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型破り

山田です。
世の中には幸も不幸も溢れているのに喜ぶ選択を取れないのは、きっと自分に自信がないからなんじゃないかと思います。


毎日、ほんの少しだけかなしくなります。精神病特有の無力感ではなく、様々な事象に対してのやるせ無さです。主体かどうかの違いです。周りが悲しいと、僕も悲しいのです。

世間では心を強弱で表す事がしばしばありますが、僕は決まって強い人だと言われます。弱いと思っているわけではないけれど、寧ろそんな曖昧なものでカテゴライズしちゃいけないよと思います。心理テストやこういった文章、同意できる事があると無理矢理にでも嵌りにいってしまうのが人間です。その選択は能動的なものでしょうか。そこに自我はあるのでしょうか。
目を瞑って食べると、何の味かわからなくなる事があるかと思います。普通のチョコレートを食べたと思ったのに、実は抹茶味のチョコレートを食べていたこともありました。視覚から得る情報は非常に重要で、それが緑色なのかピンク色なのかで結果は大きく変わってきます。視覚的カテゴライズは他の感覚器官に影響を与えることがわかります。
心理テストでよくあるものだと例えばサイコパス診断、「サイコパスの診断をします」と言われてから診断を受けると、人はサイコパスに寄ってしまうというデータが"ありそう"です。知らんけど。

「強い心を持った人間」という型を用意されても、僕は難なくそこに入ってしまいます。ただそのカテゴリの存在を心の中で否定しているので多少外れた行動をしても誰も不思議に思わないのです。「だって山田は強い人だから」。

気が立っています。生きるのには少しだけコツが要ります。
そして今日も、いつも通り、ほんの少しだけかなしいです。

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