリズムだが、一部をあえてぼかしたり航空障害灯の数を減らしたりということも行っている。それによって作品のテーマ性がよりクリアになるのだな、と個人的に解釈している。

 それに対して平氏の作品は、微細にわたるまでのリアリズムの追究、という点が大きく違う。同じく夜を描き、ふしぎな浮遊感のなかに現実の夜景を越えた美しさを醸し出す作品でありながら、受ける印象はやはり異なった。


「知っている」の再発見、上書き

 街を歩く際、わたしは景色を見てはいる。ただし、頭を疲れさせないために、それらを注意深く見ていないだけだ。

 改めてその場所を作品として提示され、とてもリアルではあるがそれは丁寧に描かれたものであることを確認するうち、不思議なことが起きてくる。

 それは、「知っている」の記憶を呼び出し、そこに作品を融合して、「知っている」の記憶を厚くする作業だ。これは、自動的に。

 そして、通り過ぎただけの景色は、印象深い風景として上書きされ、新たにわたしの中に定着していくのだ。



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