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【2020年6月25日/Zさんへの手紙】

Zさま

こんにちは。いかがお過ごしですか?

わたしの住む東京は、あの自粛期間が嘘のように、以前のような賑わいを取り戻しつつあります。一つだけ明らかに、違うのは、どこにいってもほとんどの人がマスクをしているという「光景」でしょうか。そちらはどんな感じでしょうか。

東京にいらしたら(来られないと思いますが)美術館だけでなく、博物館や図書館(国会図書館は抽選ですよ)の「今」を体験してみてください。
各ガイドラインが出ていて、それに対する各施設の解釈や行動などが興味深いですよ。

ある博物館では、一時間半ごとに退館させ、館内を消毒清掃をするとか、フェイスガードをして接客するとか、利用者には熱を測り住所を書いてもらうとか、ものものしい感じでした。
もっとも、そういった対策も、だんだん慣れてきてしまい、そんな東京の光景になじんでいる自分も怖いです。

とある公共の広場を通ったら、コロナの検査会場になっていました。かつての自分ならば、日常にコロナという非日常がはみ出してきたことにびっくりしてしまうでしょうが、あまり驚きませんでした。

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わたしの母の友人のご子息の配偶者のおじいさんが、コロナで亡くなったことを聞きました。わたしにとってみたら、「わたしの母の友人のご子息の配偶者のおじいさん」は、縁もゆかりもありません。面識も全くありません。

でも、その話を聞いたとたんに、わたしはコロナによる死というものがとても生々しく身近に感じられるようになりました。
著名人ではなく、自分につながる人の中でコロナにより亡くなった初めての「名前を持った人」でした。

それ以来、日本のコロナ死亡者数の中にその「おじいさん」も入っていると思うと、「日本人はコロナで死ぬひとが少ない。犠牲者は少ない」「たいしたことない」などという発言にかなり傷つくようになりました。死者数ではないのです。

ひとりひとりの人生と命を弔わなければなりません。

たった一人でもコロナにつながるひとを知ったいるかいないかで、想像力は違ってしまうのだと自戒を込めて感じています。これは、コロナだけの問題ではないですね。

先日、広島で爆慰霊碑に納められた原爆死没者名簿に外気を当てて湿気を取る「風通し」のニュースをみました。名簿は昨年より2冊増えた118冊で、新たに広島の被爆者5068人の名前が加わったそうです。

わたしは、広島や長崎で原爆死した方の体験談をこれまでわりと多く聞いてきました。その方々の名前もその名簿には書かれているのだな、と今回、改めて意識しました。

なお、長崎は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、名簿の搬出作業を担う東京都の専門業者が来られなくなったために、今年の風通しはできなかったそうです。たかが、紙に書かれた名前ですが、一年間、めくられず風に通されないのか、と思うとちょっとせつない気持ちにもなりました。

先日の沖縄慰霊の日もそうでしたが、戦後75年の節目にあたる年であるのに、広島と長崎の平和式典もコロナの影響で規模を縮小して行うらしく残念に思っています。来年、3月の東日本大震災の10年もどうなるのか心配です。

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また お会いして話したいです。
そんな日が来るまで、ご自愛ください。

かしこ。 

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