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もち麦と、おとんと私と母

もち麦。

実家にいた頃、我が家では、
白米に2~3割ほどもち麦を混ぜて炊く。

母と私の好みだ。
ちなみに父は白米派。
ある夕飯時、父はつぶやいた。

「もち麦はくさいからなぁ」
「くさくないよ!」

二重になったのは私と母の声である。
この「くさくないよ!」について考えてみた。


「私は、(もち麦を)くさいと思わないよ」

なのか

「もち麦はくさくないよ」

なのか。


同じようだが、前者には

「私はそう思わない。けれど、あなたはくさいと思うんだね」

の余地がある。

自分がそう思ったことも、
相手がそう思ったことも、事実として捉えている。


対して、後者は「もち麦はくさくない」

誰がどう思おうと
「むち麦はくさくない」。

これでは、
自分の意見が正しい、あとは全て違う
というのと同じである。


前者であれば、

「私はくさくないけれど、あなたがくさいと感じない調理法を考えるね」

と視野を広げることができる。

もち麦はくさくない。

されど、
個々の感じ方は自分の感じ方同様に
尊重したいものである。






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