見出し画像

番外編:「君たちを、見ていたい」

画像1


もし。


過去に戻って、ライブに行けるとしたら。


…前回は、
つい、ひとりで行くことを
考えてしまった。


家族で行くとしたら、
そうだな、どのライブに行こうかな…。



一度、ブルーノートの
野外フェスに行ったことがある。

いちオーディエンスとして行く、
野外フェスはそれが初めてだった。


DJとか、スタッフで出た
小さなフェスはあったけど。


会場に着いたら、
パット・メセニーがちょうど
リハーサルをしているところで、
舞台の脇で聴いていた。
それだけで、
とても幸せな気持ちになったことを覚えている。

当時は息子がまだ赤ちゃんだった。
だから指定席は取らずに、
後ろの自由席、前の方に陣取って、
主にメイン・ステージのアーティストを
観ていた記憶がある。

お目当てはもちろん、パット・メセニー。
あと、ロバート・グラスパー。
息子が小さかったので、
夜のベックは、聴けないだろうなと思っていた。
インコグニートの途中で
会場を後にしたことを覚えている。
後ろ髪引かれる思いだったけど、仕方ない。



中華街に近いホテルをとり、
妻と幼い息子と、3人で中華街を巡った。
いろんな餃子や、小籠包を食べたっけ。
昼飯はネットで調べた、
炒飯の美味しいお店にした記憶がある。
そしてやっぱり、美味しかった記憶がある。

あの頃はまだ、父親としての自覚も
そんなになかったと、今になって思う。

息子と3人だったけど、
どちらかと言うと、
妻とのデートの延長線上みたいな
気持ちの方が大きかったはずだ。


だけど、妻はもう立派に母だった。
ライブの時も、中華街を散策する時も、
一貫して妻の行動の基準は
「息子」
だった。


息子がおなかをすかせていないか。
息子がねむたくないか。
息子がつらくないか。
息子のおしめを、替えなくてはならないか。
常に息子に気を配り、
息子のためを想って行動していた。

娘が生まれた今でも、
子どもたちのことが妻にとって
最優先なのは、変わらない。




当時はそこまで変わるものか、と思ったが、
今は、私も変わったのだろう。
「そこまで変わらなくては」
と思うようになった。


子どもは、ひとりでは育つことができない。
誰もが抱きしめられて、
愛されて、温もりを感じるべき存在だ。


時に手を差し伸べて、時に諭して、
時に転んだときの起き上がり方を
いっしょに考えて、
歩み方を自分で選べるように。
そしてその歩みを、
いつまでも応援されるべき存在だ。


親も、ひとりでは親になることはできない。
子どもとの関わりの中で、
自問自答、反省と後悔を繰り返しながら、
子どもに親にさせてもらうんだ。


だけど、自分の子どもといえども、
接していて
身体的、精神的に辛いことや、
理解できないことはあると思うから、
そんな時は声を上げて、
周りにどんどん頼っていいと思う。


ひとそれぞれに
我慢できる痛みの程度が違うように、
抱えられる悩みの大きさや量も違う。


だから、我慢しなくていい。


辛い時は辛いって言っていい。
抱え込まなくていい。
それはあなたのせいじゃない。
誰のせいでもない。
だからうまくいかなかったとしても、
必要以上に、自分を責めないでほしい。


いつもながら、うまく言えないけど。
そう思うんだ。


母や父、子どもたちが、
それぞれお互いに関わっていって、
家族になっていくんだ。

悲しい時は、みんなでそれを
分かち合えればいい。

辛い時は、お互いによりかかればいい。

楽しい時は、みんなでいっしょに
大きく笑い合えるといい。

そう思うよ。


ひとそれぞれの育児・教育方針が
あると思うし、
それに口を挟むつもりはないけど、
私はそう思う。



子どもたちが生まれてから、
子どもたちを第一に、
生きている妻をずっと見てきた。


妻も私も、子どもたちが生まれてから、
生活スタイルを大きく変えてきた。
正直、夫婦ふたりでいる時より、
自由に使える時間やお金は減った。

でも、お互いに自分を大きく犠牲にしてきた、
という感覚はない。
妻にも聞いたけど、同じことを言っていた。

ふたりで見ている景色が、
さんにんで見る景色に変わった。
そして今はよにんで、同じ景色を見ている。
同じ音楽を聴いている。
妻と、子どもたちが見せてくれる景色がある。
この時間は、私にとってかけがえのないものだ。


私が生きている実感を、
妻と子どもたちは、与えてくれる。


いつかはまた、
さんにんになり、
ふたりになり、

もしかしたら、
ひとりに、なるかもしれないけど。


この時間を過ごした記憶が、
私を生かしてくれるだろう。


ほんとうにみんな、ありがとう。


私も妻も、外見は年相応になった。
けど、妻は出会った時から、
ずっと、とても美しい。

子どもたちは、どんどん大きくなっていく。
その成長は、他の何にもかえられない喜びを、
私にもたらしてくれる。

そういう妻と、子どもたちの
そばにいられることを、
とても幸せにおもう。




もし。


家族で、過去に戻って、
ライブに行けるとしたら。

あと20年後くらいがいいな。


そしてあの時の、
「BLUE NOTE JAZZ FESTIVAL」
に行きたいな。


そしたら、パット・メセニーの
「FIRST CIRCLE」
で、いっしょに手拍子を叩こう。
うまくできないよって、笑いながら。


「LAST TRAIN HOME」
では、エレクトリックシタールの
奏でとともに、
風に吹かれよう。


きっと、すごく楽しいだろうな。


そんな想像ができることが幸せだな。
やっぱり、ありがとう。



でも、過去には戻れないから、
子どもたちがもう少し大きくなった未来、
ブルーノートやモーションブルーに、
家族で行こう。


きっとそこでは、素晴らしい体験が待っている。


もしかしたら、人生を変えてしまうほどの。



おとうさんは、その時のライブもそうだけど、

ライブを楽しんでいる、君たちを、見ていたい。

ここまでお読みくださり、
ありがとうございます。

今後も、
あなたのちょっとした読み物に、
私のnoteが加われば、
とても嬉しいです。

今日があなたにとって
いい、いちにちでありますように。

アイ


P.S. Twitterもやっています。
よろしければフォローしてみてください。

https://twitter.com/JazzKissaClart

この記事が参加している募集

サポートいただけましたら、とても嬉しいです。