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【SS】【短編】リリーの声

「そんじゃあ、これが手間賃と俺の熱帯魚ちゃんね」
一般的な1LDKのリビングの24インチのテレビの横に同じぐらいの大きさの水槽が設置され、ターコイズブルーの鱗と大きくて真っ赤な尾鰭の熱帯魚が優雅に遊泳している。バーコードを読み取った電子小切手には予想していた金額に0が二つ多い額が入金されていた。さすが、世界規模で普及したシステムを開発してしまっただけのことはある。自分が部屋で妄想の世界に浸っている間に幼馴染のこの男は、すごいことを成し遂げてしまった。
「こんなに貰っちゃって良いの?たかが、金魚1匹だよ?」
「金魚じゃねーよ!ハーフムーンプラガット!ちなみにレディーだから、丁寧にな!」
「はいはい、分かった」
餌をあげるタイミングだとか、水を替えるタイミングだとか、照明とポンプの電源は絶対落とすなとか、色々説明しているのを右から左に聞き流す。分からなければネットで調べれば良いし、何かあればメールで連絡すれば良い。
「で、未来って何年ほど飛ぶの?」
「予算とか、安全性とか諸々考慮して、250年」
未来旅行は金もかかるが、紛争やらテロやら新兵器やら新型ウイルスやら危険も相当にある。何百年も飛んで、戻ってこられなかった人もいるらしい。多分、フォールアウトみたいな核戦争後の荒廃した未来とかに飛んじゃって、飛んだ先で死んだとか、そんなところだろう。
「ねぇ、タイムマシンどんなのだったか教えてね」
「んなもん見れねぇよ。旅行会社のホテルで眠らされて、目が覚めたら250年後の旅行会社のホテルのベッドの上だぜ」
なるほど、そういうシステムなのか。と、感心する。機密保持とか企業秘密とかの観点でそんなシステムなんだろう。
最寄りの駅まで歩いて見送り、いってらっしゃいと手を振ってやると、改札を抜けても何度も振り返って腕をぶん回して、いってきますと叫んでいる。なんとも無邪気で可愛いが、通行人が迷惑そうだった。
この大富豪、直哉とは家が斜向かいの幼馴染だ。小さい頃から活発で頭が良く見た目も良いからクラスの人気者だった。対照的に引きこもりの鈍臭い地味な私。そんな私たちだが、お互いに居て当たり前の存在で何だかんだ気が合うからとこの歳になるまで仲良く幼馴染を続けている。小さい頃や学生の頃に想いを馳せて、少し懐かしい気持ちになりながら苦笑いを浮かべる。

部屋に戻って水槽でひらひら泳いでいる熱帯魚にただいまを言うと、パソコンに向かって原稿の続きを書き始める。幼馴染の片方はシステム開発者の大富豪で、もう片方はしがない小説家だ。
これから暫くは二人暮らしか。
耳に慣れないポンプのモーター音が静かな部屋に鳴り続けた。

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「ねぇちょっと、お姉さん。お腹空いたんだけど」
ティンカーベルがもし喋ったらこんな感じなんだろう。小さくて透き通った、それでいて意志の強そうな声がパソコンの前で寝落ちしていた百合絵の耳に届く。寝ぼけ眼で、そう言えば餌やってないなぁ、と思いながら熱帯魚の水槽に一回分の餌を入れる。一回分が小分けされてるのは便利だな、と感心する。しばらく熱帯魚のお食事を見守ってから、コーヒーを淹れようと立ち上がる。
「ありがとう、お姉さん」
ピタリと立ち止まり、180度体を回転させると、ほとんどスライディングの勢いで水槽にへばり付く。
「今喋ったのあんた?」
「ええー!聞こえてるの??何でよ!恥ずかしいじゃない!!」
「マジかよぉ空想のしすぎで遂に頭イカれちゃったよ…」
そのまま黙ってもう一度立ち上がってキッチンでコーヒーを入れる。
「ねぇ!ねぇったら!聞こえてるなら無視しないでー」
ひっきりなしに自分に話しかける熱帯魚を無視して、ネットで評判の良い精神科医を調べる。このままでは作家生命どころか、人間として終わってしまう。それだけは、どうしても避けなければ!家からの距離とそれなりの評判の精神病院の営業時間を確認して、洗面台で顔を洗う。受付開始時間に合わせて家を出ようと車の鍵を持った瞬間、メールが届く。ディスプレイを見ると差出人は直哉、送信時間は250年後の今日。

『お前ってすげぇ奴だったんだな!こっち着いてそっこーで知り合いの名前検索かけて誰が有名になったか調べてみたら、俺とお前の名前がヒットしたんだよ!俺はまぁ分かるとして、お前もかよ!なんか魚と対話した最初の人類らしいから、俺の熱帯魚ちゃんとも仲良くやれよ!明日お前の博物館行ってくるから、詳しくはその後教えてやるよ。ちなみに俺は高額納税者ランキングで殿堂入りして銅像とかあった!じゃあな!』

なんてことだ。今朝からの一連の出来事は紛れも無い事実。車の鍵をテーブルに置き、上着を脱いで、デスクチェアーを水槽の前に移動させると、百合絵は熱帯魚に話しかける。
「無視してごめんね。どうやらこれは現実らしいね」
水槽のアクリル越しに真っ黒で大きな瞳と目が合う。
「ようやく受け入れてくれたのね。嬉しい」
そう言うと、熱帯魚はくるりとバック転(?)をキメて喜んでいる。
「でね、これから一緒に暮らすに当たってまずは名前を決めたいと思う」
「直哉くんは『俺のお姫様』って呼んでくれてたわよ」
「うわ、キモいな…それは却下ね。私が似合うと思うのは『Lily』なんだけど、どう?」
「良いかも!じゃあ今日から私はリリーね」
「私は百合絵。改めてよろしくね、リリー」
「よろしく、百合絵さん」
くるくると嬉しそうに泳ぎ回るリリー。自己紹介を兼ねて取り留めのない会話で縮まっていく距離に、胸の奥があったかくなる。
小さい頃の出来事、好きなもの、好きなこと、熱帯魚事情、人間事情、その他色々。それから、直哉のこと。そうしてどんどん時間は過ぎて飲みかけのコーヒーは冷たく酸っぱくなっていった。女という生き物は種族を超えても基本的におしゃべりが好きですぐに仲良くなれるのだと思った。

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現実を受け入れ、楽しくなってきたたところで、自分にはしなければいけない仕事があったのだと思い出す。こんな私でも一応はそこそこ人気のラブコメ作家なのだ。早速、萌える展開を妄想して文章にしなくてはいけない。締め切りはまだ先だけど、前倒して仕上げる越したことはない。ソファーに体を沈みこませると目を閉じてあれやこれやとシチュエーションを脳内展開させる。アウトラインだけ出来上がったストーリーに萌えシチュエーションで肉付けしていく。イメージが湧いて集中できればこっちのものだ。何時間でもパソコンに向かっていられる。
時折聞こえてくるリリーの鼻歌に癒されながらキーボードを叩き続けること、数時間。ちなみに、リリーは歌が上手い。直哉が家でかけていた曲を覚えたらしい、流行りのラブソングをよく歌っている。窓の外は暗くなっているしお腹も空いた。百合絵は眼鏡を外して伸びをすると立ち上がり冷蔵庫の中を覗く。そろそろ買い物に行かなくてはいけないな。生野菜の類がすっからかんだ。今夜は諦めて出来合いのたらこパスタをレンジでチンする。
「レディーがそんなお粗末な食事で良いの?」
「しょうがないでしょ、今はこれしかないの。明日スーパー行くよ」
ふーん、と疑い深いトーンの相槌が帰ってくる。直哉が凝り性で毎晩レストランみたいな夕食を自炊しているのを見たのだろう。あいつと比較しないで欲しい。私は味がそこそこでお腹が満たされればこだわりはそんなに無いんだ。
チン出来るまでの時間を持て余して電子レンジの前でダンスしていると、リリーが堪え切れないといった感じで笑い始める。見ると水槽の中でぐるぐる回転しながら沈んでいく。しまった。つい、一人の時の癖が出てしまった。気をつけないとこれからは常にリリーが見ている。それにしても爆笑するとああなるのか、面白いな。

いつもは食事をしながらパソコンに向かっているが、今日はデスクチェアーを水槽の前に移動させてリリーと話をしながら食べる。完全に女子会ノリの会話で、人間も魚も女は女なのだと実感する。
「ペットショップに居た頃は両隣の水槽がオスでね、毎日毎日求愛して来て困ったものだったのよ」
「モテてたんだね」
「そりゃそうよ!こんな見事な鱗の色と尾鰭のグラデーションなんて滅多に居ないんだから!それに鱗の並びも綺麗だし」
そう言うと、見せつけるように水槽の中をぐるりと大きく旋回する。
まぁ確かに、人間から見てもリリーはかなり綺麗な熱帯魚だ。直哉がペットショップで買った時にもかなり値段が張ったことだろう。今や国家一つ買収できるほどの財産を手に入れちゃったわけだから、高価な熱帯魚なんて簡単に手に入るんだろうけど。と、どうでもいいことが一瞬頭をよぎる。
「その求愛はどうやってあしらうの?水槽は離れてても毎日されるんでしょ?」
「相手の目を見ないでゆっくり尾鰭を動かしながら水槽を大きく一周するの。それで終わりよ」
そう言って、私に見せた中で一番美しい泳ぎをして見せた。人間で言うところのモンローウォークと投げキッスみたいなものかな。水の中を鰭が揺れる音がキラキラ聞こえてきそうだ。これは同じ魚類じゃなくても見とれてしまう。あまりに綺麗な動きにリリーの動きがスローモーションに見えた。尾鰭が作る水の揺らめき、鱗一枚一枚の反射、大きな瞳の視線の動き、それは人類、魚類共に虜にしてしまう。リリーは美女で小悪魔だ。次回の小説のネタにしようと、デスクの付箋に「小悪魔リリー」とメモを残す。
その後も夜のテンションでアダルトなお魚事情をたくさん教えてくれた。水槽にアルコールが混ざってるんじゃないかと心配になったぐらいだった。

『お前の博物館行ったんだけどな、動物とコミュニケーション取れるシステムの共同開発者俺だった。んで、びっくりしないで欲しいんだけど俺ら結婚するわ。開発中に恋仲になるらしい。博物館に飾ってあるお前の写真とか見たんだけど、今のお前からは想像できないぐらい美人になってる。写真見てからちょっとドキドキしてるからな(笑)もうちょい未来満喫したら帰ってそっこーお前んとこ行くから。まってろよ!P.S. リリー元気?』

翌朝、(と言ってもほぼ昼だ)に来たメールを寝ぼけながら読んで一旦フリーズした後、飛び起きる。なんてことだ。自分自身へのラブコメフラグが立ってしまった。直哉と今更恋仲になんてなれるのだろうか?幼い頃からずっと知っている直哉。すっ転んで泣きべそかいたこととか、学生時代の黒歴史とか、締め切り開けのこの世のものとは思えない程不細工なところとか、百年の恋も冷める瞬間を見せまくっているのに。それにこちらは奴の彼女とのアレコレを小説のネタにしたこともあるのだ。今更恋仲になんかなれないだろう。でも直哉はちょっとドキドキしてるとか言っているし、困った。リリーに相談でもしてみようか。
未来から届いたメールに返信するかどうか迷って、書きかけの仕事に先に手をつける事にした。私がメール不精なのは今に始まった事じゃない。
ケータイをマナーモードにしてパソコンに向かう。ほぼ無意識にキーボードを叩きながらも、頭の片隅をチラつくのは直哉の顔だった。笑った顔、怒った顔、困った顔、泣き顔。クラスメイトには見せない、幼馴染の私だけに見せた表情があったかも知れない。くそう、顔が良いだけに刺激が強い。不覚にもときめいてしまった。直哉のくせに、むかつくな。

『あんたのせいで仕事に手がつかない。リリーは元気だよ。早く帰ってきてよ』
そう短く返信を打つとベッドにケータイを放り投げ、自分もその上に倒れこんだ。
こんなはずじゃないのに、と枕を思いっきり引っ張ってみる。
百合絵の恋の予感にリリーは一人静かにニヤケて楽しみをかみしめていた。

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それからも1日1回のメールのやり取りを続けて2週間。
『明後日そっちに帰るから、19時に駅に来てほしい。飯食いながら話そう』
いよいよ直哉が帰ってくる。
『分かった』
とだけ返事をして、そのままアプリを切り替えて美容室に予約をし、新調する下着、洋服、ハイヒールの予算を考える。
洋服とハイヒールはよく前を通りかかって気になっていた輸入セレクトショップで揃えよう。あそこなら、気取らず品の良い物が手に入るだろう。下着はワコールだ。安すぎず高すぎず、地味でもなく派手でもない、ザ・丁度いい。駅前の百貨店に店舗があったはずだ。
決めるが早いか、一応よそ行きの格好に着替えて化粧をする。リリーが鼻歌を歌いながら楽しそうにこっちを見ている。
「直哉くんとデートなの?」
デートではないと思うが、否定もできない。ご飯食べた後に何か起こるかもしれないわけだし。
「デートじゃないけど、明後日は夕方から夜出かけるよ」
「ちゃんとご飯を準備してくれれば文句ないわよ」
しっかり楽しんできなさいよ。とお姉さんみたいな口調で言う。完全に楽しんでいるらしい。
私は何年ぶりかもわからないデートでソワソワしていると言うのに。デートと決まったわけではないけれど。それでも、幼馴染と思ってた男が、お前のこと考えたらドキドキするとか言い出して、会おうと言ってきたら、それはこっちまでドキドキソワソワするだろう。

セレクトショップでは二時間を費やし、悩みに悩んだ末に、サックスブルーのシースルーワンピースに決めた。レースがふんだんに使われたガーリーなデザインだったが、バッグははじめてのお給料で買ったプラダのブラックのハンドバッグにしようと思うと言うと店員が同じく黒のパンプスをお勧めしてくれた。
合わせるとなんと、ガーリーさが引き締まってちょっとかっこよく見える。これだなぁとぼんやり思っていたところへ、可愛い店員さんの最後のひと押し。
「この色、お肌がすごく綺麗に見えますね」
「これにします」
お買い上げ。
シースルーなのでこれに合わせて下着を買わないといけない。ブラジャーのストラップがないやつだ。
これまた店舗で程よく盛れて、デザインもいい感じのやつ!と無茶振りをした挙句、ザ・丁度良い下着をゲット。色はブルー、パンツは総レースだ。私にしては攻めている。
後でリリーの前で着てみよう。きっとすごく上手に褒めてくれて、私の自信を底上げしてくれる。
最後に美容室だ。放ったらかしの伸び放題ばさばさの髪の毛をデートにふさわしくしてもらおう。
ドレスのデザインを見せて、イメージを伝えるとウェーブパーマをかけたちょび髭イケメンスタイリストが任せてください!と鏡越しにドヤ顔を向けてくる。大丈夫そうだ。
二時間半後、カットとトリートメントとカラーをしっかり施された自分の髪の毛に、ほう、とよく分からない溜息をつく。ちょび髭イケメンスタイリストは失敗したかと心配になっているようだ。
「…ちょっと、私じゃないみたいでびっくりしました。これは、自分でも可愛いと思います…!」
とたっぷり間を置いて感想を伝えると、心配そうな顔が一転、お得意のドヤ顔だ。

ルンルン気分でスキップなどしながら帰宅する。玄関を開けると、リリーは流行りのラブソングを歌っている。さっきの美容室でも掛かっていた。私の帰宅に気づくと、大きくぐるりと旋回して出迎えてくれる。
「お帰り。髪切ったの!可愛い!!」
おお、早速だ。期待していた以上に褒めてくれそうだ。そうなんだよ〜、と言いながら紙袋からワンピースとパンプスを取り出す。
「これ買ったの。着るから感想を聞かせて!」
「オッケー!」
とウィンクした瞳から小さな星が飛び散りそうな勢いで答えてくれる。リリー姐さんと呼んでも良いだろうか。
クルクル回ったり裾をひらりと持ち上げたりしながら、可愛い!お洒落!似合ってる!センスある!などの誉め殺しの刑をありがたく頂戴する。が、自尊心を順調にチャージしているところに不意打ち攻撃を食らう。
「で、百合絵さんは直哉の事が好きなの?」
頭も体もフリーズする。スカートの裾を指先で持ち上げて、回転しようとする途中で思考も動作も止まった。滑稽な格好だった事だろう。どうしよう。私は直哉の事が好きなのか?直哉の言葉に嬉しいと思ったり、ドキドキしたり、ソワソワしたり、ワンピースまで買ってしまって、これは直哉の事が好きだからなのだろうか。二人が結ばれることを歴史が証明してる訳だし、覚悟を決めなければ。
「まだ自分の気持ちにも迷ってるんだけど、多分好きなんだと思う。直哉にドキドキするとか会おうとか言われて、嬉しかったし良い意味でソワソワするの」
ゆっくりと、言葉を吐き出しながらリリーの水槽の前にしゃがみ込む。リリーは静かに水の中にたゆたっている。
「私は直哉と百合絵さんが恋人同士だとすごく嬉しい」
リリーもゆっくりと答える。その瞬間、種族もアクリルの水槽も飛び越えて、私達はガッチリとハグした。心の中で。お互いに抱きしめあった。なんだか嬉しくなって、涙がポロポロ溢れてきた。水の中のリリーは分からないけどきっとあったかい涙が溢れていると思う。

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翌日の夕方、バッチリと支度を済ませた私はリリーの水槽の前に仁王立ちしている。
「ちょっと気合を入れて欲しい。なんか頑張れそうなこと言って」
無茶振りねぇ、と笑いながらもリリーは応えてくれる。
「百合絵さん、最高に綺麗よ。今夜は楽しんできてね」
私達はもう一度、心と心でハグをした。

駅の改札で待っていると、背の高い見慣れた茶髪が手を振りながら人混みの中を歩いてくる。直哉だ。改札を抜けた辺りで駆け寄ると、腕を引き寄せ抱き締められる。この展開は予想してなかった。もう頭の中パニックだよ。落ち着け私。まずは、おかえりを言うんだよ。
「ただいま」
先に言われてしまった。
「未来でお前に会いたくてしぬかと思った」
ちょっと、私まだおかえりも言ってないよ。次々喋らないでよ。しばらく直哉の腕の中に居たが不意に体が離れる。
「…おかえり」
俯きながら小さくそれだけ伝える。
「なんだよ!緊張すんなよ!俺まで緊張さんじゃん!」
そう言って笑う直哉に釣られて笑う。もう大丈夫そうだ。

レストランは予約してあるからそこまで運転すると言う直哉に、車の鍵を渡す。パーキングに停めてある車の助手席のドアを開けて右手で促される。お姫様扱いだ。直哉は運転席側に回って車内に乗り込むと、エンジンも掛けずに黙りこくってしまう。どうしたんだ?顔を覗き込もうとすると、直哉の左手が私の頬に触れた。不意に目と目が合って見つめ合ってしまう。ヤバい。咄嗟に俯こうとしたが、頬に添えられた左手に阻止されてほっぺたの肉が潰れる。優しく微笑みを浮かべた直哉の顔が近づく。ヤバい。気付いたら直哉の薄い唇に優しくキスされていた。初めてじゃないのに、何でこんなにドキドキするんだろう。心臓がうるさい。顔が熱い。指先が震える。たった一瞬だったとはずか、果てしなく長い間触れていたような錯覚に陥る。頬に触れていた左手も離すと、照れ笑いを浮かべながらエンジンをかける。走り出した車の車内はびっくりするぐらい静かだけど、柔らかい空気が流れていた。私は直哉の事が好きなんだ。自然と好きの感情が溢れてくる。人を好きになるってこんなに幸せ気持ちに慣れたんだ。嬉しくて笑っていると、まだ照れたままの直哉が笑うなよ、とむくれる。お前の事が好きで笑ってるんだよ。言葉にはできなかったけど、ひたすらふたりで笑い合った。

この夜の出来事は直哉によってリリーを始め二代目、三代目の熱帯魚に語り継がれる事となる。そして、私の小説のネタとなった。

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