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眠るな乳児、眠れよ幼児―精密聴力検査の受難―[私小説/短編]

 乳児は眠る。日に何度も眠る。眠ることが彼らの成長の一助となるのだ。ここにもまた、強い睡魔に襲われし男児がいた。そしてその子を寝かせるまいと必死に挑み続ける母親の目は、既に死んだ魚のそれのように暗く澱んでいた――。

 時は令和、新時代の幕が開けた頃。季節は梅雨、その晴れ間。一人の男児が元気な産声を上げた。髪は少なく、顔はマイルドなゴリラのような顔をしていた新生児であった。私の息子である。生まれた新生児たちは入院中、複数の検査を受けることになっている。息子もまた然り。
 「計測できないですね」
 ある検査を行った看護師が言った。私はこの言葉を入院中二度は聞いた。
 その検査とは新生児聴覚スクリーニング検査。日本では任意で行われる、新生児の聴力を調べる検査だ。任意と言えどもこれを受けるよう強く推奨されており、大多数の新生児がこの検査を受けている。
「聞こえていない事もなさそうですが、反応が弱いです。一ヶ月検診でまた検査してみましょう」
結局、それ以外のことでは何も問題は起きず、無事に退院した。
 その約ひと月後、一ヶ月検診にて小児科医が口を開いた。
「再検査ですね」
案の定であった。もちろん心構えはできていた。
「紹介状を書きますので、精密検査の設備がある病院を受診してくださいね」
精密検査したら大丈夫だったということもありますから、と医師は付け加えた。どうやら、難聴児の発見漏れの無いように、厳しい基準で検査されているようだ。
 後日、私は紹介された総合病院を訪れた。バスと電車とバスを乗り継いで、一時間半かけてやって来た。一通り息子の様子を見た主治医は、あまり大きな問題はなさそうに見える、と言った上で、
「検査ですが、入院して行います」
検査だけで入院になるとは思っていなかった。
「睡眠薬を使うので、検査後に副作用などが出ないか様子をみた方がいいんです。なので、最低でも一泊はしてもらいます」
 その後日、私は再び総合病院にいた。検査とそれに伴う入院の説明及び手続きのためであった。

 暦は秋だが実情は残暑、そんな十月。生後三ヶ月を過ぎた息子は、首もすわり、時に寝返りを打っては喜んでニコニコと笑うようになっていた。顔のゴリラ感もすっかり消え去っていた。その日は精密検査当日、時刻は朝七時四十五分。前方には抱っこ紐に入った息子、後方には入院のための荷物、それらの重さ全てを私の両足だけが引き受けている。二歳の娘と、その子守りのため呼んでいた私の母に見送られ、私は息子と共に総合病院へ向かった。空は晴れ渡り、太陽は強く照り付け、それはそれは温かな風が吹く日であった。
 時刻は九時半。病院に着いた。しかし、汗だくである。それもそうだろう。この暑い日に、前に赤ん坊、後ろにリュック。熱の逃げ場が無かったのだから。入院予定時刻は十時なので、まだ少し時間がある。ひとまず授乳室を借りて、授乳しながら汗が引くのを待った。
 一休みした後、小児病棟に行き入院の受付をした。受付付近には絵本やおもちゃが置いてあるキッズスペースがあり、さすが小児病棟だなと思った。そんなことを考えていると名前を呼ばれ、そのまま部屋に案内される。そこはナースステーションの目の前の大部屋だった。子供の様子が見やすいようになのか、部屋のナースステーション側はほぼ全面ガラス張りだ。子供とともに大人一人も少し体を曲げれば添い寝できるようなサイズのベッドには、高い金属の柵が取り付けられている。それが複数台置かれていた。すでに二人の子が入院生活を送っており、ベッドの中で静かに座りながら、持ち込んだおもちゃで遊んでいた。案内の看護師にベッドの柵の取り扱いや、入院中の注意事項などの説明を受ける。すでにベッドの中に入った息子は、広いベッドで嬉しそうに寝返りを試みていた。
「検査は十六時からなので、十三時までには授乳を終えてください。直前に飲ませて、寝ている間に吐き戻すと大変だからです」
看護師は説明を続けている。
「それ以降は寝かさないようにしてください。睡眠薬を使うと言っても、その前に寝かせてしまうと眠りが浅くなってしまうので」
ひと通り話を終えて看護師は去っていった。とりあえず少しの間は暇なので、リュックからおもちゃを取り出し、息子と遊んだ。途中ふと思い出して、夫や母に無事に病院に着いて入院受付を終えたことを連絡した。昼前頃になると、息子が眠そうな目をするようになった。検査前最後の睡眠だ。存分に眠りたまえ、と抱きかかえて寝かしつける。あっという間に寝てしまった。少しの間抱いた後、ベッドに寝かせる。
 ――よく、乳児をベッドに寝かせると起きる現象を背中スイッチと言われるが、息子の場合はお胸スイッチである。ベッドに寝かせたらすぐさま胸やお腹のあたりに優しく手のひらをあててやる。すると、一瞬起きそうに動いても、すぐに寝るのだ。これは赤ちゃんの胸と母親の胸を合わせるように抱くと安心するらしい、と誰かから伝え聞いた母から伝え聞いた時に思いついた方法である。胸やお腹のあたりが温かいと安心するのかもしれない。背中スイッチに悩む世の母親たちにぜひ試して欲しいので、ここに書き記しておく――。
 安らかな表情で寝ている息子を見て、私も安堵する。丁度いいので私は看護師に声をかけた後、昼食をとりに院内のコンビニへ向かった。飲食スペースにて昼食をさっと食べ終え、再び小児病棟の部屋へと戻る。相変わらず寝ていた。やはり子供の寝顔は最高だ。かわいすぎる。天使である。子供の寝顔見ると本当に疲れが飛ぶので、私は息子が起きるまで、じっと息子の顔を見ていた。窓ガラス越しにナースステーションの看護師に見られていたかもしれないが、我が子の寝顔を見ることは何も悪いことではないだろう。この時間は私の子育ての中の楽しみの時間でもあるのだから。
 十三時前になると息子が起きた。丁度いいので検査前最後の授乳をする。部屋の端のあたりをパーテーションで隠し、そこで授乳した。さて、これで準備は万端である。あとは検査まで寝かさない。十六時までなら、そんなに苦労なく起こしていられるだろう。そう、この時私は知らなかったのだ。この後数々の受難が待ち構えていることを。

 子供とおもちゃで遊んだり、看護師の許可を得た病棟内の場所に連れて行ったり、くすぐるなどのスキンシップをしたりして過ごした。何の問題もなく十六時になった。息子は少し眠そうにしている。眠そうになると、瞬きがゆっくりになる傾向があるのだが、正にその状態になっていた。これから検査で眠りにつく必要があるのだから、今少し眠たいのはむしろ良いのではないか、と思っていた。十五分後、まだ検査に呼ばれないのかな、と思いながら過ごしていると、看護師に声をかけられた。
「前の検査が押しているので、すみませんが三十分から検査開始とさせてください」
息子は眠たそうだが、三十分ならいけるだろう。けれど、お腹が空くかもしれないな、大丈夫かな、と少し心配になった。十六時二十分になると、息子はベッドの上で遊べなくなった。ベッドに寝転がらせるだけで寝始めそうになってしまうからだ。高い高いをして興奮させて無理やり目を覚まさせる。縦抱きで移動すればどうにか起きてくれていたので、院内の散歩をしつつキッズスペースに向かった。キッズスペースのおもちゃは家にはないもの、もしくは家とは色や形の違うものばかりなので、目新しいおもちゃに喜んで目を覚ましてくれた。しかし、数分すると慣れてうとうとしてくる。何か気を引くものは……と辺りを見回すと、ベビーサークルが置いてあった。遊べるように様々なしかけがついているサークルで、小さな鏡もついていた。私は息子とともにその鏡の前に行き、息子に鏡を覗かせた。
「きゃあっ!!」
満面の笑み。大喜びである。これでまた数分持つぞ!私は喜んだ。おもちゃの前と鏡の前をひたすら行き来した。ふと時計を見ると十六時三十分になっていた。看護師が呼びに来るかもしれないと思い、部屋に戻ることにした。
 来ない。看護師が来ない。わかる、病院で予定通りいかないことがあるなんてことはわかり切ってる。入院でない普段の受診だってそうだ。予約制のところでも、予約通りの時間に受診できないなんて、病院ならどこもよくあることだ。そんなことを考えていると看護師がやって来て言った。
「すみません。十七時からになるかもしれません。お声がけするのでお待ちください」
嘘だろ。私は心の中で正直そう思った。その言葉を聞いて私はすぐにキッズスペースへ向かった。なぜならこの看護師の言葉を聞いていた間にも、息子は今にも寝入らんと構えていたからである。キッズスペースに着いて鏡を見せる。が、駄目だ。鏡の前で息子を上下させる。鏡、それに高い高い、そしてそれらを合わせていないいないばぁの状態になる、全てを兼ね備えた遊びと化した。
「ハハッ……」
息子は笑った、が、力ない。なんて非力な笑いなんだ。もう笑う気力もないのか。私は愕然とした。頼む、どうにか、眠るな乳児。今度は私は立ち上がり、全力の高さの高い高いをした。先程より少し目が開いた。おもちゃの気の列車を走らせた。すごく遠くを見るような目で見つめている。これは駄目だ。院内の散歩に連れて行こう、と縦抱きして数歩歩いて気づいた。これは寝てしまう。景色が変わる刺激よりも、歩くことによる振動の心地好さの方が勝ってしまう。今の息子には多くのことが入眠のための材料になってしまう。踵を返してキッズスペースに戻った。泣き出した。先程心配した空腹ではないだろう。どこからどう見ても眠くて泣いているのだろう。すまない息子よ。赤ちゃんだもんね、赤ちゃんは眠るのが仕事だもんね、寝て大きくなりたいよね。もう良心の呵責が止まらない。鏡の前で遊ばせ、高い高いをして、必死で起こした。ずっと泣いている。いや、最早泣いていることが起きている証であると言える、それくらいの段階まで来ていた。時刻は十六時四十五分。そう、残り十五分。もう無理だと思った。先程までは縦抱きをすると倒れないようにと体に力を入れていた息子が、全く力を入れ無くなった。目は常に開いても半開き。正直もう脳は寝ているのではないかと思った。ナースステーションで看護師に現状を伝えると、こう返された。
「すみませんが、頑張って起こし続けてください……」
私は起こし続けた。息子は泣き続けた。一体この子が何をしたと言うのか。一体私が何をしたと言うのか。

 十七時になり、今度こそ本当に検査に入ることになった。やっと息子を寝かせられ、罪悪感から解放される。眠った息子が運ばれて行った後、電話スペースで母に電話し、予定よりも帰宅が遅れる旨を伝えた。それから夕飯を済ませて部屋に戻る。先程までの疲れを少しでも癒そうと、椅子に腰かけてスマホを開き、娘と息子の写真を見て過ごした。少しして検査を終えた息子が運ばれきた。もう起きている。
「もう起きちゃいました」
検査の担当医が言った。睡眠薬を使ったのにもう起きたのか。やはり検査前、脳は寝ていたのではないか、と素人ながらに少し思った。しかし、検査は無事に終えられたようなので、その点については心配はいらないようだ。
「今のところ、ある程度は聞こえているようなので、普通に生活してください。何か特別なことをする必要は今のところありません。詳しい結果は後日お話します」
検査の結果を聞き、再び安堵した。睡眠薬の副作用が出ないか少しの間様子を見て、その後に授乳をした。時刻は十九時だった。息子はこのまま入院するが、私はあくまで面会に来ている立場なので、夜には帰らなければいけない。これが今日最後の授乳だ。授乳を終えた後、少しばかりのんびり遊んで過ごした。やっと訪れた平穏だった。二十時ごろには部屋を消灯し、息子を抱くとすぐに寝た。

 二十一時を過ぎた頃。私は駅から家に向かう道を歩いていた。普段はバスか自転車で行き来するのだが、今朝はバスを使ったため自転車は無く、そのバスももう終バスが終わっていた。たぶん娘は起きているだろうなと思った。普段は二十一時頃に寝るが、私がいないととても寂しがり、中々寝ないのである。かわいい娘だ。それにしても今日はつらかった。息子に悪いことをしてしまった。けれど、息子のための検査であるし……と考えていると、家が見えてきた。時刻は二十一時半。家に着いた。玄関扉を開ける。
「ママかな?」
娘の声がした。私が手を洗い、部屋着に着替えていると、娘が寝室から出てきた。
「ママ、お帰りなしゃい」
ただいま、と返事をすると、
「息子くんは?ママ、息子くん置いてきちゃったの?」
と眉間にシワを寄せて言った。病院にお泊まりなんだよ、と伝えるが、
「ママ、息子くん置いてきちゃったんだって」
と私の母に伝えている。
「赤ちゃん置いてきちゃ、ダメだよねぇ?」
責められている。
「息子くん、痛い痛い治った?」
うん、悪いところないから痛いところないんだって。
「息子くん、ひとり?しゃみしい?」
お医者さんも看護師さんもいるから寂しくないよ。
「お姉しゃんいるの?」
 お姉さんいるよ。
「じゃあ、おじいちゃんは?」
おじいちゃんもいるし、おばあさんもいるし、お兄さんもいるし、色んな人いっぱいいるよ。
「しゃみしくないね」
どうやら息子の心配をしていたようだ。
「娘ちゃんね、ママどこってしてたの。ママまだかなってしてたの。ママ会いたいってしてたの」
まったくかわいい娘だ。仕方が無いので入浴などは後回しにして娘の隣に添い寝する。
「おやしゅみ、ママ」
にっこり笑ってそう言った娘は、十分後には静かに寝付いていた。
 朝から汗だくになっていた私は風呂に入り、髪を乾かし、ドライヤーをし、歯磨きをした。時刻は二十三時過ぎ。私は重大な作業に取り掛かろうとしていた。搾乳である。今夜は息子に授乳ができないからだ。搾乳をしないと乳腺が詰まり、最悪の場合は乳腺炎となる。乳腺炎になると熱は四十度近く上がり、節々は痛み、嘔吐するなど、まるでインフルエンザのような症状が出てしまうのだ。絶対に避けなければならない。搾乳器など持っていないので、私は胸にタオルをあてながら、自らの手で搾乳していた。左側の方が詰まりやすいので、左側から搾乳をして、ようやく右側の搾乳を始めようとした。
「ママー!!!!」
娘が起きた。仕方が無いので娘の隣で搾乳する。
「ママ寝ないの?」
ママおっぱい痛くなっちゃうから寝れないの。
「娘ちゃんお手伝いしゅる」
おててびちょびちょになっちゃうから、ママ自分でやるよ。
「ママ一緒に寝ようよ」
隣にいるから寝てていいよ、と伝えたものの、娘は一向に寝る気配がない。私は右乳の搾乳を途中で諦めて、手を洗ってから再び娘を寝かしつけることにした。
「ママ、今日はね……」
うん、うん、良かったね。
「ママ、娘ちゃんね……」
うん、うん、そうだね。
「ママ……」
うん、うん、もう寝ようね。と伝えるものの全く寝ない。夕方あれだけ辛い思いで眠そうな息子を起こしていたのに、今度は眠くなさそうな娘を寝かさなければならないのか?眠れよ幼児、お願いだ。私は今日は限界だ。ここで私は捨て身の最終手段を取る事にした。
「ママ、もう眠いから、一緒に寝ようね?おやすみ」
それは至ってシンプル。本当に寝るという手段だ。私はそのまますぐに眠りに落ちた。遠くから娘の声がした。ママ起きて、と言っていた。この技は一度寝たら起きたらいけない。何かすれば、声をかければ、起きてくれると思われてしまうためだ。すまない娘よ。明日たくさん抱きしめるから、明日たくさん遊ぶから、許しておくれ。

 翌朝、私は息子を迎えに行き、息子は無事に退院した。娘は息子との再会をとても喜び、何度も息子に抱きついていた。またその翌日、私は頭痛と吐き気に襲われた。節々も痛く、熱も四十度近くまで上がった。それは正しく乳腺炎。あの日右乳を捨てて寝たのが仇となったのだ。乳腺炎が落ち着くまで受難は続いたが、息子の検査が無事に終えられたので良しとしよう。よく頑張った、偉いぞ、私。

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