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私が休職した理由

6月から教員を休職して3ヶ月ほど経った。
気づいたらもう3ヶ月経っていた。

私が休職した理由はいくつかあるけれど、ざっくり言うと
  業務量の多さ
  保護者を含めた職場の人間関係 
  管理職からかけられた言葉
に傷つき気疲れしてしまったから。

ある時の職員会議で校長が全体に対して言った言葉
 「産休・育休を取りたければ、自分で代替教員を見つけて」
 「使えない教員はここにはいらない」
年に何回かある校長面談の時には、私自身のキャリア形成について相談しても
 「あなたは私(校長)のニーズに応える存在でなければならない」
 「あなたは加配教員だから足りない学年に行ってもらう」としか言わなかった。

職場には何十年もその学校にいる主のような先輩教員がいて、
その先生の機嫌を伺っていかないと仕事ができない。
特に飲み会には必ず参加し、12時を回っても付き合わないと
次の日からの仕事に支障が出る。
経験値を超えた初めての仕事を任され進捗状況が良くないと(模範解答を知っている)先輩教員に「なんで分からない」と叱責される。

そんな職場だった。常にストレスと共にあった。
思い返せば、身体のSOSはずっと前から出ていたのかもしれない。
 電車内で血の気が引いて気を失いそうになったこと。
 帰宅途中に気づいたら泣いていたこと。
 身体中に蕁麻疹が出てアレルギー薬が手放せなくなったこと。
 常に毎日頭痛で薬を飲まないと眠れないこと。

ただ、私は見てみぬふりをして働き続けた。
そうでなければ、管理職に「使えない」というレッテルをはられてしまう
人手不足の現場だから仕事をしなくてはいけないという切迫感にいつも迫られ
毎年度ギリギリの状態をごまかしながらやってきた。

自分を騙しながら迎えた7年目。
身体のSOSを超えて心がパッキと折れるような音がした。
その日から職場に通えなくなった。
何十件もかけて予約できた病院でうつ病(メランコリー型)と診断された。

休職して分かったこと
 自分にかかったストレスを無視していたこと
 自分がHSPであった(休職後に判明)のに無理に仕事を続けていたこと
自分自身と向き合うための時間をもらったと思いながら毎日を過ごしている。

人の生き方に正解はないかもしれないが、この時間を取ったことが
何十年後かの自分にとって正解だったと思えるようにしたい。

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