現在:愛って難しい

11/28

先生おはようございます。
昨日また無理に言って見てもらってごめんなさい。自分の重要な変化のように感じたんです。
最近は心に不安がなくて、色んな人格もととのってきて、でも大切なものが無くなったみたいに自分のことがどうでも良くなるんです。他の人格のことも悲しいけど、私はもっと、なんというか自分勝手ですから

今日こないだ言ってたゲームの話の続きがありました。実は孤独病に囚われてた少年は既に自死していて、本当に制御不能型幻想だったのはお母さんのほうだったんです。最後に主人公たちの活躍でお母さんは子供に幻想の中でお別れを言います。「お母さんはあなたを空に行く距離くらい愛してる」「僕はお母さんを空に行って帰ってくるくらい愛してる」そう言って2人はおわかれをしました。

私本当は別のことをしようとしたんですけど、そのイベントのラストをみて冷たい自分の心から苦痛の涙が搾り取られるみたいでした。私やっぱりお母さんを愛してる。どこまでもどこまでも愛してる。でももうお母さんからの愛は信じられないんです。それは歪んだ執着からくるものでは無いと信じられないんです。
私頑張りました。お母さんが少しでもよくなれば、もしくは私が早く病気を治して一日でも早く社会復帰した姿を見せればお母さんは私をまたしっかり愛してくれるかもしれない。
昨日入院の話をされました。本格的なものではなく、避難入院として、私は私じゃなくてお母さんが入院してくれたらどれだけ心が休まるかと思ってしまいました。お母さんは元気がないだけなんです。疲れちゃっただけなんです。だから元気になればきっとまた私をしっかりみてくれるんです。

そんなことを考えてたらゲームを放り投げてお友達に抱きついて泣いていました。沢山泣くといいと言われました。それは母が私を愛していないことを認めろというのかっていいました。お友達はそうじゃないって、今あなたが流してる涙をあなたがちゃんと受け止めるんだって。
やっぱりお友達は凄いです。私はお母さんの愛も自分の愛も肯定できません。私もお母さんのことしっかり愛してるなんて言えないことをしてるから。同じなんです。だから離れるべきなんです。私でもまた、お母さんに愛して欲しかった自分を置き去りにするんでしょうか。

今は、「好き」「大切」って感情に甘えます。私もお母さんも、歪んでるけどお互いが好きで大切なのはきっと変わりません。それを信じることにします。いつかそれが本当の愛に変わるまで。こんな話、もうするつもりは無いので別のところにかきますね。

2023.11.28

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