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だが僕は選択し続けるしかない人生を選択した

生まれてこのかた趣味と言えるようなものを僕の記憶している限り持ったことがない。ないと言っても音楽は好きだし、映画も観るし本も読む。コーヒーやお酒も好んで飲む。むしろ人並み以上にはいま挙げたものに関しては詳しい方だと思う。しかし、何か一つのものに対し熱狂的になったことが一度もない。強いて言うなら中学の部活には熱を入れて取り組んでいた。ただその一度きりしか何かに熱中した記憶がない。そのためかよく冷めてる性格だと言われる。好きなアルバムがあっても、ライブに足を運ぶほど好きなアーティストはいないし、好きな映画監督はいても、映画館にわざわざ観には行かない。こんな人間だからこそ、何かを熱狂的に追いかけている人を少し羨ましいと思う反面、あまり関わりたいとも思わない。

この何か熱狂的に好きなものがある人の中には、“自身の中に評価軸を持っている人と持っていない人”がいるように感じる。

僕があまり関わりたくないのはこの評価軸を持っていない人のことだ。

好きな監督の作品で新作が公開される度に必ず公開日に映画館に観に行くほど熱狂的なファンであっても、その作品が面白かったか面白くなかったか、好きか嫌いかの評価を自分の中に持っている人とはむしろ仲良くなりたいと思うし、共通の話題があればぜひ話してみたい。それほど何かを熱狂的に好きになれる人はやはり魅力的だと思う。

ただ、この評価軸を持ち合わせていない人は別だ。

この評価軸を持たない熱狂的なファンのことをいわゆる“信者”と呼ぶのだと思う。新製品を必ず買うApple信者なんかはその代表だと思う。

これと同じでアーティストやバンド、アイドルグループの熱狂的なファンも絶対的に無条件にかつ全てを肯定し、日々暮らしていく上での拠り所としているように感じる。好きな俳優が出てるCMの方の商品を買い、好きなモデルが普段から使ってるものに飛びつく。

こういう自身の選択に思考が伴ってない人は苦手だ。

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昨年くらいから“多様性”という言葉をよく耳するようになった。この多様な考え方を認める動きはこれからもっと大事にしていくべきだと思うし、僕もこの恩恵を受けている側の人間だと思う。ただ多様な考え方がある時代だからと言って、無闇矢鱈に全てを受け入れるのは一種の“思考停止状態”に陥っているように感じる。

全てを肯定することは、何でもかんでも否定から入ることと同じかそれ以上にその言葉は軽く意思を感じることができない。

僕は何でも否定から入る人は嫌いだ。

そんなの無理でしょ!と自分でやった事もないこともないことに対して、何の根拠もなく否定する人たちがいるが、こっちはそんなこと百も承知で突き進んでいる。やってみなきゃ正解なんて分からない。何もやらないよりよっぽどマシな人生だ。

そんな中にも自分の考えや経験をもとにそっちは危ないよと思考を伴った否定をしてくれる人もいる。ちゃんと自分と向き合ってくれている気がするし、その言葉にもどっしりとした重みを感じる。

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人生は選択の連続で常に考え、時に直感的にそれぞれの道を選んでいかなければいけない。

もちろんその選択肢に気づくことができない人もたくさんいるだろうし、選ばないという選択をする人もいるだろうと思う。

だが僕は選択し続けるしかない人生を選択した。もう突き進むしかないし、後戻りもできない。

ただその選択肢が2択とは限らないし、考えたってどうしようもない事だってある。その選択が自分を苦しめたりするのなら、一旦考えるのをやめて先延ばしにするのもいいんじゃないかと思う。時間が解決してくれる事もあれば、誰かが手を差し伸べてくれるかもしれない。しかし、これはあくまで先延ばしであって自分の殻に閉じこもってはいけないし、いつかは選択しなければいけないときが来るかもしれない。

それでも僕はどんなに苦しくても思考し選択し続けることを絶対にやめない。立ち止まることが一番苦しいことだと知っているから。

しかしながら、久しぶりに会う友人や先輩の手土産に何を持って行こうか頭抱えている僕は流石に考えすぎだろうか。

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