コーポレートスローガンのお話。
ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
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タグラインとは、なんぞや?
という話を前回して、
私が書く文章でのタグラインとは、
『コーポレートスローガンである。』
と定義させていただきました。
さて、今回はそのタグラインの近くにある。いや、もっと親密な関係のともに寄り添うロゴのお話をさせていただきたいと思います。
「『ロゴ!』知ってるよ、あれでしょあれ、おおぅ兄ちゃん、このラーメン見てみい!虫入ってるやないかい、どないしてくれるねん!ってのんでしょ?」
「うん、違う。
それは『ゴロ』やね。ボクの小さな友だちが本当に間違ったことやわ」
「ロゴ」は本来、ロゴタイプと呼ばれるモノであり、ロゴは略称である。
では早速、いつものように辞書で
って、前回予告したコーポレートスローガンの話は?
そだそだ、コーポレートスローガンのお話だった。
もう少しでロゴの話をするところだった。いやもうしていた。
「コーポレートスローガン」
つまり、コーポレートとスローガンが合わさった言葉。
コーポレートとは?
である。
企業だけではない集団的な意味をなす言葉。
うん、わかりよい。
スローガンとは?
とある。
主義主張を簡潔に言い表した語句。そして、標語。
標語とは?
とある。
スローガンと標語は、
同じようで同じではない。似ているようで似ていない。
感じがわかる。
標語といわれると、どうしても七五調のイメージがぬぐえない。
交通安全の標語なんて、
「とびだすな 車は急に 止まれない」
まさしく七五調で、
昔は、キャッチコピーも七五調だったと、ものの本で読んだことがある。どの本なのかは忘れてしまったけれど・・・。確かに読んだ、でも本ではなかったかもしれない。不確かな情報だけど、読んだことは確かだ。
それが変化を重ね、変化を重ね、三文字何百万を経て、変化を重ね、変化を重ね、今に至る。
この変化が起こることは健全だ。
それがたとえ悪化だったとしても変わることは成長なのだから。
変わることを恐れてしまったら、もうそれは成長をしないことのあらわれである。
変化のなかで、
スローガンという呼称がどうもしっくりこなくなったのだろう。
七五調じゃなかったりして、だから、これはいわゆる「スローガン」ではなく「コーポレートスローガン」ですよ。と差別化をしたのだと思う。
そうすることで時代に合う言葉が生み出されていく。
何より、広告表現の中で少し自由な発想の言葉を発せるようになったのだと思う。
そう考えると、「タグライン」も「コーポレートスローガン」では、しっくりこなくなって変わったと考えると自然である。
タグラインではなく、コーポレートスローガンの話だった。
コーポレートは、企業だけではない集団的な意味をなす言葉。
つまりは広告主。
そしてスローガンは、主義主張を簡潔に言い表した語句。
つまりは、簡潔にした主義主張の文。
合わせると、広告主の簡潔にした主義主張文。
念のために、
主義主張とは、なんじゃらほい?と思い調べてみる。
まずは、
主義とは?
続いて、
主張とは?
とある。
つまり、コーポレートスローガンは、
広告主の考え・方針・態度などを簡潔に自分の意見や持論を強く言い張ること。また、その意見や持論。
と言うことになる。
元の主義主張に戻すと、
広告主の簡潔にした主義主張文。
で、広告ということから文章をつくり直すと、
企業や団体が、商品やサービス、広告やキャンペーンでこういう考えや方針です。と簡潔に伝える広告文のことである。
これをギュッとしてムニュッとさせたものを、
今回の話したかったことさせていただきたいと思います。
私が書く文章でのコーポレートスローガンとは、こう定義する。
『広告主の簡潔な主義主張の広告文。』
であります。
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