サマスペ!2 『アッコの夏』(17)<連載小説>
「ちょっとハイペースだな。後続も見えないし、ゆっくり目でいこう」
「あっ、はい」
大梅田に言われて、アッコは足元を見た。自分が旗持ちだと思うと、つい急いでしまう。
「できるだけペースは一定にした方がいいんだ。そうだな」
大梅田は前方を眺めた。
「あそこの信号まで歩数をカウントしながら歩くぞ。いいか。いち、に、さん、し」
アッコは大梅田の声に歩調を合わせた。
「そう、その調子。ほら、声を出していくぞ」
「はい。いち、に、さん、し、いち、に、さん、し」
かなり照れくさかったが、無理のないペースでリズムよく歩くと、疲れの感じ方が少なくて済む。後ろから追いかけてプレッシャーをかける先輩はいない。前方の道は大梅田がしっかりガイドしてくれる。
つまり、案に相違して、アッコの二度目の旗持ちは快調だった。
「旗持ち、アッコ。伴走、大梅田」
幹事長が発表した時は、きたか、と胸がざわついた。大梅田の伴走はアッコにとって鬼門そのものだが、避けて通れないことはわかっていた。
衝突か、決裂か、乱闘か。何が起きても不思議はない。
これまでのゴリラの行動は思い返すも腹立たしいことばかりだ。
初日からスタート地点で「女なんかに歩き通せるわけがない」と言われて、さっそく口論になった。
宿泊した公民館で男女で部屋を分けた時には「わかったら、さっさとふすまを閉めろ」と言い捨てられた。男どもが狭い部屋で寝るのが不満なのだろうが、あの態度はない。
食事の時も由里とアッコに文句を言いたそうな顔をする。どうせ食べるのが遅いとか言いたいのだろう。
昨日、おにぎりを差し入れしてくれたのは謎だが、クリスが自分一人でやったことかもしれない。そう思いたくなるほど、大梅田の行動は女に対する偏見まみれだった。
鬼のように走らされるか、それとも徹底的に無視されるか、どちらかだと予想をした。アッコは先輩からしごかれるのは応援団で経験してきたから、ある程度は我慢できる。しかし大梅田が一線を越えたら、退部覚悟で言いたいことは言わせてもらう。そう覚悟を決めていた。
カニを食べて休憩した後、幹事長のスタートの号令からはお約束の全力疾走。十分近くランニングしたのはきつかったが、後続を引き離した後は、むしろ気持ちよく歩けた。
それは大梅田のおかげだ。無駄なことは言わないが、アッコの歩きがおかしくなると、その都度、声を掛けてくれる。
「よし、もうじき一時間だな。次、コンビニか何かあったら休憩にするぞ」
そう、こんな感じ。残りの距離を定期的に教えてくれるし、道の先に分岐点が出てきた時の指示は早くて明確だ。休憩のタイミングもちょうどよかった。
アッコの歩調やフォームから疲れ具合を判断しているのだろう。数歩あとを大梅田が歩いていると思うと、不安がまったくない。
ふと鳥山の伴走を思い出して、笑いそうになる。あの時はアッコがまだ元気だったから面白かったが、旗持ちがばててしまったら、どうなるのだろう。かなり不安だ。
伴走は性格が出る。大梅田は初日の由里の伴走をした時も、見事なサポート振りだった。
「ヒスイ海岸だな」
看板が道路脇に建てられている。
『ヒスイと出会える いといがわ』
海岸は砂浜ではなく、無数の石が転がっている。
「ヒスイって宝石ですよね。あの石ころが全部、宝石?」
大梅田が呆れたように笑う。
「まさかな。でもヒスイの原石が混じっているらしいぞ。近くの山から流れ出て、この辺りの海岸に打上げられるんだそうだ」
「へえ、探してみたい」
大梅田は少し考えているようだ。
「この海岸で少し休憩してもいいが」
無愛想な大梅田が、そんなことを言うとは思わなかった。
「えっと、いえ、旗持ちですから道草はやめときます」
「そうだな、それがいい」
アッコは夏の日に輝く、ような気がする、海岸を見ながら歩き続けた。
午前と違って風景を見る余裕があるのは、ルートを知っていて頼れる伴走がいるからこそだ。
旗持ちのアッコは、ただ指示に従って歩き通せばいい。それは何より安心だった。
しかし、とアッコは考える。大梅田はキャラの落差が激しすぎて気味が悪い。二重人格かと思うほどだ。アッコはゴリラの生態に興味を持った。
アッコはテレビで、マウンテンゴリラを研究する女性生物学者を観たことがある。学者は野生の群れのすぐそばまで近づいて観察をした。アッコは危なくないのかとハラハラした。学者はカメラに向かって、ゴリラの生態を知るには、コミュニケーションと観察が必要です、と微笑んだ。
コミュニケーションと観察か。
「今の橋、長かったですね。姫川でしたっけ」
地図をめくる紙の音がした。
「ああ、今日の立ちんぼは青梅駅の辺りにいるはずだから、このペースだと、あと三十分ってところだな」
「もうすぐですね」
待っている立ちんぼは由里だ。今度はどんな顔をしたらいいのだろう。さっきはカニを口実にして声を掛ける機を逸してしまった。東条のせいでぎくしゃくしたこの状態を早くなんとかしたい。
アッコは後ろをちらりと見た。大梅田は地図を折りたたんで、リュックのポケットに入れている。ここまで大梅田は東条の話をしなかった。それはありがたかったが、三時間も一緒に歩いていて、まったく聞いてこないのも訝しい。かえって不安になる。
歩道の幅が広くなって大梅田が隣に並んだ。
よし、コミュニケーションと観察を続行しよう。
「大梅田さん。昨日はおにぎり、ありがとうございました」
下手に出つつジャブで距離を測る。
「腹が減っちゃ戦ができないからな」
やはりクリスは大梅田の指示に従ったのだ。
「大梅田さんが心配してくれるなんて思いませんでした」
遠回しにフック。
「順番からいって、今日は俺とお前がコンビになることはわかっていた。俺が伴走の時に旗持ちに倒れられるのは御免だ」
アッコのパンチはブロックされたが、ようやく腑に落ちた。
そういうことか。
大梅田はサマスペが大切なのだ。サマスペを成功させることを第一に考えているから、由里とアッコの旗持ちの時には、伴走として責任を果たしているだけ。つまり役割行動というやつだ。
「あたしに面倒を掛けられたくないってことですか」
「……そうだ。想像もしたくない」
大梅田は前方を見て歩き続ける。
むかついてきた。ええい、言ってしまえ。
「大梅田さんって男尊女卑なんですね。女が嫌いなんでしょ」
渾身のストレート。
大梅田は手で首筋を掻いた。
「よく言われる」
それだけ言って歩き続ける。アッコは軽くいなされたような気がした。
なんだ、この反応は。
前を見て無言で歩いている大梅田の表情からは何も窺えない。
アッコはふと応援団の副団長を思い出した。とにかく女が大嫌いで、アッコをしごいて辞めさせようとした。しかしその副団長も真夏の高校野球、延長十五回までアッコがリーダーをまっとうした時には褒めてくれた。
その経験から言えば、この手の男に認められるには男に負けないところを見せるしかない。それができなければ、何か理由をつけて追い出されるだけなのだ。
そこまで考えて首を捻りたくなった。昨日の電車不正乗車疑惑。大梅田にとっては目障りなアッコをやめさせる最大のチャンスだったはずだ。しかし大梅田はこの件について何も発言していない。そして今日の旗持ちのためとは言え、おにぎりを差し入れしてくれた。
やはり謎だ。
「先輩は昨日の電車のことを聞かないんですね」
「お前が電車に乗ったとは思ってないからな」
「えっ」
アッコは耳を疑った。
「私のこと、信用してくれるんですか」
大梅田は前を向いたままだ。
「東京に戻ったら東条を取っ捕まえて締め上げる。そうしたらアッコが電車に乗ったかどうかはすぐにわかる。アッコが嘘をつく意味が無い」
「そうか、そうだ、そうですよ」
三段活用を口にしたアッコは清々しい気持ちになった。東条が白状すれば、アッコが黙っている約束は無効だ。素晴らしい。ゴリラに襲われる東条に少しだけ同情してやった。
「それに俺は石田先輩を信用してないからな。以上だ。他に何かあるか」
「いえ、いいです」
アッコは両腕を上げて伸びをした。右手に持った旗が風に翻る。
「それより足は大丈夫なのか。豆ができているんだろ」
「はい、なんとか」
なんで知ってるんだろう。
「もう少しだからな。気合い入れろよ」
「はい」
アッコは黙って大梅田が言ったことを反芻しながら歩いた。
<続く>
※使用した写真は【糸魚川市観光協会】さんのHP、フォトライブラリーから許可を得て使用しました。
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