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初めて手術をした

  • 本文は、あくまで患者側の視点で、「患者による認識・理解」を基に書いたものです。



ボロです。
先月、生まれて初めて外科手術を受けました。
この26年余の人生でも特に強く印象に残る出来事だったので、当時のことを思い返してなるべく詳細に記録しておこうと思いました。

嘔吐や排泄に関する表現がありますので、苦手な方はご注意ください。





発熱 -プロローグ-

確か1月6日頃のこと。
僕は仕事中に体がだるくなり、「あ〜、これ熱あるわ」と思いながら仕事を続けていた。

僕は「熱がある」と自覚した時、体温を測らない。
え?なんでかって?
だって、「やべ、俺熱あるかも笑」「俺熱あるかもしれないのに仕事してる笑笑」と思ったらウケるじゃん。“かも”というところが肝ね。フォアグラの話か?だるいのはだるいけど、言うほどしんどくもないし。

幸いなことに、僕の業種はこの時期は仕事が少なく、いつもよりパフォが落ちていようとも、まあ余裕をもって片付く程度の量だった。

そういうわけですぐには熱を測らなかったのだが、1月8日の朝、重い腰を上げて体温計を脇に差してみると・・・37.7℃。
あらら。これヤバいかも。
一般的には「平熱より1℃以上高ければ熱があると判断していい」と聞く。
当然ながら平熱の体温が何℃であるかには個人差があり、調べてみると平熱の平均は36.6〜37.2℃らしい。
僕は他の人より平熱が低く、普段の体温は35.9℃である。
この時の体温は37.7℃・・・平熱より2℃近く高い。これはヤバいな。
が、その日も仕事だったので普通に出勤した。余裕だった。
Twitterでしこたま「スーホの白い馬」の話をしたあと眠りについた。




診療所

翌朝。体温は37.8℃だった。
存外長引いているし、熱が下がる気配もない。
・・・そろそろ病院行った方がいいよな。

と思ったらこの日は日曜日だった。
大抵の病院は土日休みなのだ。いつも健康だから知らんかった。
じゃあ明日仕事休んで病院に行こうかな。
と思っていた矢先、家族が日曜日にもやっている病院を教えてくれた。

いや、正確には病院ではなく「診療所」である。
医師が来院患者を診るところは同じだが、大規模な入院設備は備えていない、というのが病院との違いらしい。(これはあくまで僕の理解である)
僕のはどうせ強めの風邪か何かのはずなので、入院設備のことなんか気にしなくていい。
とりあえず「なんでこんな体調なのか」「病気だとしたら何なのか」を早く知りたかったので受診することにした。

夕方、17時ごろ。
家族が運転する車に乗り、診療所へやって来た。
車中で「あそこ、ヤブらしいで」なんて言われたが、くだらない冗談だ。
かなり昔からある診療所のようだし、ヤブならバレてもうとっくに無くなってるだろう。
僕を車で送ってくれた家族は一旦帰っていき、診察が終わったら連絡してまた迎えに来てもらうことになった。

中へ入ると、ぎっしり人がいた。
これは、「密」である。
一瞬ウソかと思ったが、受付の人はぎっしり詰まった人々に、普通に順番に対応していた。
じゃあいいか・・・。
人の多さは、それだけ日曜日にやってる医院が少ないことの表れだろう。

受付に保険証を出すと、「掛けてお待ちください」と言われた。

ん?
来院理由とか訊かないの?
問診票みたいなの書かなくていいの?
あなたがた、「なぜ来たのかも分からない奴」を待たせてることになりますけど?
本当にいいんだな?
じゃあ僕待ってますよ?
人多すぎて掛けられる椅子もないけど。

そのまま立ちっぱなしで、待合室のテレビでやっている笑点を見ながら、家族に「ヤブかも」とLINEした。


しばらくして、僕の名が呼ばれた。
僕を診察してくれるのは、見た目からの推定50代後半の、若干頭皮が目立つ男性医だった。
3日ほど前から熱があること、熱が38℃近いこと、僕の平熱が35.9℃であることなどを話した。

ちなみに話している間、指に変な器具を付けられたり鼻に綿棒を刺されたりした。
あとで分かったのだがこれはPCR検査だったようだ。

僕の胸や腹に聴診器をあてた後、
医師がこう訊いてきた。

「下痢は出ますか?」

そういえば、昨日はずっと下痢だった。
僕がそう答えると、“あれ”が始まった。
あれだ。喉の奥を見るやつ。
医師はペンライトを点けると、僕に口を開けるよう促した。

「じゃあちょっと見ますね」

僕が口を大きく開けると、

「はい。閉じて」

え?

もういいの?

再び、ウソかと思った。
いやだって今、僕の口の中を見てた時間1秒切ってたよ?


「胃腸炎かもしれませんね」

あ、そうなんですか・・・。


“かも”ってなんだよ。
フォアグラの話か?



とりあえず、胃腸炎と診断された。
僕は会計を済ませ、薬をもらった。

寒空の下、家族に「ヤブだこれ」とLINEし、車で迎えに来てもらうのだった。




やさしさ -Fake-

それから数日が経ち、1月14日のこと。
処方されていた下痢止めのおかげで普通の便が出るようになったが、相変わらず熱は下がっておらず、時々頭痛もする。

また、食事がつらい。
あまり量が食えなくなり、油分の多いものを食べると気持ち悪くなる。
朝はバナナぐらいしか食べられず、昼はスーパーで買った弁当をなんとか食べていた。
夜は家で用意された食事をとるので、メニュー次第でキツさが変わる。
サーモンのオイル漬けみたいなのが出た日はマジでやばかった。

そんな状態で仕事に出ている。
なお、診療所で受けたPCR検査の結果は陰性だったのでひとまず問題はなかった。

だが、ここまで長引くとさすがに精神的にキツくなってくる。
2日前からなぜか左の金玉も痛くなってきたし。
なんでだよ。

なにか、この状況を好転させる術はないものか。


熱さえ下がれば・・・


少しでも体が楽になれば・・・


熱を、下げる・・・





解熱剤を飲もう。

それくらいのことしかできない。
仕事は問題なくこなせる以上は、自力で何かケアをするとしたらそれくらいしかない。
正直気は進まなかったが、市販の解熱剤に頼ることにした。

僕は退勤すると、近くのドラッグストアでバファリンAを購入した。
「早く効いて、胃にやさしい」のキャッチコピーでおなじみの解熱鎮痛薬。
熱を下げ、頭痛も抑えられる。
まさに今の僕に打ってつけだ。


一旦仕事場に戻り、バファリンAを開封する。
自分で買うのは初めてだったので、注意書きをよく読んでおくことにした。


「なるべく空腹時をさけて服用してください」


空腹か。昼食をとったのが6時間くらい前だからな。夕食後に飲むべきなのかな。
まあでも、今も別にそんなお腹空いてないしな。
早く効いて熱下がってほしいし。
「空腹」というほどには腹減ってないから、いいか。

と思い、僕はバファリンAを2錠飲んだ。




帰り道。
これまでに経験したことがないほどの腹痛に襲われた。

おいマジかよ。
「胃にやさしい」んじゃないのかよ。
「バファリンの半分はやさしさで出来ています」じゃねえのかよ。

普通に考えれば分かったことなのだが、「空腹時をさけて服用」って「胃の中が空っぽの状態で飲むな」ってことだったんですね。
だったらそう書いてよ。バカでもわかるように。

とんでもなく腹が痛い。
具体的には、自分から見てへその右下あたりがキリキリと、ジワリジワリと痛むような感じ。

便意と尿意が激しく押し寄せる。
トイレに行きたい。
まっすぐ歩くことすらままならない。

僕はやっとの思いで駅のトイレに辿りつくと、下痢気味の便と少々の尿を排泄した。

しかし、排泄のキレが悪く、またすぐにトイレに行きたくなるだろうと予想できた。
僕は電車通勤なので、当然帰りも電車に乗るわけだが・・・
その日は途中の駅で何度降りたことか分からない。
途中で降りて、トイレに行って、排泄のキレが悪いなーと思いながらトイレを出て、電車を待って、電車に乗ったらまたトイレに行きたくなり、途中で降りて・・・
繰り返し尻を拭きすぎて肛門が痛くなった。


いつもは19時半ごろに帰宅するところを、その日は帰宅時には21時を回ってしまった。
腹痛は一向におさまる気配がない。


夕食は、もつ鍋の残りだった。
バカ野郎。
今の腹具合でそんなもん食えるわけねーだろ。

それでも僕はクタクタになったニラやらキャベツやらを口へ運び、苦しみつつも飲み込んだ。
重い。油っこくて気持ち悪い。ニンニク入れすぎ。

本当に苦しかったが、それでも「食べない」という選択肢をとることはできない。
なぜなら病人だから。
ただでさえ熱で体力を消耗しているのだから。
体が栄養を必要としているのだ。

普段の一食分の半分にも満たない量しか食べられなかった。
家族は「病院に行くか」と心配してくれたが、寝たら良くなるかもしれないと思い、断った。
第一、今の時間にやってる病院なんかないだろ。



結局その日は寝た。

いや、眠れなかったんだけど。

僕が布団の中にいる間も腹痛はずっと続き、
夜中に何度もトイレに行った。
しかし、出るのは尿だけだった。
気分的に一応毎回尻を拭いたが、肛門が痛くなるばかりだった。

さらに時々吐き気も感じ、喉の奥からもつ鍋の味がする胃液が逆流してくる。
吐き気を感じては布団から起き上がって傍らにあるゴミ箱を抱きかかえ、激しくえずきながら口中で分泌された多量の唾液を垂れ流す。
終ぞ嘔吐することはなかったが、「吐きそうになる」という感覚はたまらなく苦痛だった。
あともつ鍋がちょっと嫌いになったかも。

忘れてはいけないが、熱も下がっていない。
この日は合計で2時間も寝ていなかっただろう。




馴染みの病院へ

1月15日。朝8時ごろ。
今日も出勤日だが・・・苦しすぎる。
ぜんぜん眠れてないし、昨日の調子だと行きの電車でも何回も降りることになりそうだ。
急な腹痛はバファリンによるものだと思っていたが、
バファリンが溶けきったはずの現在も依然腹痛は続いていた。

朝食は、昨日バファリンと一緒に買っていたガッツギア(ゼリー飲料)で済ませた。

僕は仕事先に連絡し、休みをもらった。

今日こそ病院に行こう。
あのヤブの診療所じゃなくて、幼い頃から何度も世話になっている馴染みの病院に。
僕がずっと気になっているのは「発熱の原因はなんなのか」「病気だとしたらその病名はなにか」の二つ。
あそこならきっといい結果が得られるだろう。
仮に「なじみの病院」と呼ぶことにしよう。

少しだけ睡眠をとり、10時ごろ。
家族が運転する車に乗り、なじみの病院へ。
例によって、診察が終わったら連絡してまた迎えに来てもらうことにした。

馴染みのある病院とはいえ、来たのは数年ぶりだ。
中へ入ると、異常なほど人が少なかった。
長い廊下の壁際に備え付けられた長椅子にお婆さんが1人座っている以外、来院患者とわかる人は見当たらない。
診察券と保険証を見せると、今日はどのような用件で来たのかと尋ねられた。
僕は至極正直に答えた。


「10日ほど前から熱がありまして」


すると受付の女性は、

「すみません。当院は発熱外来は受け付けていないんです」



やべっ。

やったか?

“熱がある”ことを言った時点で、僕はこの病院で診察を受ける権利を失ったのか?
腹痛のことを先に言うべきだったのか。


受付の女性は、何かが印刷されたA4用紙を僕に見せながらこう続けた。


「発熱外来でしたら、こちらを受診してください。こちらの診療所は今日もやっておりますので・・・」

なるほど。
発熱外来を受け付けている他の医療施設への案内をしてくれるんだ。
わざわざその医療施設の情報のコピーまでくれて、ありがたいことだ。


で、今なんて?

「診療所」って言わなかった?


受付の女性がくれたコピーを見ると、僕が数日前に受診したあのヤブの診療所の情報が載っていた。
ただ、それだけが載っていた。

「そうなんですね、分かりました。ご丁寧にありがとうございます」

僕は受付の女性にお礼を言い、なじみの病院を後にした。









ワーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー









診療所・リターンズ

さっき、家族になじみの病院まで送り届けてもらってからまだ5分と経っていない。
僕はすぐさま家族と連絡をとり、迎えに来てもらった。
ヤブの診療所に送ってもらうために。

診療所に到着した。
やはり、人が多い。
順番待ちをしている人の中の何人かは、僕と同じように他の病院から発熱外来の紹介を受けて来たのかもしれない。

数十分待ったあと、僕の名が呼ばれた。
今回は、前回診察してくれた医師とは別の人だった。
声のデカい、推定60〜70代にも見えるお爺さん先生だ。

前回胃腸炎と診断されたことを前提に、下痢が治まったことや熱のことなどを話した。
ついでに2度目のPCR検査も行われた。
相変わらず喉の様子は1秒しか観察しなかったが
前回の診察から約1週間経っていることもあり、医師の方も何か決定的な処方が必要だと判断したのだろうか。


「点滴打つか!!」

声デカ。

僕はベッドのある部屋へ案内され、初めての点滴を受けることになった。

点滴をしている間にもさっきの老医師が他の患者を診察する、デカい声が聞こえてくる。


「その歳になって我慢もできんのか!!酒が我慢できんからこんな風に肝臓が悪ぅなる!!!」

声デカ。



点滴を終えたあと、会計を済ませ、前回とほぼ同量の薬をもらった。



帰宅後、家族に頼んでフルグラを買ってきてもらった。
フルグラといってもフルグラフィックTシャツのことではなく、
かつて「フルーツグラノーラ」という商品名だったシリアルのことである。

点滴中に考えていたのが、今の状態で食べても大丈夫そうなものってなんだろう?ということ。
シリアルなら食べても気持ち悪くなることはないだろうし、栄養価も高そうだ。
案の定、白飯なんかよりも楽に食べることができた。
フルグラのりんごは美味い。


で、点滴を受けていくらか良くなったのだろうか。
依然として腹の痛みはあったが、その日のオモコロチャンネルの動画を見て笑えるくらいには元気だった。
昨夜よく眠れなかったこともあり、たくさん寝た。



1月16日。日曜日なので休みだ。
規定の時刻を過ぎても、診療所からの連絡はない。
2度目のPCR検査の結果も陰性だったようだ。

今日しっかりと体を休めて、明日から普通に仕事に出たいが・・・どうだろう。



↑この日の僕





丸一日、たっぷりと休んでみた。
やはりというべきか、体調が回復する気配はなかった。
腹が痛く、熱は下がらず、フルグラしか食えない。
こんなんじゃ消耗していくだけだ。

原因を突き止めなくては。

明日、仕事を休んででも病院へ行こう。
もう診療所は信用できない。




運命の日

1月17日。
この日、朝一番に測った体温は38.3℃。
これまでで最も高い。
僕の病院に行こうという思いをより一層強くさせる。
仕事先に連絡し、休みを得る。

次に、病院に連絡する。
僕が今日受診しようとしているのは、僕の住んでいる地域でも特に大きい病院である。
実は、僕は昨年の12月にも、鼠蹊部にできたリンパ節(腫瘍)の件で同病院にお世話になっていた。
あの病院なら信用できる。
診療所は信用できない。


8時半ごろ。
電話をかけてみたが、繋がらなかった。
先ほど受付が始まったばかりで、問い合わせが集中しているのだろう。

何度かかけているとようやく繋がり、女性が対応してくれた。
電話口で発熱や腹痛の症状があることを訴え、
(名前は出さなかったが)別の医療施設に2度通ったが体調が好転しなかったことを伝えた。

「熱があるということですので、発熱外来ということになりますね」







アッ!!!!!!!!!!!!!!!!!



またやっちまったか?

また、あそこへ行くのか?

あの信用できないところへ逆戻りか?









「——当院でも発熱外来は受け付けておりますので、ご来院のうえ、PCR検査を実施して結果が陰性であれば、そのまま内科を受診していただけます」








フゥ〜〜〜〜〜〜〜〜〜


よかった・・・。

ありがてぇ・・・。

僕は20分後に来院する旨を伝え、自転車で病院へ向かった。
自転車を漕げるくらいの元気はあったことに自分でもビビった。


9時ごろ。病院に到着した。

今更ながら、「発熱外来」とは某感染症への対応の一環である。
発熱のある患者は隔離された空間内で待機し、
事前に病院側に伝えておいた自分の携帯電話の番号に電話がかかってくるのを待つ。
そして通話によって診察を行うというものだ。(これはあくまで僕の理解である)

多くの患者は自動車で来院するため、車の中という隔離空間で待機することとなる。

が、自転車で来た僕はというと、病院の駐車場内にある発熱外来用のプレハブ小屋に案内され、そこで病院からの電話がかかってくるのを待つこととなった。
小屋の中はパーテーションで仕切られ、姿は見えないが僕以外にも発熱外来の患者が数名いるようだった。

待っている間、1人の中年男性が落ち着きのない様子で何度もプレハブに出入りしていた。
かなり体重をかけて歩いているのかプレハブに足音と振動がとても響き、出入りする度にドアを閉めたり閉めなかったりするので、極み迷惑(きわみめいわく)だった。
本当に10回以上出入りしていたと思う。
ボケが。なにか別の感染症に罹れ。

9時30分ごろ。ようやく電話がかかってきた。
もう10日以上も高熱があること、数日前から腹痛に苦しんでいること、他の医療施設で胃腸炎と診断され薬を処方されたが、回復には至っていないことを事細かに話した。
ちなみに、この時は診療所の名前を言ったし、「あそこは良くないみたいですね」とも言った。

しばらくすると、防護衣を身につけた女性がやって来て、PCR検査を実施した。
指に変な装置を付け、綿棒で鼻の粘膜を採取された。やり方自体は診療所で受けたのと同じだった。
検査の結果が陽性であれば、おそらく僕はこの後、内科を受診することもできないのだろう。

検査の結果が出るまでもうしばらくこのプレハブで待つように言われ、女性は出て行った。
女性と入れ替わりで、さっきの中年男性が入ってきた。
勘弁してほしい。
本当に、全く落ち着く様子がないのだ。
外でじっとしとけや。お前はマグロか?

20分ほど経ち、さっきと同じ女性がやって来た。
PCR検査の結果が伝えられた。

陰性だった。

知ってたけど。
そりゃそうだろうと思いながら、僕は内科を受診する権利を手にしたのだった。


10時30分ごろ。
僕の名が呼ばれ、内科の診察室に入った。
以前、リンパ節の時に見てもらったのと同じ先生だった。
頭皮が目立ち、若干セクハラ気質の男性医だ。

いつものように症状を説明し、一応参考までにと、診療所から処方され、今朝まで服用していた薬の一覧も見せた。

彼はこの時には既に虫垂炎の可能性を挙げ、CTスキャンの実施を薦めた。
「まあ放射線被曝の影響なんかね、こわいやろうけども…」って小声かつ早口で言うのやめてくんない?

忘れないでほしいのだが、僕はこの間もずっと熱があるし腹痛に苦しんでいる。
被曝とか言われたらますます不安になってくる。

しかし背に腹は替えられないと、僕はCTスキャンを受けた。
「ただちに影響はない」って言葉、みんなもよく知ってるよね。


〜おもしろ小噺〜
CTスキャンの前に血液検査のために採血をしてもらったのだが、僕の腕は血管が見つけにくいらしい。
定量の血を採るまでに左右の腕に計3つの穴があいた。




採血とCTスキャンを終え、12時をまわった頃。
僕は再び内科の診察室に呼ばれていた。
ついに、医師の診断が下される。










「急性虫垂炎ですね」














ほう、急性虫垂炎・・・。
さっきも聞いた虫垂炎の急性版か。
急性ってなに?どういうこと?
そもそも虫垂炎とは?

サンクス。

簡単に説明すると虫垂炎(ちゅうすいえん)とは、大腸の盲腸部からピロっと尻尾のように飛び出している虫垂(ちゅうすい)という器官があり、ここに糞石(うんち♡)が詰まるなどして閉塞した部分に細菌が増殖し、炎症を起こすという病気。

放っておくと虫垂が壊死して破れ、中に溜まった膿が溢れ出し、腸膜炎などの病気に発展するおそれがある。

また、「急性」というのは、急激に発生し、かつ(または)経過の短い疾患について、病名の頭に付けられる語らしい。



虫垂の位置は、まさに数日前バファリンを飲んだ後に痛くなった箇所と一致していた。

「もしかしたら先月のリンパ節の件もなんか関係あったのかもしれんね」と先生は言った。
確かに、前に腫瘍が出来たのとも位置はほぼ同じだった。

すぐに手術や入院が必要だ、などと言うものの、
内科の先生は、虫垂炎についてあまり詳しくは教えてくれなかった。
上記の説明は僕が後で自分で調べて書いたものである。

あとは外科の先生の仕事ということらしい。
先生にお礼を言って、僕は診察室を出た。




↑当時の僕。すごい嬉しそう

これまで外科手術を受けた経験はないので、人生のトロフィーをひとつ獲得できるような気分になって高揚していた。


13時ごろ。
僕は外科診察室の前で虫垂炎のことを調べながら自分の名が呼ばれるのを待っていた。

そして僕の名が呼ばれ、診察室に入った。
今度は女医さんだ。年齢は30代くらいだろうか。

先生は、さっきまで見ていた病院のHPの虫垂炎の紹介に書いてあったのとだいたい同じような説明をしてくれた。
本当にだいたい全部、もう知ってる内容だった。

急性虫垂炎の進行度をあらわす「レベル」はレベル1~3の3段階があり、僕の場合はレベル2だったという。
発症してから今日で4日目になるので、随分と進行が進んでいたようだ。
今日この病院を受診してよかったと思った。

発症したタイミングは、やはりバファリンを飲んだ日の帰りだったのだろう。
だとすれば僕がバファリンを飲んだ時には既に虫垂にはうんこが詰まっていたということになる。

しかし不思議なのが、その日より遥かに前から僕の体調が悪かったことである。
1月6日頃からの僕の発熱は、虫垂炎とは何の関係もなかったことになる。
仕事始めのストレスによるものだったのだろうか?
この点については現在でも不明だ。


先生は続けて、虫垂炎の治療法について話し始めた。

虫垂炎には大きく2通りの治療法がある。
一つは、外科手術による患部の切除。
腹部のへそのあたりを切開して腹腔鏡という細長いカメラのようなものを差し込み、モニターで腹腔内を観察しながら、別の穴から差し込んだ鉗子(ハサミ)で切り取る腹腔鏡手術という方法で行われる。
短時間で済み、虫垂そのものを切り取ってしまうため、再発の可能性を無くすことができる。
さらに、今後生きていくうえで似たような症状が出た場合に「虫垂炎ではない」ことが確実となる。
無論、手術に際しては全身麻酔を行う。
術後は3〜4日の入院が必要となる。

もう一つは、抗生物質による治療。
主に発生初期の炎症が軽いケースに勧められる治療法だ。
抗生剤の服用によって手術を必要とせず治療できるが、再発のリスクがあり、また抗生物質によって完全に治療できなかった場合はどのみち外科手術が必要となり、その分だけ多くの治療費がかかることになる。

これら二つの治療法が先生から提示された。

「どうしますか?」

選ぶのは僕自身である。

「切ってください」

と、僕は先生に告げた。

待ち時間の間に、とっくに僕の覚悟は決まっていた。


そらそうだろ。切ってくれよ。
こっちは外科手術受けたくてたまんねえんだからよ。

なんだ抗生物質って。
そんな選び損の択を用意してくれんな。



こうして、人生初の外科手術を受けることが決まった。



外科診察室を出た僕は、その辺の椅子に腰掛けた。
現時点では、いつ手術を行うのかは未定だ。
手術室が空いてさえいれば今日。
空いていなければ病院で一泊して、明日手術を行うことになると先生は言っていた。
そして今は今日手術室が空いているかの確認をしてもらっている。

その間に、家族や仕事先に手術・入院のことを知らせた。
家族には「自分は割と前向きな気持ちでいるから、あまり心配しないでほしい」と伝えておいた。


そうしていると看護師さんがやって来た。
よく見るとさっき僕の採血を担当した人だ。
さっきは両腕に計3回も針を刺してくれてありがとう。

今日、15時ごろから手術を行うことに決まったと伝えられた。

この時点で13時30分ごろである。
あまりにも早い。
とっくに自分の覚悟が決まったものだと思っていたが、途端に怖くなってきた。

手術を行う前に、いくつか検査を受けて来てほしいと言われた。
全身麻酔を使用することに関係しているらしい。

何か手術について気になることはありますかと訊かれ、僕はさっきから気になっていた、手術の費用について尋ねた。

すると、だいたい20万円くらいだと答えてくれた。

「2000円じゃ無理ですか?」

と、一応訊いた。(無理でした)
言うまでもないが、これはボケである。



14時30分ごろ。
レントゲンと尿検査を終え、再び外科診察室の前で座っていた。
僕の名が呼ばれた。

先ほどと同じ診察室へ入り、先ほどと同じ先生に挨拶をする。
腹腔鏡手術の詳細な説明のあと、先生が何枚かの紙を僕に渡した。
手術の同意書と、万が一の時に輸血を行うことについての同意書だった。

内容について不満もなく、僕は2枚の同意書にサインをした。
いよいよという感じだ。

外科の先生にお礼を言って診察室を出ると、すぐさま先ほどの看護師さんがやって来て、僕が今日から入院する3階の病室へと案内された。
他の患者さんもいる、いわゆる大部屋だ。
僕の病床は窓際だった。

もうそろそろ15時だ。
1月なので、この時間帯でもある程度日は傾いており、ブラインドの隙間から差す陽の光がベッドを照らしていた。
これから手術を受けるのか、という僕の気分も相まって、なんだかエモかった。


その時撮った写真


荷物を置き、脚を組んでめちゃくちゃカッコつけてベッドに座っていると、2人の看護師さんがやって来た。

手術室へ行く準備が始まった。
まずは看護師さんが持ってきてくれた手術着に着替える。
みんなもよく知っている、患者が来てるあの水色の服である。
より正確には患者衣というらしい。
僕が着たのは前でボタンを止めるパジャマタイプだった。
さらに、足にはむくみや血栓を予防するためのソックスを履く。
仕上げに、左腕に点滴の針を刺して準備完了。

点滴のスタンド(ガートル台という)をガラガラと押しながら、歩いて手術室へ移動する。

手術室のエントランスのような部屋へ入ると、僕の手術を担当する医師の方々と対面した。
6〜7人くらい居ただろうか。
これから僕の体を任せることになる人たちなので、いっそう丁寧に挨拶をした。
ウソ。本当はそこそこに挨拶をした。


まず本人確認が行われ、名前や生年月日を訊かれた。
その後に「今からどんな手術するんですか?」と訊かれた。
え?それは僕の方が知りたいんだけど。
訊き方に一瞬ビビったが、「虫垂を切除してもらう」と答えたら、それで正解だった。
これも本人確認の一環だったのか。


続いて、麻酔科医の先生から全身麻酔の説明を受けた。
一緒に説明書を見ながら。

全身麻酔で眠っている間は呼吸も止まっているため、鼻や口から気管にチューブを通して人工呼吸を行うという。
その際に喉や唇、歯を傷付ける可能性があるとのことだった。

説明書は全身麻酔の同意書も兼ねており、これにサインした。
左腕に点滴がついているせいで書きにくかった。

実際の説明書兼同意書。
怖いことしか書いてない

正確な時刻は分からないが、今は15時20分くらいだろうか?
全身麻酔にも同意したので、いよいよ手術が始まる。

手術室へ入る。よく見る緑色の部屋だ。
その部屋の中央にあるのは、これまたよく見る緑色の手術台だ。
僕は導かれるままに、その上に寝そべった。

鼻と口を覆う酸素マスクが装着される。

「深呼吸してください」


麻酔科医が僕に話しかける。






「それじゃ、これから麻酔が効いていきますからね。首を押さえますから苦しいでしょうけど、深呼吸だけはずっと続けてくださいね」

「はい・・・」








はい?

いま、なんて?

いま首を押さえるって言ってなかった?

患者という立場だからこういう時ははいと返事するしかないんだけども。

なに?どういうこと?



次の瞬間、僕を囲んでいた医師たちが一斉に首を絞めてきた。

3人がかりで、それぞれ両手を使って僕の首を圧迫してきた。

やべえ!!!!!!!!!!!!!!!!!怖すぎ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

それでも医師に言われたからには、はいと返事をしたからには僕は深呼吸を続けた。
これ、首押さえられてるのに深呼吸して意味あんのかな。

深呼吸を2回としないうちに、視界が霞んできた。

あ、これヤバイ。

ヤバいやつだろ。

死んでしまう。

やめさせないと・・・。


そう思っている間にもどんどん視界は霞んでゆく。



「苦しいです・・・」

と僕は口を動かしたが、声は発せられなかった。

いや、声自体は出ていたのかもしれない。

今確かに言ったはずの僕の言葉が聞こえない。

音が何も聞こえない。

周りの音も、何も聞こえなくなっていた。

視界は霞むどころか、どんどんと暗くなっていき







急に、目が覚めた。

頭が混乱している。
なぜ眠ってもいないのに“目が覚める”んだ。
体感では、さっき僕が「苦しいです」と言おうとした時から10秒くらいしか経っていない。

視界はぼやけているが、手術室の天井が見える。
『今』見ていた天井だ。

呼吸が荒い。

すごく鼻水が出てる。

喉がガラガラして痰がすごい。

咳込むと、お腹に強い痛みが走った。

涙が出た。

視界がぼやけているのは涙のせいだった。

じゃあ、涙はもう出てた。


それくらいまで考えて、僕はいま麻酔から目覚めたのだとようやく理解した。

僕の虫垂炎の手術は終わっていた。

全身麻酔とは、要するに患者の意識を失わせるものだ。
意識を失わせるための「導入」として、首を押さえつけるという方法がとられたのだと納得した。(これはあくまで僕の理解である)

鼻水や痰が出ているのは、鼻と口にチューブを通したせいか。

ベッドに乗せられたまま、手術室から病室へと運ばれてゆく。

この時、「いま急に布施明とか大声で歌ったらめっちゃ面白いんじゃね?」と思ったが、実行はできなかった。
できるわけねーだろ。
まだ体を動かして大丈夫なのかも分からないのに。


さっきの大部屋の病室とは違い、個室の病室に運ばれてきた。
まだ、今の状況をはっきりとは整理できていない。
整理できてないうちから布施明を思いつくな。



窓の側の椅子に、父が座っていた。
手術立会人として、会社から暇を出してもらって駆けつけてくれたらしい。

父がパンフレットのようなものを見せながら、僕に何か訊いてくる。
「どっちがいい?」と言っている。
どうやら、患者衣のレンタルやらアメニティグッズやらの「コース」のことだった。
知らんよマジで。今何も見えてないんだから今訊くな。
いい方にしといてくれ。

程なくして、知らない先生がやって来た。
(実際には顔はよく見えなかったのだが)
さっき会った外科医や麻酔科医の先生とも違う、女性の先生だった。

先生は今の僕の状態を説明してくれた。

腹腔鏡手術を行うために腹部を切開した。
当然、表皮だけでなく皮下脂肪や腹筋も切り裂いているため、縫合後の筋肉がくっついて元に戻るまでは、腹筋に力を入れると強い痛みが生じる。
ということだった。

腹筋に力を入れずに生活することは難しい。
自力では仰向けの状態から起き上がることができないし、寝返りをうつこともできない。
咳やくしゃみにすら痛みが伴う。
痛みを堪えながらでないと笑うことすらできないのだ。

僕は鼻呼吸ができないことを訴えたが、それは鼻が詰まってるだけだと言われた。
ティッシュをもらい、鼻をかもうとして口から大きく息を吸い込んだが、それも腹筋を使う行為だ。
痛すぎる。鼻もかめないのか。

ところでさっきから、僕の足の周りで何かが動いている。
僕の左右の足を包んでいる何かが、それぞれの足を一定の間隔で膨らむようにして圧迫し、空気が抜けたかのように萎んで解放する、という運動を続けている。
これは、足をマッサージして血行を促し、血栓を防止するための機器だった。
かなりうるさいし、鬱陶しい。
足ぐらいは自分でも動かせるので、早いところ外してもらえないだろうか。


それと、もう一つ気になっていることがあった。
さっき目覚めた時から僕の股間のあたりに、痛みにも近い感触をおぼえていたのだ。
大事なところに関することなので、絶対に聞いておかなくては。

僕は先生に、

「僕の下半身になんか付いてますか?」

と訊いた。

この発言ってセーフなん?

病院だからこそのセーフなのだろう。

たとえば電車とか、信号待ちしてる時に知らない人に向けて言ったりしたら確実にアウトであろう。

僕の下半身に付いていたのは、自由にトイレに行けない患者のためにチューブを尿道に直接取り付け、排尿を行えるようにするためのものだった。
なるほどな。昔、5歳の時に膀胱炎になったときにも付けたやつだ。
実はさっきからじわじわとおしっこしてるけど、全部チューブを通って尿瓶に入っていってるわけね。

↑ちんちんに意味不明な管を付けてくる病院なんかあるわけないだろ。


一通りの説明が終わり、先生が病室から出ていった。


麻酔から目覚めてからの体感経過時間は20分ほどである。
「今、何時?」と父に尋ねると、
「今は・・・16時53分」と教えてくれた。

そんなに経ってたのか。
と思うとともに、手術終わるの早くない?とも思った。
僕が麻酔から覚めたのが16時30分ごろということになるが、僕が麻酔から覚めるのに時間がかかっただけで、実際の手術時間はもっと短い可能性もあるのだ。

しばらくすると、父は帰っていった。
僕が事前に頼んでおいた、iPhoneの充電器はちゃんと持ってきてくれたようだ。




入院生活1日目 -Birthed-

病室にいるのは僕1人になった。

人生で初めての手術が終わった。

というか、入院するのも初めてだな。

ひとまず、今の状況に慣れなくては始まらない。
鼻詰まってるから、痛みに慣れるまでは口呼吸だし。

最初に僕はベッドの上で体を色々動かしてみて、どの部位をどのように動かすと痛むのかを探った。

次に声を出してみて、どのくらい大きな声を出すと痛むのかラインを探った。

その次は腹部を自分で圧迫して、どのくら痛ててててててててて

少しでも押さえると痛かった。
もう触らんとこう。



しばらく、色んなことを考えた。

今日は朝から色んなことがあったなぁ、とか。

家族はみんな家で普通に過ごしてるんだよな、とか。

さっきの首締めについての考察とか。(絞殺とかけている)(一同爆笑)(2名搬送)(ここは病院)(この空間には2名もいない)(うるさいうるさい!)


今朝、フルグラを食べたのを最後にずっと何も食べられていない。
全身麻酔を使用する手術を行うことが決まった時点から、患者は一切の食事を禁じられる。
理由については教えてもらえなかったが、やはり麻酔時に全身の筋肉が弛緩して尿や大便が一斉に垂れ流されるのを最小限に留めるためだろうか。

そして、僕の場合は消化器官に関わる手術なので、術後もしばらく食事をとることができない。
点滴によって水分と栄養分は常に供給されており、飢えや渇きをおぼえることはなかったものの、口寂しかった。

ずっと口呼吸をしている。

どれくらい時間が経ったんだろう。

足のやつ、鬱陶しいな。

股間に付けてるやつのせいだろうけど、ちんちんと金玉が左の太腿に強力に固定されている。
これ、キツいな。後で影響が出たりしないだろうか。


マジで退屈だな。

Twitter見たいな。

僕のiPhoneはベッドの側に設置されている、テレビが付いたテーブルみたいなやつ(床頭台という)の上にあるけど、手を伸ばしても届かない位置だ。

看護師さんが何かの用で部屋に入ってきた時に取ってもらおう。



どうせ身動きできないなら寝てしまえばいいのだが、息苦しさや腹の痛み、股間の違和感、足のやつのしつこさなどの要因、そもそも自分が外科手術を受けたという事実へ思いを巡らせるのを止められず、眠ることもできなかった。

そして、また忘れかけていないか?
僕は熱がある。
後で聞かされたが手術後はいっそう熱が出るそうだ。

布団と接している背中は絶えず熱を持ち、じっとしているのが苦しかった。
腹筋を使えないながらも、なんとか身をよじって背中をベッドから浮かせ、少しでも熱を冷まそうと努力していた。
そんなんだから、眠れるわけがない。


病室の扉をノックをして、看護師さんが入ってきた。
点滴を交換し、体温や血圧を測ってくれた。
それと、足のやつも外してもらった。

この病棟の消灯時刻は原則22時らしい。
ただ、僕が入院しているのは個室なので、消灯時刻を希望することができた。
22時から眠れる気はしないので、23時の消灯を希望した。

床頭台の上から僕のiPhoneを取ってもらい、ついでにテレビも点けてもらった。
まあ、見る気はぜんぜんないんだけど。
少しは退屈が紛れるかと思った。


看護師さんが部屋から出ていった。



寝転んだまま、数時間ぶりにiPhoneを触る。
時刻は20時40分だ。
思ったよりずっと時間が経っていた。

僕はカメラを起動して病室の天井の写真を撮り、ツイートした。




誰も僕の誕生を疑わなかった。




僕は右利きなのだが、携帯電話に限っては左手で持った方が片手での操作がしやすい。
フィーチャーフォン時代からの癖である。
こういうのは癖っていうのかな。
多くのゲーム機は左手で十字キーやスティックを操作するように設計されているから、たとえばRPGでマップ上を移動するだけならその時は左手の片手だけで操作できる。
ゲームの片手操作の感覚が、携帯電話にも適用できたということだろうか。

しかし、寝転んだままでiPhoneの画面を見ていると、左腕の点滴の針が付いているところが痛くなってきた。

そういえば、「点滴が付いている腕を体より上に挙げないで」って看護師さんが言ってた。
たぶん血液の逆流が起こったりして危険なんだろう。

え〜。じゃあ左手でiPhone触れないんだ。
渋々、不慣れな右手でやってみるがうまく保持できず、何度も顔面にiPhoneを落としてしまった。


じゃあテレビ見て過ごすか・・・。
さっき看護師さんは僕の枕元にテレビのリモコンを置いていってくれた。
チャンネルを適当に回すが、どれもパッとしない。
面白い番組やってないな。

いや、今の僕は面白い番組を見るべきではないのだ。
笑うと腹筋が痛むから。
ちょうどいいつまんなさの番組を見なくては。

最終的に、某リアクション芸人の番組を点けておくことにした。

で、見なかった。

なんでかって?

テレビが僕の寝ている90°右の位置にあったからである。
そんな方向にあるテレビ画面に顔を向けるためには必ず苦痛が伴う。
音声からつまんなさを得るほかなかった。
映像を抜きにしたテレビ番組は、実につまんないものだ。
というか、つまんなさを得るためにテレビを点けておく意味なんかあるのか?

何の身にもならない時間が過ぎていく。
本当につまんねえな。
せめて、ためになる情報をくれ。
知識とか雑学とかを延々と紹介してくれる番組ないのかな。

いつも聴いているネットラジオも、「笑い」の要素が多分に含まれているので今の僕にとっては毒である。
笑うことで退屈を吹き飛ばせないのって辛いな。


23時になり、看護師さんが来て部屋の照明を消していった。
何か用があれば手元のナースコールを押せば来てくれるとのことだ。


とりあえず、寝てみるか。





深夜2時ごろ。

僕はまったく寝付けずにいた。
背中が熱すぎる。とにかく汗がすごい。
ずっと身をよじり、熱を外へ外へと逃そうとし続けていた。

すると看護師さんが部屋に入ってきて、点滴を交換してくれた。

「おなら出てますか?」

何を訊いてるんだあんたは。
異次元のナンパの常套句?
と思ったが、虫垂炎手術は大腸の一部を切り取る手術である。
術後の大腸が正常に機能しているかの確認だろう。
僕は答えた。

「いや、実はね。僕トイレでしかおなら出ないんですよ」

僕も何を教えてるんだ。
でも本当の本当にマジでそうだから、こう答えた。
小学生の頃、おならだと思って通したらうんこが出たことが何回かあるので、高学年くらいから便器の上でしかおならしないことを自分でルール付けていたら、いつの間にかトイレ以外の空間でおならをすることが「不可能」になっていた。
人前でおならをしないので自分ではいいことだと思っているが、友人と遊んでいる時などはどうしても僕がトイレに行く回数が増えてしまい、申し訳なく思っている。

実は、数時間前からおならしたくなってる。
でもこれがうんこだったらと思うと怖い。
ベッドに寝たままうんこ漏らすなんて、それこそ・・・これは書かない方がいいか。

「いや、おならしたいんですけどね。一緒に便も出るような気がして怖いんです」

自分では弱気なことを言ってると思ってたけど、看護師さんの方からすれば強気の脅迫に聞こえたかもしれんな。

「じゃあ起き上がって、トイレに行ってみましょうか」

ついに来た。ベッドから起き上がる時だ。

病院のベッドには電動リクライニング機能があり、リモコン操作で頭側と足側の角度を調節できる。
頭側を目一杯起こし、僕はベッドの上に座った状態となる。
それから両足をベッドの横側へ投げ出し、看護師さんに背中を押してもらいながら手すりを掴んで起き上が痛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッックッッ った。

その際、看護師さんが「腹筋が痛くなるタイミングが来ると分かる時は、思い切って自分のお腹を押さえると、それ以上の痛みは来ない」というTipsをくれた。
分かりやすいようにゲームでたとえるなら、「わざと小ダメージの攻撃に当たりに行き、被ダメの無敵時間を利用して敵の大技をかわすテクニック」みたいなものだ。
これで不意のくしゃみにも瞬時にお腹を押さえて対応できるかもしれない。

なんとかベッドから立ち上がった僕は、点滴パックを提げたガートル台を押しながらトイレに入った。

あれ?そういえば。


ちんちんに意味不明な管ついたままだよな?



「あ、おしっこの管もう取っちゃいましょうか」


看護師さんも気付いた。
介助ありとはいえ、起き上がってトイレに行くという実績を積んだことで、もうこの意味不明な管は外してもいいと判断したのだろう。

「お願いします・・・」
恥ずかしい。女性にちんちんを見られている。
意味不明な管のついたちんちんを。

まあでも、すぐ外れるでしょ、と思った。
「プンッ」って。一瞬で終わるはずだ。





「じゃあ、外します・・・」







グギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ








え?????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????


僕のちんちんにつけられていた意味不明な管は、びっくりするぐらい長かった。
無論、尿道に直接突っ込まれているものを引き抜いているので、刺激も凄まじい。

「ぃ・・・っまだですか・・・」

「もうあと半分くらいです・・・」

ごめんなさい。
汚ねえもん触らせてるのに、急かしたらダメですよね。
しかしまだ半分かい。どんだけ長いねん。

ギギギギギギギギギ・・・と、ちんちんに付いていた意味不明な管が完全に引き抜かれた。
30秒くらいかかっていたと思う。
看護師さんは「しばらくの間はおしっこする時に変な感触がするかもしれません」と言っていた。


手すりを掴みながら、便座に腰掛ける。
僕が用を足すので、看護師さんはトイレから出ていった。

これで存分に力むことができる。




——フスッー


いや、すかしっぺかい。
こちとら爆音屁(ばくおんぴ)がしたいねん。
爆音糞(ばくおんぷん)もな。
まあ普通に考えて、食ってもいないのにうんこが出るのもおかしいことだ。

ちょっとだけおしっこが出た。
確かに、変な感じがした。
尿道の『奥』から出ているかのようだ。(こう表現するしかない)





この時、初めて自分の手術創を見た。
へその真上に丸めた脱脂綿が乗せられており、その上から透明なラップのようなものが貼られ、周囲をテープで止められていた。
本当にここを切ってカメラみたいなのを突っ込んだのか。

へその左側にも2箇所、小さめの絆創膏が貼られている。
ここから鉗子を挿し入れたようだ。

透けて見えるへその周囲には、少し血が付いている。
自分の体とはいえ、ショッキングな光景だ。
あまり長くは見ていられなかった。

看護師さんに手伝ってもらい、トイレから出てベッドに戻った。

ついでに、暑くて眠れない旨を伝えると看護師さんは氷枕を持ってきてくれた。
氷枕の表面にはでっかく「アイスノン」と書かれていた。よく聞く名前だが、実際に見るのは初めてだったかもしれない。

氷枕を首の下に敷いた。
ひんやりとして気持ちいい。



入院生活2日目 -Dystopia-

目が覚めた。
外はまだ暗い。朝の4時か5時くらいだろうか。
少しだけ眠れたようだ。
なので、便宜上この時点から入院生活2日目としておく。
今日は1月18日だ。

寝汗がすごい。
暑くて目が覚めたようだ。
氷枕はまだ冷たいままだった。長持ちだな。

もう少し眠ろうかと試みるが、一度暑さが気になるとなかなか眠れない。
ベッドのリクライニングを操作して寝やすい角度を求めてあれこれ試してみるが、どれもしっくりこなかった。
そうしているうちに、段々と日が昇ってきた。

朝8時ごろ。
痰や鼻水を排出して、少しだけ呼吸が楽になった。

ノックをして、先生が入ってきた。
ちゃんと顔を見たのはこの時が初めてだが、昨日手術の後に会った先生だとわかった。
「積極的に手足を動かしたり立ち上がったりして、体を動かすことに慣れてください」と言われた。
先生は体温を測ったり、手術創の状態を確認すると出ていった。

その後、床掃除や窓拭きのおじさんが立て続けに僕の病室に訪れる。
この人たちは病院の勤務員ではないんだろうな。


9時ごろ。
僕はTwitterを見ていた。
あまり長時間左手を挙げないように気をつけながら。
僕は普段からタイムラインを全部見るようにしている。
ここ10時間ほどのTLを見てみるが、多くの人が寝ている時間だけあってポスト数はそんなに多くない。

が、あるフォロワーがRTしているツイートに、一際光るものがあった。





これ。面白すぎる。

病室で1人、腹筋が引きちぎれるくらい笑った。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
今僕の腹筋は比喩表現などではなく手術でちぎられた後なので、本当に腹筋に悪い動画だった。
同時に、リハビリに丁度いい面白さでもあるなと思った。


10時ごろ。
看護師さんが2人やって来て、ベッドの上の僕ごと移動させて大部屋に移してくれた。

昨日、手術前に案内されたのと同じ部屋の同じ位置だ。
窓からは陽が差しており、少し暑かった。

この病室には僕を含めて4人の患者がいるようだ。
各病床はカーテンで仕切られており、患者同士の顔が見えることはない。

時々、他の患者さんの声が聞こえる。
僕の向かいのベッドからは老人が伸びをする声が聞こえる。
その隣も老人のようだ。
僕の左隣の患者さんは若いのだろうか。スマホゲームをしているようだ。イヤホンをつけてプレイしているようだが、音漏れしている。相当大音量でやってるな。

11時ごろ。
看護師さんがやって来て、患者衣の着替えを持ってきてくれた。
あつあつの蒸しタオルをもらい、顔や体を拭く。
服を着ながら、この後は1階の放射線科へレントゲンを撮りに行くと説明された。ちなみにここは3階である。

着替えている間、看護師さんの履いているスリッパに何かが付いていることに気付いた。
「鬼滅の刃」に登場する、煉獄さんの刀の鍔のピンズだった。

これについては、特に何の話もない。


着替え終えると、
「じゃあレントゲン撮りに行きましょうか。車椅子に乗ってください」と言われた。

「いや、歩きます」

かっけ・・・僕の人生史上一番かっこいい瞬間だったかもしれない。
まあさっき先生にも積極的に体を動かすように言われたことだし。
僕はベッドから起き上がり、ガートル台を押して自分の足で歩くことにした。

一歩ごとに、振動が腹筋に響く。
ジンジンと痛い。

歩きながら、看護師さんと話をした。
ようやく今日の昼から食事が出るらしい。
僕は丸1日ぶりにものが食べられると聞いてすごく嬉しくなり、

「お寿司とかですか?」

と訊いたが、寿司ではないらしい。残念。

「たぶん、思っているような『食事』ではないですよ」
と言われた。なにそれ。怖。


1階の放射線科に到着し、レントゲン撮影を行った。
専用のベッドに寝そべる時と起き上がる時が痛かった。お腹を押さえて無敵時間を利用するテクニックは使っているのだが。

病室へ帰る間にも、少し看護師さんと話をした。
僕は退院後、どれくらいで仕事に復帰できるのかが気になっていた。

僕の業種は、割と力仕事が必要になる場面がある。
30kg近い箱を何個も運ばないといけない時もあったりする。
そう話すと、「退院後1週間は重い物を持つのは控えましょう」と看護師さんに言われた。

そうかぁ。またオーナーに連絡しておくか。


12時ごろ。
ベッドで横になっていると、昼食が運ばれてきた。
床頭台の上に置かれたお盆の上にはいくつかの皿やお椀が並べられており、衛生面に配慮してのことだろう。全て蓋がされている。
昨日の朝のフルグラ以来、待ちに待った食事だ。

順番に蓋を開けてみる。

  • 白濁した水

  • 餃子の中身みたいなやつ

  • にんじんのペースト

  • さつまいものペースト

  • 白くてふわっとした・・・ペースト

  • 冷たくて水気の多い黄色いペースト




なんこれ。





僕が呆気に取られている間にも、病室内の他のベッドの方からは食事をかきこむ音が聞こえてくる。
グズグズしてないで、僕もいただくことにしよう。


一目で正体が分かったものについてはわざわざ説明しないが、一つずつ食べながら紹介していく。

まず、白濁した水。少し温かい。
スプーンで底の方をさらうと、長ーーーいタバコの灰みたいなものがいっぱい沈んでいた。
これは、ふやかした白飯だ。
さっき看護師さんがチラリと言っていた三分粥(さんぶがゆ)というやつか。
これが主食って、キツいな・・・。

餃子の中身みたいなやつは、生姜とネギとキャベツと、挽き肉だろうか。
まさに餃子の中身みたいなやつだ。
当然加熱調理済みだろうが、なぜかキンキンに冷たい。

次に、白くてふわっとしたやつ。
これは白身魚のほぐし身だった。
ただ、ほぼペースト状になるまでほぐされている。

最後に、冷たくて黄色いやつ。
これは直感で分かったのだが、デザートのポジションのはずだ。
やけに汁気が多い、濃い黄色の粒々。
みかんだろうか?
一口食べて分かった。桃だ。
これは缶詰のシロップ漬け黄桃を粉微塵にしたものだ。






いや、





こんなん、病院食じゃん。

そりゃそう。だってここ病院だから。

しかしあまりにも『病院』すぎるメニューに気が落ち込んでしまった。
ショックは大きくはないが、小さくもない。
中ショックである(昼食だけに)(一同爆笑)(全員生存)(無血革命)

やはり消化器官の手術をしたからには、しばらくは消化にいいものしか食えないのか。


10分ほどかけて、それらを食べ終わった。
なんて歯ごたえのない食事だろう。

余談だが、お盆には食器の他に「そば 禁忌」と書かれた小さな紙も乗っていた。
僕はそばアレルギーなので、おそらく患者ごとのアレルゲン食品を記しておく紙なのだろう。
確かに絶対必要な情報だが、それにしても「禁忌」という言葉を使っているのは面白い。


入院生活中最初の食事が終わったあと、看護師さんがやって来た。
看護師さんは僕がいつ退院するかの希望日を訊いてきた。最短で明日退院できるそうだ。
僕は少し考えてから、「明後日がいい」と答えた。
ちなみに考えたふりをしただけで別に何も考えていない。

ただ、まだ腹部が痛いので1日長く世話になった方が得だと思った。
仮に僕が身動きできなくなったとしても病院ならすぐ誰かに助けてもらえるが、自宅ではそうはいかない。
家族が仕事に出ている時間にそうなったら、僕1人ではどうすることもできない。
その1日で痛みが幾分か大人しくなることに期待して、1月20日の退院を希望した。
看護師さんは了承して、病室から出ていった。


午後は、ほとんどベッドの上で過ごした。
満足に歩けないので当然なのだが。
ずっとYoutubeで「でんぢゃらすじーさん」のアニメを見ていた。
原作からやや手が加えられ、現代日本ナイズされているため、当時ほどの面白さは感じないものの、たまに原作再現に力を入れている回がある。
特にゲベ登場回は良かった。
これも懐かしさ込みの面白さで、リハビリに向いていた。
僕は声を殺して笑っていたが、隣の患者さんには聞こえていたかもしれない。

時々立ち上がって、病室を出て長い廊下を歩く。
給湯室にあるサーバーからほうじ茶を1杯もらい、また長い廊下を歩いて病室に戻る。

で、じーさんを見る。
これの繰り返しだった。
たまに緑茶も飲んだ。


17時ごろ。
空がカズレーザー色になってきた。
看護師さんが来て、僕の左腕についている点滴の針を外してくれた。

ようやく身軽になった。
先ほどまでよりもスムーズにお茶を取りに行ける。
そしてトイレにも楽に行ける。
お茶を飲みまくっていたので、僕はめちゃくちゃトイレに行く回数が多かった。
入院中、20回以上は行ったと思う。

まあ、この頃に排出していたのはほとんど点滴の水分なのだが。
意味不明な管を外したことによる排尿の違和感にもそろそろ慣れてきた。

18時。
夕食が運ばれてきた。
例によって全ての食器に蓋がされているし、今回も「そば 禁忌」の紙が乗っている。
あと小さめだが、バナナが1本そのままお盆に乗っている。

蓋を開けていく。
またペースト状のフルコースかと覚悟したが、今度はちゃんと食べ物が食べ物の形をしていた。どんな安心の仕方だ。


どんなメニューがあったかは詳細には覚えていないが、味噌汁はあったような気がする。

昼に食べた三分粥と違って普通のお粥が出てきた。院内では全粥(ぜんがゆ)と呼んでいるようだ。


おかずの中に、目を疑うものがあった。

茹でた鶏肉に、タルタルソースがかかっていた。

これマジ?タルタルってマヨネーズでしょ?
胃にヤバくないか?

調べてみると、乳化した油脂(バター、マヨネーズなど)はセーフらしい。
まあさすがにプロがそんなポカをやらかすわけないか。ガハハ


バナナは異常なほど冷えていたので、他のものを食べて常温に戻るのを待ってから最後に食べた。
それでもまだ冷たかったが、喉を通った後は案外気にならなかった。

食事中、腸が活発に動いているのを感じたので、食べ終わったらすぐさまトイレに行った。
そしたら丸1日以上ぶりに出た。嬉しかった。


その日のオモコロチャンネルの動画を見た後は再びじーさんを見まくり、時折お茶を飲んだりトイレに行ったりした。
点滴が取れたことでヒョイヒョイ動ける。
ちなみに、床頭台の前に置いてあるパイプ椅子に座っている方が、ベッドに寝ているよりも楽だった。

しばらく友人とLINEした後、1時ごろに寝た。





入院生活3日目 -Clear-

朝7時ごろ。
目が覚めた。
実際には夜中にトイレに行くために何度か起きているのだが。
少なくとも5回は行った。
お腹が張ってるのに屁すら出ないんだから、そら不安にもなるわ。何度も行きたくなるのも仕方ない。

夜勤の看護師さんが僕の病床まで様子を見に来た際、僕がトイレで不在だったことが昨晩だけで2度あったらしい。
さすがに行きすぎかと思ったが、ベッドの上で漏らすよりはいいだろ。


そろそろ、自分の体の臭いが気になってきた。
ずっと熱があり、全身に汗をかき続けている。
その上で丸2日間風呂に入ってないものだから、あちこちが痒い。
髪の毛も汗や皮脂のせいでペッタリしてるし。
頬をポリポリ掻くと、剥がれた垢が爪に溜まった。
不潔だ。

風呂入りてえ。
退院まで風呂はお預けなのだろうか。

靴下もずっと同じのを履いている。
加えて靴も病院が用意しているスリッパなどではなく、家から履いてきたスニーカーをずっと履いている。
成人男性が普段から履き倒している靴である。
足の汚れと臭いもヤバい域に達していそうだ。
足湯だけでも入らせてくれ。
足湯ないんですか?この病院は。
作ったら人気出ると思うよ。


8時ごろ。
朝食が運ばれてきた。

この日食べたものはぜんぜん思い出せない。
思い出せる限り書くと、

  • 朝昼夕すべて全粥(ぜんがゆ)だった。

  • 朝食には200mlパックの牛乳と、デザートに缶詰のみかんが出た。

  • 夕食には再び小さいバナナが出た。

  • すりおろし生姜が乗った冷奴が出た。

  • 白身魚の生姜あんかけが出た。病院食は生姜を使った料理が多い。

特記がないものは朝昼夕のいつ出たものだったか忘れたものである。
無論、朝昼夕すべて「そば 禁忌」の紙がお盆に乗っていた。


同室の老人がいるベッドの方から、カチャカチャと激しくお粥をかき混ぜるような音がたびたび聞こえてくる。
まさか、すべてのおかずをお粥にぶち込んで食っている・・・?
もう食の楽しみとか感じなくなっているのだろうか。


10時ごろ。
相変わらずでんぢゃらすじーさんを見て過ごしている。
アニメのチャンネルに企業案件とか来ることあるんだ・・・。

看護師さんが来て、体温を測ってもらった。
「お風呂入りたいです」と漏らすように言うと、
「シャワー室がありますよ」と教えてくれた。
あるんかい。しかも全身洗えるやつが。

シャワー室は予約制らしく、予約表に名前を記入する仕組みだった。
僕は看護師さんに予約表のあるところまで案内してもらい、13時からシャワー室の予約を取った。


12時ごろ。
昼食が運ばれてきた。
前述の通りメニューの内容は忘れている。


12時40分ごろ。
僕は改めてシャワー室の予約表を見た。
使用時間は30分区切りとなっていて、僕の前後の枠、すなわち12時30分〜13時0分と、13時30分〜14時0分の記名欄は空欄だった。

空いてんじゃん。
じゃあ早めに使わせてもらおうかな。
しかも、ちょっと長引いても問題ないみたいだ。

一応、スタッフステーション(看護師さんが常駐している場所)に声をかけて、12時50分頃からシャワー室を利用させてもらった。

手術創に貼ってある絆創膏やテープは水に強いらしく、そのままシャワーを浴びて問題ないとのことだった。
時間の許す限り、全身の垢を擦り落とした。
シャンプーも2回した。

シャワーを終え、体を拭いて新しい患者衣を着る。
さっぱりした。
あとは髭が剃れたら完璧だが、ないものは仕方がない。

ちなみに、シャワーの後に履いたパンツと靴下は、シャワーの前に脱いだのと同じもの。
つまりこの病院に来た日の前の晩から履き続けているやつである。
いま清潔にしたばかりの体に、汗や尿が染みに染みついているパンツと蒸れに蒸れた靴下を履く。
その点だけは最悪。
父が下着類を用意してくれていなかったせいである。
後になってあの時のパンフレット見たら患者用のパンツとソックス購入できるじゃねえか。300円くらいで。何をケチってんだ。

とはいえ、顔や手など普通に触る部分は綺麗になった。
今朝に比べたら気分も晴れやかである。
シャワー室を出て、近くにいた看護師さんに使用の終了を報告した。


午後は・・・だいたい昨日と同じように過ごした。
お茶を飲みつつ、じーさんを見続ける。

時々痰がからみ、その度に排出を試みる。
腹筋の痛みも相まって激しくえずく。
他の患者さんには不快な思いをさせてしまい申し訳ない。


18時ごろ。
夕食が運ばれてきた。
前述の通り、バナナ以外のメニューがなんだったかは覚えていない。


夕食後もやることは変わらない。
ずっとYoutubeだ。
じーさんは全部見終えてしまったので、毎週更新の仮面ライダーゴースト(23-24話)の見直しをした。
放送当時はつまらんつまらんとバカにしていたものだが、今見るととても面白い。
人間が生きることの素晴らしさを教えてくれる。
あの頃は僕も青二才だったので、この作品の真の面白さに気付けていなかったようだ。

さて、そろそろ寝よう。
明日で退院だ。
今夜くらいは眠れるといいが。




退院

朝7時ごろ。
目が覚めた。
昨夜は比較的よく眠れた気がする。
それでもまとまった睡眠は5時間くらいだと思うが。


今日は1月20日。
いよいよ、今日の10時で退院だ。
長かったようであっという間だったな。
手術後の数時間と入院3日目の長さってほぼ同じに感じたもんな。

10時に両親が病院まで迎えに来てくれることになっている。
それまでは、今しばらく入院生活を楽しむとしよう。


8時ごろ。
朝食が運ばれてきた。
退院直前の最後の食事は、唯一写真を撮ってある。
退院後の食事の参考になると思ったからだ。

  • 白飯

  • 味噌汁

  • きゅうりの漬物

  • インゲン豆と昆布の甘辛煮

  • 牛乳


肉なしゲンじゃん。
これじゃ退院後に肉食べていいのか分からないよ。

たぶん、脂っこい肉でさえなければ食べられるだろう。鶏そぼろとか。
ホルモンとか豚トロなんか食ったらヤバいだろうな。

久しぶりの、歯ごたえを感じる米を噛みしめて味わった。


9時ごろ。
また長い廊下を歩き、給湯室から1杯お茶をもらって病室に戻った。
入院生活中に確立されたこのルーティンも、これで最後になる。

お茶を飲んでいると看護師さんがやって来た。
もう手術創に貼ってある絆創膏を剥がしてもいいとのことだ。
ちょっと怖かったので、看護師さんにやってもらった。
術後初めて見る自分のへそは、前とほんの少しだけ違っていた。
でも、手術痕はまったく気にならないほど小さく、へその皺にうまく紛れていた。


もうそろそろ時間だ。
服を着替え、忘れ物がないか確認する。
コップに残ったお茶を飲み干して、僕は病室を出た。

歩くたび、腹筋はまだジンジンと痛む。
けど、なぜだかその痛みが誇らしかった。

廊下ですれ違う医師や看護師さんに挨拶し、スタッフステーションにいる皆さんにお礼を言った。

給湯室のすぐ側、自動販売機が設置されているホールの椅子に、父と母が座っていた。
二人に会ったら、まずどんな言葉をかけようか。
実は、さっきお茶を飲んでいる間に考えていた。

二人が僕に気付き、手を振ってくれた。

僕を迎えてくれている。

嬉しくなった。

僕は二人の前まで歩いていき、

「どしたん?二人とも。どっか病気?」

と声をかけた。




おわりに

以上が、発熱から退院までの間に僕の身に起こったことの記録である。

今はもう、腹部の痛みは感じない。
最近は近所の山に登ったりもしている。

退院後のことについては、また機会があれば書くかもしれない。






最後になるが。

「フォアグラ」とは、多量の餌を与えて太らせたガチョウやアヒルなどの肝臓のことをいう。
カモの肝臓ではない。

もっとも、アヒルは原種であるマガモを家禽化したことで誕生した品種であるのだが。

「カモ」と「フォアグラ」に、直接の関係はない。
皆さんもお間違えのなきよう。















久々の家は、寒かった。








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