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日々のことやうつり変わり。気持ちの整理などを記しています。 少しずつ文字にしていくこと…

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日々のことやうつり変わり。気持ちの整理などを記しています。 少しずつ文字にしていくことでアウトプット訓練中。 私自身は美容関連や接客のお仕事の経験が多いです。 読んでいただいた方、心からありがとうございます。

最近の記事

梅雨時期の湿気と気持ちの対処法

こんにちは。梅雨ですね。今年もきましたね。 爽やかな5月の気候と打って変わってじわじわと湿度も上がってきました。 ここのところ妙にね、掃除をしたり義務でやらなきゃなことをやっていますとイライラしている自分に気がつくのです。 あれ、そういうホルモンバランス周期かしら、と確認しても違う。 そういう時に湿度計を見ると大抵湿度が高くなってるんですね。気づけばじとーっと体に空気がまとわりついてる。イライラの原因はそれ。(個人調べなのであしからず)洗濯物は乾かないし。 エアコンの除湿

    • 4月の薄着は体調崩しがち。

      今日から5月。 今年は3月が暖かくて、4月は肌寒い日が多くて逆だなあと感じる日が多かった気がする。 5月の1日なのだけど、ブラウス1枚じゃまあまあ肌寒い。思い直して薄めの長袖ニットに着替えたらほっとした。 冬の寒さは心して暖かい服装を心がけるのだけれど、4月から「春」というイメージで気温はさほど変わらないのに薄着になりがちだ。それで周りの親しい人の何名かは鼻をぐずぐずさせたり、咳こんで喉からやられたりしていた。 私は、肌寒いと気持ちに余裕がなくなるようで、自分でも気づかな

      • 3月の始まり

        往く逃げる去る、あっという間に去る(3月)になった。 まだ去ってはいない、来たばかり。 逃げた2月を個人的に振り返って見ると、『一人になりたい時期』だった。 自分に集中するために、まだ名残惜しいところではあるがあえて踏み出したりした。孤独になる時期。だからと言って周りに人たちはいてくれるし、誰とも話さないわけではない。自分の中の気持ちではあるが孤独に身をおいて見ていた。 公園や空気の良いところでぼーっとしたり本を読んだり、考えをまとめたりすること。対他者ではなく、思考

        • 2月の始まり

          今日から2月。 1月はお正月から始まり、楽しみもあり、追求することもあり、流れに流される部分もあった。 思考が自分の中や全体、社会、時間軸の中で行ったり来たりしていたような月でもあった。 特に冬というのは行動も思考も閉じこもりがちになってしまうもの。冬眠ということ。エネルギー温存のために。 それはそれでよしとしましょ。 それでようやく2月になったところでアウトプットも徐々に動き出そうというところ。 今年の節分は明日の2月2日。百何年ぶりの調整らしい。 最近100

        梅雨時期の湿気と気持ちの対処法

          珈琲の楽しみ、即ち日々の愉しみ

          最近、珈琲を豆から購入する機会があった。 今まで粉かインスタントのもので飲んでいたので、コーヒーミルはうちには無かった。 調べだすと種類が豊富。手動や電動、見た目がレトロなものからメカニカルなものまで。臼の部分の素材の種類まであるもんだからキリがない。 自分のことだから、すぐに使わなくなるかもしれない。そうなった時、大げさなミルだと存分に力を出してあげられなかったことに罪悪感を抱いてしまうことになる。そもそもミルに申し訳ない。 考え抜いた結果、とりあえず豆を挽くことが

          珈琲の楽しみ、即ち日々の愉しみ

          寒いと迷うことが多くなる・・?

          YOGAに行こうか行くまいか。。 週一で通うと体調がいいし、肩こりがましになる。今週は仕事や作業で前屈みの姿勢が多かったし伸ばすと気持ちがいいはず。そして今週分はまだ行っていない。うっすらなりそうな頭痛の予感もありつつ。。 ここまでヨガをした方がいい状況なのは明確なのにぐずぐずと決めかねているものは何なのか。 ヤル気でしょうか。ではなぜヤル気が出ないのか。 まず寒さ。ぬくぬくしたところでゆっくりしたい。動きたくない。←これ本音ですね。 若干の「動かして肩こりを取りた

          寒いと迷うことが多くなる・・?

          「書く」はナマモノ

          ぽつりぽつりと書いていく。書くことは嫌いでは無い、むしろ好きだからこういう場にいるのだろうから。ただ、書くということを意識していないと、日があっという間に過ぎていく。 あれも書こう、これもいい題材だな、そう思ってすぐにPCを開けばいいが、机に向かうこともなく日常がただ過ぎて忘れていってしまう。 思い出した時にでも書けばいいのだけれど、それを思い出した時には書きたい気持ちの臨場感が薄くなっているのだ。感情のままに言葉を連ねているのとは何かが違う。もう一度、その時感じたことを

          「書く」はナマモノ

          もやもやとレーシック

          たまに思考がもやもやするときがある。 これは現実なのか、幻か。実在しているのかしていないのか。 そう考える時は大抵、夜。 私は裸眼で視力が0.03ほどなので、寝る前にメガネをとると視界はほとんどぼやけている。布団に潜り、天井を見上げているその時間。 そのぼやけた遠近感のない世界が、余計に私の存在をもやもやとさせているのかもしれないと思ったりもする。 レーシックをすれば解決するのだろうか。 そんなことを考えた昨日の夜。

          もやもやとレーシック

          家以外に必要な場所for me②

          前回、本屋さんが必要な場所①であれば②は喫茶店だろう。カフェでもOK。お茶ができてくつろげる場所ならいいのだ。家にいて気分転換にコーヒーやお茶の時間を過ごすのとは気分が違ってくる。当たり前だけれど、家だと全部自分で用意する。それが楽しい時もあるのだけれど。喫茶店へ行けば、美味しいメニューがあり、人が飲み物を淹れてくれる。これが結構うれしい。ちょっと甘いものでも食べたいな、となればオーダーすれば良いだけだし、片付けもしなくていい。家にいれば、やらなきゃいけないことの義務から解放

          家以外に必要な場所for me②

          家以外に必要な場所for me①

          2020年4月 緊急事態による自粛生活が始まった。 あれから4ヶ月近く経って振り返って感じたこと。 基本的にその当時、仕事はしているが家時間が多い私にとっては、外出しなくていい(どちらかと言えばするな)という自粛期間は「家にいて良い」という大義名分が出来たようで妙な安心感があった。 この時代、買い物、映画、エクササイズ的なもの、友人との会話などはネット環境があれば家でもできるので、それくらいできれば満足というタイプにとっては気持ち的な不自由はそんなにないのではないだろう

          家以外に必要な場所for me①