マガジンのカバー画像

休職中の過ごし方

16
休職中に感じたこと、挑戦したこと、日々のあれこれ
運営しているクリエイター

記事一覧

今年の振り返り

今年もあと3日となった。 退会が怖くて未だに入っている学年教員のグループLINEでは、学年主任が一言年末の挨拶をしていた。 私は、休職してから一度も学年教員のグループLINEに既読をつけていない。 読むと現場のことを思い出して精神的に辛くなるのと既読をつけることで学年の先生たちに復帰の希望を持たせてしまうことへの申し訳なさがあったからだ。 教員の待遇改善は早急にして欲しいと心から願っている。 さて、今年を振り返っていきたいと思う。 端的に言うなら激動の一年だった。そして来年

教師からの転職活動③

転職活動に一区切りついたので、これまでの転職活動を振り返っておきたい。 これまで転職活動についていくつか記事を書いてきた。 転職活動で学んだこと どんな働き方をしたいのか、自分なりの会社選びの基準をもつことが大切だと学んだ。私は、勤務内容や時間・休日の日数・通勤時間・福利厚生に着目して企業選びをした。 教師というキャリアは、同業種でなければ全くと言っていいほど意味を成さなかったのも勉強になった。それだけ教師という仕事は社会的に見て評価されていないというか、仕事内容が社会に

退職

退職願を提出したところ、すんなりと受け入れられ年度途中での退職が決定した。 管理職からは何も言われることなく、なんなら信じられないくらいのスピードで退職手続きが進むことになった。 ここまであっさりしていることに私自身とても驚いている。 所詮は学校組織の小さな歯車で代わりなんていくらでもいるということを意識させられた。 約7年の教員人生は、自分を取り巻く環境に向き合い、客観視できた貴重な時間だった。 子どもの教育に携わりながら、自分の家族を顧みることができた。 そして両親の洗

退職意思を固める

年度末での退職を考えていたが、早々に辞めることにした。 休職期間は3月末まで残ってはいるけれど、ずるずると休んでいる意味を感じなくなってきた。退職をした方が転職活動もしやすいというのもある。 これまでのnoteにも書いてきたが、教師という仕事に未練はない。 もっと働きやすい環境だったら続けていたかもしれないが、教師を取り巻く環境は決して改善されておらず、今の職場も例外ではない。 教員免許の更新制度も廃止された今、教師という仕事は教員免許さえあればいつでもできる。今の地域で教

休職して半年

休み始めた頃は夏の始まりだったのに、気づけば冬が来ていつの間にか年の瀬までも迫っている。 教師として働いていれば、夏休み過ぎたあたりから風のように12月まで来てしまうが、今年はいつもとは違った。 休職してからほとんど家から出られなくなったり、突然涙が止まらなくなったり、ベッドから起き上がれなくなったり・・・色々な身体の変化があった。 この半年間で、自分自身のこと、家族のこと、仕事のこと、これからのことをじっくり考えることができた。 教師という仕事に対して復職しようという気

小さな幸せを見つけること

休職前、私にとっての”小さな幸せ”とは、子どもたちの笑顔と成長だった。 そのためだったら、先輩に飲み会に行こうと誘われて帰宅が深夜2時すぎになっても先輩のお酒に付き合い、ほぼカレンダー通りの休日だって職場で働いた。 なんだかんだ気づけば14連勤。先輩たちの中には20連勤を超える人も。 世の中でいくら「教員はブラック」と言われたって気にしていなかった。 休職後、その現場から離れて生活を見直してみると、意外にも身の回りに小さな幸せがたくさんあったことに気がついた。 例えば、読み

私が休職した理由

6月から教員を休職して3ヶ月ほど経った。 気づいたらもう3ヶ月経っていた。 私が休職した理由はいくつかあるけれど、ざっくり言うと   業務量の多さ   保護者を含めた職場の人間関係    管理職からかけられた言葉 に傷つき気疲れしてしまったから。 ある時の職員会議で校長が全体に対して言った言葉  「産休・育休を取りたければ、自分で代替教員を見つけて」  「使えない教員はここにはいらない」 年に何回かある校長面談の時には、私自身のキャリア形成について相談しても  「あなたは

休職して3か月

休職して3か月が経った。 「もう」という気持ちと「まだ」という気持ちが入り混じった何とも言えない感じがする。 HSPであること、うつ病であること、そして家族の問題を少しずつ受け入れられてきたような気がしている。 そう思えているのは、職場に行けなくなった私に「ちゃんと休んだほうがいい」と言ってくれた夫のおかげである。思い切りの良い夫に出会えたことに感謝している。 風邪や骨折と違い、うつ病には分かりやすい「治った」が分かりにくい。 薬で何とか人並みの生活ができている状態である

復職?転職?

昨日のとある夫との会話 夫「ねえ、もう元気そうだしさ、仕事したら?」 私「・・・・」 確かに(薬さえ飲み忘れなければ)少しずつ元気になってきていると感じている。 ただ、夜ごと喚いたり叫んだり、何かと戦っていて夫に止めてもらっているそうだ(自覚はないけど)。 調子の良い割合は増えてきたが、波の大きな日は続いているし、「治った?」という問いにいつも引っかかってしまう。 見えない病気だからこそ、どこが治り時と言えるのか分からない。 かと言って、ずっと止まっているわけにもいかない。

休職して気づいた生活の楽しみ

以前、私は休職してから3ヶ月経って思うことを書いた。 症状のこと、仕事のこと、これからの生活のことを考えると気分がどんどん落ち込んでしまい、服薬量が増えてしまう。 普段は少しでも前向きでいられるように、日々の生活での楽しみを見つけるようにしている。 夫婦の時間 実は先日、夫が仕事中に足を骨折し労災が降りたので、しばらく日中も夫との二人生活となっている。不幸中の幸いではあったが、お互いに日々の生活の中で感じていることを言い合える時間をつくることができた。 話すことで自分の

教員に復職することの恐怖

先日届いた管理職からのメールに返信できないまま一週間くらい経ってしまった。 メールが届いた日は些細な一言にさえ傷つき心が疲れ切ってしまっていた。 やっとnoteに手がつけられるまでに戻ってきた。 一週間で自分なりに出した答えは ・休職を延長する ・毒親と弟妹、その親戚たちと完全に絶縁する ・毒親から奪われた自分のものを取り戻す 教員という仕事に戻るには心も身体も元気ではなく、また休んでしまう気がしているから。戻ってきたり休んだりするくらいなら、いっそちゃんと休んでいたほう

泣いた日

職場から連絡が来た。「11月25日から復職できますか」 また往復3時間通勤…気持ちを分かってくれない管理職…パワハラ先輩教員に気を遣うのか…気分が落ち込んだ。”もうゆっくりできたでしょ”と暗に言っているようなメールの文面。 そして毒親・兄弟からの突撃や嫌がらせがないか恐れる日々。 返ってこない自分の資産。 自分の頭の中がぐちゃぐちゃになり、気持ちが大きな波を打っていた。 気づけば夫にも冷たくなってしまいまた自分に対して絶望する。 海深くに突き落とされた感覚に近い何かがあった

休職期間の延長

主治医と相談して休職期間を延長することになった。 理由は ・しっかりと睡眠が取れていない(うなされていることが多い) ・吐き気、気分の落ち込みが完全に取れていない うつ病というのは3ヶ月そこらで治るものではないという現実を突きつけられた気分になった。 でも、私自身も何となく無理だろうなとも思っていた。 だからそんなに落ち込んではいない。 主治医から「あと半年は休みましょう」と言われたけど、 教育委員会は半年休ませてくれるのか・・・と少し不安はある。 「次年度に復帰できない

休職延長して秋を感じる

休職を延長して、気がつけば10月が終わろうとしている。 今月から漢方薬が変わって眠れるようになってきた。 薬のせいなのか、よく夢を見るようになった。 過去に関わりのあった人と話している夢 子どもたちと他愛もないおしゃべりをしている夢 朝起きるとぼんやりとした夢の記憶しかないけれど、とにかく夢を見たことだけは覚えているのである。 気持ちも少しずつ穏やかになってきている気がする。 不安なことはたくさんあるけれど、薬のおかげであまり強く不安感を持ちすぎないようになったと思う。