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僕らは何を村と呼ぶのか

東日本大震災から11年が経ち、10歳だった私は21歳になった。
福島第一原発事故から11年が経ち、全村避難をした葛尾村には人が住めるようになった。

生まれも育ちも千葉県で福島に縁もゆかりもない私が「原発被災地」と呼ばれる村を初めて訪れたのは高校3年生のときである。2018年だから、もう4年前のことだ。避難指示解除後も色濃く残る原発事故の痕跡に深い衝撃を受けた記憶がある。竜子山の正面の田んぼにどこまでもフレコンバックが積まれている風景をこの先も忘れることはないだろう。

2018年

大学生になり、生活の多くを村で過ごすようになった私は、ふとしたときに2つ目の衝撃を受けることになる。被害の痕跡を所与のものとしている日常に対してだ。フレコンバックもバリケードも線量計も、当たり前の風景になっている日常だ。気づけば自分自身もそのうちの1人になりつつあった。

2021年

現在に至るまで、その二つの衝撃の狭間に私は立ち続けている。
狭間に立ち続けたままで、村で働き、村で暮らさせてもらった。

村ではいろいろな出会いがあった。毎週スポーツクラブで一緒にバドミントンをしていた村のおばあちゃん。今は村に戻らないことを選んだ村出身のお兄さん。長期休暇ごとに村にやってくる復興支援の大学生たち。他にも数え切れないほどある村での出会いは私にとってかけがえのないものだ。

2020年

だからこそ、村の復興に携わりたいと思った。そう思って働いてきた。

しかし、それは「村の復興」という言葉を素直に使えなくなっていく過程でもあった。私たちが「村」と呼んでいるものは何だろうか。ある領域と居住者のことであるならば話は単純だが、おそらくそうではないだろう。出会ってきた人たち、出会ってきた風土たち、出会ってきた歴史たちが、私にとっての「村」をかたちづくっている。その「村」は特定の領域にも居住者にもとどまらない。一度、全村民が村外に避難した村であるからなおさらだ。

それでは「復興」と呼んでいるものは何だろうか。インフラが整備されること、人口や産業が維持されることは言わずもがな重要だ。震災以前は約1600名ほどいた人口が2022年時点では約400名となっている。その4分の1は震災後の転入者だ。村としての復興を掲げるならば、帰村や移住を促進することになるだろう。しかし、それだけでいいのだろうか。「住む」という選択をめぐって葛藤する村出身者を見てきた。葛藤する大学生を見てきた。もはやそれを「復興」とは呼ばないのかもしれないが、彼らが前向きに選び取れる何かが重要ではないだろうか。それを見ずして、帰村や移住を促進しようとは、とても自分には言えないと思った。

2020年

そう思ったときに、住まないままで村に関わる方法を模索するのは自然な流れだろう。多拠点居住が取りざたされる昨今、世間的な流れとも言えるかもしれない。

ただ「村」とは何だろうか。この問いに対して、私は明確な回答を持ち合わせていない。それは「村」というものが多層的な関係の総体だからだと思う。このことは「村に関わる」とは何かということを考えると少し見えてくる。「村に関わる」という言葉のままで村に関わることはできない。「村に関わる」と自らが言うとき、そこには顔の見える人物や自然があって、具体的な自分自身の動きがあるだろう。それは「あの家にたまに帰る」ということかもしれないし、「あの人と一緒に仕事をする」かもしれない。いずれにせよ「村に関わる」という言葉を自分自身の言葉にした瞬間から、私たちは固有名詞を離れることができない。そのような固有名詞が重なり合って積み重なったものが「村」なのだと思う。

したがって、私たちには私たちのことしか語りえないし、こうしてnoteに言葉を綴っているだけでは成立しない。誰かとのコミュニケーションの中でかたちづくられるものであるが、誰かによって規定されるものではない。そうであるから、私たちは「村の復興」を支援するだけではなく、「松本家」の使い方の話をするようになったのだと思っている。

2022年

ここまでつらつらと書き連ねてきたのは単なる自意識の問題とも言えるが、この問題はおそらく私自身に限らない。

「地域づくり」という言葉は内発的発展論の浸透とともに使われるようになったと言われている。よって「地域づくり」は住民自身を主体とした地域の発展を目指していると捉えられる。また、ここ数年よく聞かれるようになった関係人口も地域住民の主体性獲得を促進する存在として位置付けられている。そのような考え方について、概ね自分も賛同している。

しかし、葛尾村において、主体となる住民とは誰のことだろうか。居住者だとすると、約300名の帰村者と約100名の転入者のことになる。ただ、その3倍近くいる避難者を無視することはできないだろう。また、避難者を含めて、仕事や暮らしで村を出入りしている人たちは多数存在している。そのような地域社会において、住民が主体になるとはどのようなことなのだろうか。統一的な地域社会を想定することはどこまで可能なのだろうか。この問いに対する明確な回答を今の自分は持ち合わせていない。

嬉しいことに、A&ANSにお誘いいただいて、3月19日に国立(東京)とオンライン(Zoom)にて「葛尾村」に関するお話をする機会をいただいた。このイベントでは、実体験と現地調査をもとに、地域社会における主体とそこから派生する問題を扱いたいと考えている。この問題はおそらく、農村の持続、統治と主権、時間と空間といった一個人一地域を超えた話題につながっていくだろう。ここまでの話に関心を持っていただいた方には是非ご参加いただきたい。イベントでの議論を踏まえて、今年度の総括として改めて文章を書きたいと思う。

2022年03月19日 開催予定

ただ、私たちにとっての「村」の問題は、実践を伴わなければ空虚である。このような文章を書いたり、このようなイベントをしているだけでは、どうにもならない。それは先日、松本家にて炭焼きをする中で改めて感じるところであった。そうであるから「地域づくり」の担い手としてではなく、「地域住民」見習い程度の存在として、私は語り、行動していきたい。

余田大輝

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