天才と呼ばれた君へ


「天才が入学してきたと聞いてます」

入学後の学力テストの後、国語の先生に第一声で言われた言葉だ。

私は勉強が大嫌いだった。
なのでそこそこのレベルの高校で1位なんて仰ぎょうしい位置になったのはなにかの間違えか陰謀だとずっと疑ったものの解答用紙は私のものだった。

高校は楽しかった。気の合うやつが1人いた。人間性はあまり褒められたものじゃなかったが波長があってひっつくようにそいつと絡んだ。
絡みすぎて、世俗に疎かった私にTwitterを教えたのはそいつなのに、恥ずかしいからTwitterで絡むなといわれたくらいだ。そいつはその時点で結構名のある絵師だった。しらなかったけど。今はデザインの職についてるらしい。人を馬鹿にすることにかけては右に出るものがいない天才だった。しかし、私は彼女は根は優しかったと思ってる。
色んなバカをして楽しんでた。好きだった本も読むのを気づけば辞めてて、そこそこ充実してた。
バイトも初めて初めて自分でお金を稼ぐ大変さも知った。
毎日学校に行くのが楽しいと思ったのは初めてだった。なにもかもうまくいってた。


最初はただ腹に違和感があった。

授業中にグルグルしだして、小さなおならをしてしまい、それを抑えるのに必死で何度もトイレに立つのが死ぬほど嫌だった。
思春期だし結構人の目を気にする人間だったとその時は気がついてなかった。

最近お腹の調子が悪いとなんども友達に相談して言い訳も混ぜた。
私の記憶はそこから一気に記憶が飛んで気づいたら毎日保健室の天井や機材を死んだ顔でただぼーっとみつめてた。
その時の朧気な絶望感だけ覚えてる。でも大好きなバイトにだけは行ってた。
でも終わると必ず駅で胃液を出し切るまで吐いて、吐いて、吐ききったらまた家に帰る。
毎回毎回、なんでそんなまでしてバイトを楽しいと思ってたのかも今になってはわからない。

私の記憶だとそこからまた大きく記憶が飛ぶ。
バイトも高校も気づいたらやめてて、退学だ。通信に入り直してたまに通ってた時の通りがけのキャンドゥの記憶がうっすらあるかないか。
卒業しても何もしない私に業を煮やして母が短大をすすめた。バイト代を稼いで適当な短大に入ったらまたバイトを初めて日雇いで沢山稼ぎ始めた。楽しかった。楽しかったはず。

朝昼晩と隙間なく働いて、月50万稼いだこともある。
でも大学の授業はほとんど受けられなくて、倒れては吐いてばかりだった。歩いた時間より車椅子の時間の方が長かったかもしれない。
それからバイト帰りに最寄り駅にあるギャンブルの店にフラフラとはいるようになって、稼いだお金も、大学の奨学金も気づけば全部溶かしていた。
ボーッとしながらペカペカ光る台を綺麗だと思ってた記憶だけある。
それで学費もなくなって大学に土下座してなんとか在留した。それでも辞めず借金までかさんで、それからは、まぁなんかお察しだ。

多重人格と診断されたのはいつ頃か忘れた、当時はそんな話されるのが拍子抜けで、でもチャンスだと思った。

「頭の中で声がしたら言ってください」

声が聞こえるの定義を自分の中で最大まで広げた。
何を言ってたかまでは聞こえなかったとそれっぽいことを言った。

普段は軽率な診断はしない先生だ。だから拍子抜けだった。
「多重人格になっちゃったんだ、と軽く考えてください」
かんがえられるわけなかった。

そしてこうも言った


「天才にしかなれない病気なんです」


その言葉がまた私を蝕んだ

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