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あかね噺-第113席・本来の姿-感想

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「グリーングリーングリーンズ」の連載終了。
オリバーが出てから一気に面白くなったんだけど、挽回できず連載終了。ここ最近は、ジャンプの中でもトップクラスに面白かったけど、他に切る連載もないのが、今のジャンプの厳しさですね。
こうやって感想を書いているから感じる、打ち切られるマンガの共通点として、主人公に共感できないってのが、このマンガでも大きかった気がします。1話の段階で八枝崎も王賀も好きになれないキャラクターだと思いました。特に八枝崎の妙に小賢しい悟った感じは、こんな事言うやつとは友だちになりたくない感じで、打ち込むものを見つけて成長していく話なのは分かるけど、応援する気にはならない。君の心の中の問題はどうでもいいよってなっちゃいました。
スポーツ漫画として主人公の心の成長を見せたいんだろうけど、人間的に足りていない=嫌な奴では難しいと思います。
「はじめの一歩」「スラムダンク」一話の時点では、技術的にも人間的にも未熟な主人公です。
いじめられてもやり返せない自分に自信がない一歩。春子ちゃんに惹かれただけでバスケはどうでもいい花道。でも、彼らは人間的には未熟でも、みんなが感情移入できる、ごく普通の若者で応援したくなるキャラクターでした。そして成長していく様子に面白さを感じるんだと思います。
読み切りの賭けゴルフのマンガのような、目標がはっきりした漫画だったら、もっと違った結果になったんじゃないかなと思います。
ただ、ジャンプスポーツ漫画賞とかつくるぐらいなら、「アンデラ」「逃げ上手」「夜桜」あたりの頭打ち感の強い中堅の長期連載をプラスに送って、もう少し「グリーングリーングリーンズ」にチャンスがあっても良いんじゃないって思いますけどね。
あと一話を読み返してみたけど、カラーページから広告挟んで本編始まるのあんまり良くないのかもね。マスターズで活躍する八枝崎が印象に残ってなかった。あれがもっと印象に残ってれば、もっと読みやすかったかもなと思いました。俺だけかもしれんけど。

あらすじ


週刊少年ジャンプ 2024年6月10日発売 28号 

まいけるの本当のスタイルは技巧派、ここまで我慢してきた志ん太譲りの人情噺で真打ちを狙う。

感想


「たききれ」を演るまいける兄さんカッコいいですね。
さらにまいける兄さんが、今の姿へ来る流れも完璧で、こうもってくるのかと感心しましたね。「たちきり」の噺の内容とがっちり合ってて、構成の凄さに感心しました。
今回は、たちきれ・黒髪・本格派、について書いていきます。

たちきれ
今回でやっとこの演目が「たちきれ」と明かされました。落語に詳しい人なら2週間前に分かっている事を、あかねや亨二が知らないとはどういう事?みたいな意見もありますが、この漫画は「週刊少年ジャンプ」で連載されているので、読者のほとんどが落語を知らない前提で書かれていますので、これはそういう物だと割り切って読んだほうが楽しく読めると思います。

とういう事で「たちきれ」、これは、元々上方落語で人気のある「たちぎれ線香」という演目が、江戸落語でも演じられるようになったものです。
上方落語には笑いのある演目が多く、この演目のように笑いがほとんど無い人情噺は珍しいのですが、大ネタとして上方落語では大事にされている演目です。

大師匠しか演ることを許されず、演りたいと師匠に願い出ても演ることを許されなかったものを、新人だった桂米朝が、師匠に断りもなく高座に掛けたことで、他の人にも広がったとう演目です。
米朝も師匠にバレた時に怒られるかと思ったが、師匠が改めて教えてくれたそうです。
米朝の落語のできが良かったのか、度胸を買ったのか分かりませんが、この出来事がなかったら、現在までこの演目は残らず、誰もやらなくなっていただろうと言われており、それほど、当時は格式が高い噺だったようです。

しかし、まいけるが自分を殺して我慢する期間を、好き勝手やった若旦那が蔵に幽閉される所とシンクロさせるのは、構成がうますぎる。
いい話を見つけてきたと思うと同時に、こういうあった噺をカバーできる落語の懐の深さも凄いと改めて思いました。

この演目のラストは特に難しいと言われているので、どのように演り切るか楽しみにしたいと思います。

黒髪
まいけるの過去話が挟まれて、そこでまいけるが現在の姿になった経緯が描かれていました。
志ん太の真打ち昇進の時には、まいけるら兄弟子たちは、すでに志ぐまの弟子でした。その頃の兄弟子たちの行動を知りたかったのですが、まいけるは応援には行かなかったんですね。
それほど志ん太の落語を認めていた感じが伝わりましたが、応援にいかなかった事への後悔と、志ん太という自分を庇護してくれる存在を無くしたことで、一番弟子としての自覚で現在の姿になったんですね。

そこでトレードマークであった金髪ストレートロングから、黒髪パーマのツーブロックになった訳です。
黒髪パーマのツーブロックは志ん太の姿な訳で、形から一番弟子である志ん太になっていったという構図が切なかったですね。
自分が目指すべき一番弟子の姿は、黒髪パーマのツーブロックじゃなきゃダメだったんだってのは泣かせるね。

しかし、5話の見開きで出ていた頃から、この設定があったのか気になりますね。その後に出てきた、あかねの母親に髪を切ってもらいながら、金髪ロン毛時代の回想が出たときには、この設定が作られていたと思います。
最初から、まいけるが志ん太を慕って志ん太を意識した髪型にしていると考えてデザインされていたなら、キャラを作る時の設定はここまで詰めて考えないといけないのかと感心してしまいます。

以前は「あかね噺」に遊びが少ないみたいな事を書いてたんだけど、気がつけば伏線が貼りまくられているし、かなり初期からしっかりとした伏線があったりして、毎話の面白さももちろんだけど、長いスパンで見る面白さもしっかりあるのは凄く面白い漫画だと思います。

本格派
ただ、少し残念に思うところがあります。まいけるが天才的な技巧派で本格的な落語が本文だということです。
目の前の客を満足させる軽い芸は、本格派よりも評価されないし敵わないという辛さ。
全生が捻くれてしまった理由は、間違っているけど、共感できる部分です。
コレに対するアンサーが、全生とは違う天才技巧派なんです。軽い芸もできるだけなんですよ。ってのは違う気がします。

これを見て全生が、俺とは違って天才なんだな負けた。って話では、正直あんまりスカッとしないというか、そもそも軽い芸<本格派ってのも違うと思っているので、こういうオチだと嫌だなと思いました。

談志の好きなエピソードで、伊集院光に語った”てめぇのナリが太ってて面白いと客が笑うのと、落語の芸が凄くて客が笑うのと、客が笑うということでどっちが上でどっちが下ということは無い。”みたいな言葉があります。
これは、芸人としての本質があると思っていて、この言葉にすごくしびれた自分としては、目の前の客を喜ばせ続けた全生が下な訳が無いと思います。

まいけるの芸を見て”俺もあきらめずに本格的な芸も目指すべきだった。軽い芸だけじゃない本当の芸を・・・”みたいな事を全生がいうのは見たくないなぁ。
とはいえ、嘉一という客に尽くすことを第一とするカッコいい落語家を書いた「あかね噺」なら、私の想像のつかない着地をしてくれると信じてます。
全生を救ってあげてほしい。

今週は、都知事選に出馬した石丸伸二さんに思うことを書いたんですけど、書きたいことが有りすぎて、めちゃくちゃ長い文章になってしまった。
youtubeにあふれる絶賛にすごい違和感があったので、書いたんだけど、書き終わった後、同様に石丸氏について書かれた他の方の文章を見て、簡潔で私の言いたいことがわかりやすく纏められていて感心しました。
この感想も短くしたいけど、書きたいことが多すぎて上手く纏められないんですよね。精進したいと思います。
しかし、noteを見る感じだと石丸氏は絶賛一色でも無いんですね。youtubeでは異常に絶賛されてるのに、注目度もずいぶん違う感じだし、SNS時代の危なさを感じた一週間でした。
では次回のあかね噺を楽しみにして感想を終わります。でわでわ。

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