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反応と気づき

それは昨年末、母方の実家・富山で受けていた整体での一言だった。

「筋トレは負荷をかけるのではない。反応させるんです」

おや?と首を傾げつつ、むくむくと「小人」さんの動く姿が目に浮かんだ。


富山は母の実家でもありぼくの出生地。
祖父が高齢で独り身ということもあり、定期的に様子をみに戻っている。
祖父が体調を崩したり、精神的不安定な時、その整体師さんに来てもらい、体のメンテナンスをしてもらうことで、心持ちもしっかりしてくるようで、心体ともに、いくらか改善につながっているらしい。
その縁でぼくと母も帰省時に整体施術を受けている(ぼくはこれがきっかけで今の家から定期的に整体に通っている)

今回は首と肩の凝りをほぐしてもらい、体の使い方や重心の位置を調整してもらった。
その中で腹筋のレクチャーを受けた時「それ、やりすぎ」と指摘を受けた。

ジムや動画で紹介されている腹筋のようにしっかり腹を曲げるのではなく、まず首を起こして目線を腹に向けていく。
首は曲げすぎない。
腹(おへそ)を見るように首(目)の位置を動かし、おへそが見えてきたあたりで「うん、そこまででいいよ」と止められたのだ。

あれ?こんなんでいいの?
全然状態起こしてないし、負荷がかかってるように感じないけど

というぼくの疑問に整体師さんが答えたのが、冒頭のコメント。

負荷ではなく、反応。
疑問は残りつつも、その「腹筋」をゆっくり10回行う。

終わってみて、あまりお腹を鍛えた感覚は薄いが、確かに「ぴくっ」とどこかが反応したような感覚はあった。

これでいいのだろうか?

やはり、疑問は消えない。

この疑問を整体師さんに帰り際に聞いてみた。
「体を急いで鍛える理由があるなら別だけど、体を整えるためであれば柔らかく反応しやすく、感じやすい体を作ったほうがいい。現代人は硬直しがちで型がつくられてしまうので、そこからときほぐす、という手順が必要。
あまり動かしていない部位や筋肉を動かすことで、体全体の活性化を誘発させるのが有効なんだよ」

なるほど、このアプローチは僕の考える体内イメージと近い。

昔から体内には「小人」さんがいて、成分や水分を運んだり、傷づいた部分を修復してくれる絵を想像することが多かったぼくにとって、「反応」させる、というのは「小人」さんのやる気を促進させる、ということだと置き換えられる。

この目線で最近のダイエット(体幹)メソッドをみてみると、ガッツリ筋肉をつけよう、という意図ではなく、スタイルを良くする、とか内臓や腸の働きをよくしよう、という目的を持ったやり方にメッセージが絞られている。
手軽さや、やりやすさが注目されているのかと思っていたが、圧をかけるというより身体の作用を促す、というところこそポイントがあるのかも。

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↑この本も読んでみると「日頃動かしていない箇所へのアプローチ」が特徴(なぜか自宅にある)


その一方で、この手のことを知ったとき、これを「気づき」と表現するなあ、とも思った。
これと「反応」との違いは何だろうか。

「気づき」を調べてみると、「認知神経科学の文脈での「気づき」は英語のawarenssの訳として用いられ、外界の感覚刺激の存在や変化などに気づくこと、あるいは気づいている状態のことを指す。」とある。
つまり、感覚を捉える(自覚する)理性的な接点のこと、のようだ。

一方「反応」は「生体が、刺激を受けた結果として変化や活動を起こすこと」とあり、コントロール意識の外で起きる現象全体を指す、ということらしい。

広い意味でいうと同じ事を指しているようにも見える。
「反応に気づく」「気づきに反応する」
うん、どちらの表現も(あんまり使わないけど)使えなくはない。

ここだけみると、「反応」と「気づき」は同時に起きていて、順番(使い方)を入れ替えても文法的には成立しそう。

ただ、整体については、「反応」という概念がしっくりきていて、「反応」という事象から「気づき」を得た、というのがぼくの捉え方であって、ここには順番が存在している。

とはいえ、ぼくが捉えられているセンサーの範囲では順序があると思えたことは、言葉を当てはめたので「順番」として立ち現れてきた、とも言える。

この先はもはや「悟り」の次元の話のような気もするので(笑)今回はここまでで止めておきたい。

いずれにせよ体感で違いを見出せたことは、身体的アプローチをする上でのヒントになりそうだ。


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