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3月の始まり

往く逃げる去る、あっという間に去る(3月)になった。

まだ去ってはいない、来たばかり。

逃げた2月を個人的に振り返って見ると、『一人になりたい時期』だった。

自分に集中するために、まだ名残惜しいところではあるがあえて踏み出したりした。孤独になる時期。だからと言って周りに人たちはいてくれるし、誰とも話さないわけではない。自分の中の気持ちではあるが孤独に身をおいて見ていた。

公園や空気の良いところでぼーっとしたり本を読んだり、考えをまとめたりすること。対他者ではなく、思考を対自分でいる時間。『今』を感じること。みること。

ただ、一つのコミュニティでの活動を一区切りつけたりもした。とてもいい場所で、つい心地よく居てしまっていたのだけれど、出ることにした。そこから出れば後の寂しさや後悔が来るのではないかと思っていたのだけれど。そこは私の性分で痛みもまるっと受け止める覚悟はしていた。

でもそこから快く送り出してくれた友だち。(もう友だちと言っちゃう。)出ても繋がることができているからか、区切りをつけた後もなんともあたたかい気持ちで過ごせている。ある意味この関係はこれからが始まりなんだろうとさえ思う。こんな巣立ちは初めてだった。

そして今日、3月になり日差しも幾分か春めいてきている。

ぴりっと冷たい風が吹いてまだ100%の油断させてくれないが、胸の奥で閉じていた重い扉がぐぐっと開き始めるような気持ちもある。これを繰り返して緩んでくるころには桜が咲いているのかもしれない。

ただ体感で個人的には4月はまだ肌寒すぎる。手放しで油断できるのはGWごろなのだ。でもこの脱兎のごとく過ぎ去っていく季節も味わって行こうと思う。

今日から3月。



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