欲しいチカラの話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
鋭くないキレ味、という話を前回させていただきました。
物体的なモノがない言葉などにも鋭さはあったりします。それが良いのか悪いのかはわかりませんがあります。その鋭さゆえに良い結果になる場合もあったり悪い結果になったりします。キツイ言葉やツヨイ言葉とはまた違ったりし、その言葉自体単体、単語だと鋭さがあるモノではなかったりします。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
鋭い見解、鋭い記事、鋭い考察などと表現されたりしているところから見ると一定程度の文章なのかもしれません。
物腰の柔らかな文体だったとしても鋭さはあったりし、それに気がつく人と気がつかない人がいたりもします。
だから気づいてほしくてキツイ言葉やツヨイ言葉などを使ってしまうと逆に鋭さがなくなってしまったりしてしまいます。
そもそもキツイ言葉とはなんなのか、ツヨイ言葉とはなんなのか。
キツイ言葉、ざっくりと言うとネガティブな言葉ですかね。どの言葉がネガティブになるのかは状況や場面によって違いますから一概にこれがこの言葉がキツイです。と例などはあげられませんがその場面あの場面では存在する言葉だと思ったり思わなかったりします。
ツヨイ言葉も、ざっくりと言えばネガティブな言葉ですね、いや違いますね。より適切な具体的な言葉だったりもしますから違いますね。新しい真新しい言葉もツヨイものに入ると思ったり思わなかったりします。
どちらも受け手によって変わってきますから、これだということはできません。良いか言葉なのかわるい言葉なのかもわかりません。忌み嫌われている言葉でさえ誰かにとって必要な言葉だったりする場合もあります。
つまり、その言葉自体に鋭さはないということです。
言葉ではなく文章にあるのかと考えると、そうでもありません。その文章に至った観察や分析、研究や考察がその言葉や文章に鋭さをつくっているということです。
たったひとつの言葉に至るまでにその人がどれだけ考え観察し分析し研究したかと言うことです。しかしそれに費やした時間ではありません。それを一瞬でできる人もいますし、何年も何十年もかけてする人もいます。その対象のモノ自体も違いますから同列では比べられません。
文章に鋭さが必要なのかは、冒頭で書いたようによくわかりませんがその鋭さに気づける力は持っていたいと思ったり思わなかったりします。
今年もあと4日なので、このあたりで。
ありがとうございました。
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