#6【小説】「グレート・ギャツビー」ネタバレ感想
村上春樹翻訳の「グレート・ギャツビー」を呼んだので、感想を書く。
村上春樹が人生で巡り合った最も大切な小説を、あなたに。
感想まとめ
愛している人とまた結ばれたい。
そのためには、希望が小さくとも信じて準備する。
その準備は表立ったものだけでなく、陰ながら準備を行い、ついにその人と出会う。
全ては、デイジーのために。。。
最初はうさん臭さが漂うギャツビーだったが、
そのナイーブさに、読んでいる私ですら心を惹かれていく小説であった。
この小説は5ー6人の登場人物を中心に進んでいくが、
いずれのキャラクターもキャラがたっており、存在感がある。
各キャラクターの雰囲気をリアルに(いや、ユーモアあふれ、皮肉にとんだ表現も多かったような気がする。)文章で書かれているのが、本書の読みどころの一つである。
その中でもやはり私はギャツビが好きだった。
大胆なラストは、皆さんどう感じられただろうか。
ギャツビは報われたのだろうか?
私はギャツビが好きだ
それぞれの登場人物について
この小説では、キャラがたった登場人物が多い。
ニック(主人公):
周囲の人の都合・意思を大切にしている。
自分の意志を大切にしている人物ではなく、相手の意志・都合を見ながら、それに合わせて行動することが多い。
身勝手な都合の場合ですら相手に合わせることが多い。
その一方で、ギャツビーの葬式の際には、身勝手な行動をする相手には腹を立てていることから、ギャツビへ向けた悲しみが鮮明に伝わってきた。ジョーダン:
未来を見通した行動、行動の綿密さをあまり感じられない。
「あごの上に物を載せるような動作」も目の前の気にすることだけに注目して行動したいという現れだと感じた。
その場の雰囲気、勢い、感情を大切にしている。
ニックとは、異なる人種のように感じられる。デイジー:
憧れを鮮明に持っており、その存在になるべく生きている。
しかし、最終的には現実にとらわれてしまい、
憧れになり切れない印象を受けた。
美しい存在であり、秩序の乱れたことは好きではない。トム:
人を見下す人種であり、私は好きではない。
自分が第一で行動する人間である。
トムが登場するシーンでは、少しぴりつくような雰囲気を感じられる。
ギャツビー
上の登場人物は、登場早々にキャラを掴めるのであるが、
ギャツビーは、なかなかキャラの本質が掴めない。
また最初は胡散臭さすら感じる立ち振る舞いをする。
例えば、趣旨が良くわからない謎のパーティを毎週開いていたり、収入源が謎にもかかわらず、大金持ちであったり、出身についてごまかしがありそうというのが胡散臭さの原因。
私の好感度としてはマイナス評価であった。
しかし物語中盤以降では、最も人間味を感じられる、愛せる存在となった。
愛するデイジーに再開するときには、家の中を行ったり来たりと奇行を起こすほど緊張していたり、
実は、いつかデイジーがふらっと顔を出すのではないかと考え、パーティーをずっと開催し続けていたり、
ギャツビーの初心な思いが、現れるほど好きになっていった。
ギャツビーとデイジーの恋が実ることを願った。
ギャツビーは、報われたのだろうか
ギャツビーとしては、最後デイジーと結ばれて終わりたかっただろう。
私もそれを期待して読んでいた。
しかしデイジーは現実を見てトムの方へと行ってしまう。
そしてギャツビーは、最後には交通事故の犯人だと間違われ(実はデイジーが犯人)射殺されてしまう。
葬式にはデイジーから一報も連絡が来ないまま、小説が寂しくも終わってしまう。
大胆なラストだった。
ギャツビーとしては、無念だったのだろうか?
ギャツビーはおそらく「デイジーを守れて良かった」とすら思っていそうだと私は考えている。
悲しい結末ではあるが、今よりも少しでも前に進もうと考えるギャツビーの思いを考えると、
「少しでも前に進む」=「デイジーを庇い、デイジーの幸せを望む」
という結論に至り、
それは大きな代償とともに達成されたのだと思った。
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