ヤマダ

ギタリスト 愛と平和 猫と人間 音楽。

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最近の記事

遁走

おはようございます。 心身に違和感を覚えたので、毎日の焦燥から逃げるべく今日は仕事を休んで近所の喫茶店に来ました。朝のラッシュが落ち着いた旧街道沿いの、小さな喫茶店です。店外の植栽帯が、窓の外の突き刺す日差しを柔らかく遮っています。トラディショナルなホットケーキを一枚、たっぷりのメープルシロップで楽しんだ後、ブランチをする母娘の旅行の予定に耳をそば立てながら2杯目のコーヒーが半額というポップを眺めておかわりを悩んでいます。浮ついた心を地面に押し付けるようにタバコの火を消しま

    • 接見

      こんにちは。午後もがんばりましょう。 思考が止まってしまったんです。 あれだけ止めどなく溢れ出てきたものがぴたりと、何事もなかったかのような顔をして当たり前に居座っているんです。 自分が自分から遠ざかっていって、別の種を生きているんです。毎日毎日、知らない生活をしているんです。 居心地が悪くて気味が悪いのにそんな私の気も知らずに世界はただ回っているように見えるんです。 これがおかしい事だと気付いているのは私だけだ。 なんなんだ。気持ち悪い。

      • そのままのきみでいて

        全身のピアスを取ってみた。 ボディピアスを知ったのは中学3年生の頃だったか、大きな本屋で見つけたファッション誌のスナップに釘付けになった。どんな写真だったかは覚えてないが、とにかく、肌にポツリと煌めく銀色の粒が美しくて…。 高校生になり、初めてピアスを開けた、どっちかの耳たぶだった。 なんだか強くなった気がした。そのまま30歳まで来てしまった。 強がり続けるのも疲れてしまったので、全身のピアスを取ってみた。肩の力が抜けた。別に強がる必要もないことに気付いた。

        • 型破り

          山田です。 世の中には幸も不幸も溢れているのに喜ぶ選択を取れないのは、きっと自分に自信がないからなんじゃないかと思います。 毎日、ほんの少しだけかなしくなります。精神病特有の無力感ではなく、様々な事象に対してのやるせ無さです。主体かどうかの違いです。周りが悲しいと、僕も悲しいのです。 世間では心を強弱で表す事がしばしばありますが、僕は決まって強い人だと言われます。弱いと思っているわけではないけれど、寧ろそんな曖昧なものでカテゴライズしちゃいけないよと思います。心理テストや

          昼の片隅

          昔のトラウマに掻き乱されて嘔吐しちゃう程には気持ちが弱いタイプの人間です。 5〜6年前としっかり昔の出来事なのに、あまりの嫌悪感は直ぐに蘇ります。人間の脳は都合良い時と悪い時が極端だから嫌いだ。神経過敏だの何だの言って、そうやって僕の事実を勝手に捻じ曲げて丸く収めようとしているだけの癖に。 話は戻るが件のトラウマとは昔の音楽仲間から受けたもので、ラインナップはというと暴力はもちろん性的なものを含めたさまざまなハラスメントで、それが3〜4年は続いただろうか。自己評価が測定不能

          最近のアレコレ

          やっほ山田だよ。あたたかくなってきて過ごしやすいけど花粉症の人にとっては地獄の季節だね。 アレコレがあって数週間、毎日油の詰まった排水溝みたいな日常を過ごしているよ。 世の中と山田の速度は違うように見えるけど実はおんなじだよ。大きいものが動く時はゆっくり見えるよね、山田は自我が肥大し過ぎてゆっくりに見えるだけで実は何も変わらないんだよ。主観の速度って統計が取れないよね。 最近は周りの色んなものが鮮やか過ぎてやかまし過ぎて細か過ぎてとても極端に感じる。全てのタスクが全開で何

          最近のアレコレ

          筋金入り

          こうやって自分の思考を文章にする事で自分を客観視出来るのはいいことだ。 ここ2ヶ月ほどの間で訳あって人と喋る事がめっきり減ってしまった私。元々非常に陰気で人見知りな為、他所行きの愛嬌はとうに無くなりいざ口を開けば汚言のオンパレードである。自分の心と頭を整理するためにこうして誰も見るはずもない文章を淡々と書き記している訳だが、何故かこういうところでは出てこない汚言。今回のテーマは汚言症、かと思いきや自分がなぜ汚言を垂れ流すかを自分なりにまとめてみる。 と、まとめてみたけどか

          多くと出逢い、私のことなど忘れてしまえ

          下記の文章はあくまで「遊びの上での」話なので、仕事の事は一旦忘れて欲しい。みんな仕事しすぎだから。 ジェットコースターのような人間なので、先の遊びの約束を守れる事が殆どと言っていいほど無かった。 これについてよく言われる、または共感を得る多くの例としては「ラーメンってその時の気分で行くよね」という事で、つまりラーメン自体は大好きだけど日程を決めてじゃあ僕は○日の○時に必ずラーメンを食べに行くぞという事はあまり無いのではないか。華金明けでゆっくり眠りたい朝に開店待ちのラーメ

          多くと出逢い、私のことなど忘れてしまえ

          親切神

          時々まだ、生きているということについて考える時間を設ける。 人間の思考の範囲はどの程度あるだろう。 私の希死念慮のスタートは、確か小学校高学年辺りだった。それから地元に居る間は暫くそうして生きていたし、上京して数年間も、飽きずにそうして生きていた。 想像を行動に移すたびに大人達は揃いも揃って困ったような、呆れたような顔をしていた事が印象的だった。何故そんな顔をするのか、何かいけなかったのか、叱られても怒鳴られても、いつかテレビで見たジェリーが反省するフリも真似してみたが、