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エッセイ「恐怖の凧揚げ」


 稲刈り後の田んぼに集まり、皆で大空高く凧を掲げる。そんな凧揚げが怖くて仕方なかった。
 友達が操る凧ですら隣で見ていて足がすくんだし、今こうして凧揚げのことを想像しただけで手にじっとりと汗をかいてくる。

 当時は友達に凧揚げをしようと誘われて、「いやちょっと俺は凧揚げるの怖いからやめとくわ」なんて口が裂けても言えなかった。
 大人になった今なら意外と皆が賛同してくれるはずだと思っていたが、「子供の頃、俺は何故か凧揚げが怖くてなぁ・・」という僕の告白に対して「妖怪の話ですか?」と後輩は真面目な顔で答えた。
 結局はあの頃と何も変わらない感覚。

 恐怖を振り払う為に、正月のお年玉で新しくカッコいいデザインの凧を買って挑戦した。自転車カゴの中で揺れる凧を見ながら、これならいけるんじゃないかという期待が膨らんでいく。
 田んぼで合流した友達は皆僕の凧を見ると羨ましがり、この凧はめちゃくちゃ上がるぞと口々褒めた。
 皆の予想通り、僕の凧は風に乗ってグングンと空に舞い上がっていく。だんだんと小さくなる凧を見上げていると、そわそわとした掴み所のない恐怖が、僕の足元から少しづつ這い上がってくるのを感じた。

 このまま永遠に上がっていき宇宙まで到達するのではないかと考えると、鼓動が早く大きく警報のように鳴り響く。
 気づけば凧糸を持つ手は硬直して、それ以上は糸を伸ばすことが出来ない。
 凧と自分との距離やその間の空間そのものを操っているように思え、それはいきなり猛スピードで走る大型のトレーラーのハンドルを握らされたような、こんなにも矮小な存在の自分が支配してしていいものではないという、耐えきれず発狂してしまいそうな恐怖だった。

 半ばパニック状態に陥りながら、それでも固まった手を離せずに、ぐいぐいと暴力的な風に引っ張られる凧を必死で押さえつけていた。見上げているはずの空が上なのか下なのかも分からなくなり、足をあげると、そのまま真っ逆さまに空に落ちていく気がした。

 助けて!と大声で叫びそうになった瞬間に凧の糸が切れた。
 とてつもなく大きな恐怖の塊は、凧と一緒にぺらぺらと弱々しくぬるい風に流されていった。

 僕から逃げていく凧を眺めながら、やっと逃げられたと安堵した。

 隣で楽しそうに操る友達の凧は、僕の三倍はあろうかという高さまで上がっていた。
 僕はそれを眺めながら、自分は誰かと比べて何かが欠如しているのではなく、何かが決定的に足りてないのだと感じた。

 それは、これから先ずっと僕に付き纏う呪いをかけられたような気分だった。



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