「野蛮な大学論」感想

光文社新書の「野蛮な大学論」を読んだ。一昔前と今日の大学の対比を取り入れながら在るべき大学像について語っていくもので、薄くて読みやすかった。

要約

研究とは大量の失敗のうえに僅かな成功が実るものであり、万能な魔法でない事が強調されていた。最近は科学の力が過剰に信仰されており、失敗を許さない風潮がある、としている。一昔前の大学は尊敬の念を集めていたが、今日のそれは違う。インターネット上などで誰もがそれなりの質の知識を手に入れられるようになったために、大学の存在意義を疑う人が増えた。大学改革により大学が知識のインプットの場として高校の延長線のようなものになり、これは憂うべき事態だと筆者は主張する。

日本の教育はアメリカのそれにならい大学を変革すべきとする考えがあるが、それは的外れだと筆者はいう。日本は小中高と知識や技術のインプットを重点的にしているが、これに対してアメリカのそれでは、自主性・主体性を育てる教育をしている。小中高でやってこなかったことを大学でやることで新しいものを生み出す研究の力が付くから、日本がアメリカを参考にしても仕方がないという。

また近年は研究が役に立つかが重視されがちだが、何の役に立つかというのはすぐにわかるものではないと主張する。そもそも研究者は面白くて研究しているだけで、役に立ったのは研究の副産物にすぎない、と。役に立つ物事ばかりを追いかけるのは、研究者への圧力になるからやめた方がいいとしている。

感想

役に立つか立たないか、という価値基準は私もあるが、それだけで本当に幸せなのだろうか、と思うこともある。そもそも、「役に立つ物事」と一言で言っても、時間や人や場所など、それぞれの状況においてそれは大きく異なってくるから。例えば、今私はパソコンを使ってこの文章を書いている。とても便利だ。パソコンにはレアメタルが入っているが、採掘で児童労働が行われていて、人権侵害や死亡事故が起きている事実がある。私の便利だと思う物事の多くは見えないところで、人を不幸に導いている。(このテーマについて、86というアニメをお勧めしておく。)役に立って便利、というのは、自分だけが幸せになることをしばしば意味するのかもしれない。

自分が積極的に「幸せ」を感じていく、やっていくのは大事だと思う。こんなネガティブなことをずっと言っていたら、人生丸ごと陰鬱なものになってしまう。でも、役に立つ、便利なものに光も影もあることを覚えておきたいと思った。





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