還暦を過ぎて、残り人生をかけたサービス「四次元年表」の開発に日々いそしんでいます。

還暦を過ぎて、残り人生をかけたサービス「四次元年表」の開発に日々いそしんでいます。

最近の記事

"Omnitheca" --収録に値するものとは 

 『四次元年表』というデータベースをつくっている。BigHistory対応、分野を問わず、と謳っている。といっても、その全てのデータを自分で入力することはできない。だから、データベースをつくっているというよりは、人びとがデータベースをともにつくるプラットフォームをつくっている。  分野を問わず、の理由は、そうすれば、異分野への垣根が低くなるだろう、と思うからだ。へえ、こんなものがあるのか、という発見。私はそういう「越境」が好きだ。  だけれども、世の中は「専門」であふれて

    • 『コロンブスの図書館』 読後

       写本から印刷本の時代となり、情報の波にのみこまれながら、それまでの「限られた人のための、限られた分野の書籍を、厳選して集める」という図書館のあり方を根底から覆した、クリストファー・コロンブスの息子、エルナンドの伝記。 p379-p381 ・・・・・・・だがなんといっても、彼が抱いた最大の野望である、全世界の知識を集めた宝庫ーーキーワードによる検索が可能で、概要を通じて様々な情報に触れ、異なる基準に沿った並べ替え、そして世界中に広がる拠点からのアクセスが可能なそれはまさし

      • 文化情報工学総論期末課題

        仮想卒業研究計画 データベースを可視化する   4W1Hをきちんと意識して書きましょう。おそらく小学校高学年で聞いた先生の言葉が、今も私を捉えている。しかししばらくして、この5つのうち、When、Where、Whatと、Why、Howは、異なる性質を持っていることに気づく。前の3つは事実だが、あとの2つは解釈や評価を含んでいる。そして残念なことに、昨今の風潮は、解釈や評価に熱弁を振るう一方で、事実の記録を軽んじる方向に流れている。そんな中、「いつ、どこで、なにが」に特化した

        • 人文情報学研究 振り返りに代えて

          大きな障壁には、大きな夢をヒトは太陽を求めて、東へ、東へと歩いた、何万年もかけて。 またある人は御仏の教えを求めて、西へ、西へと歩いた、砂漠も、雪山も越えて。 またある人は黄金の国を求めて、世界の果てから虚空に落ちる恐怖に打ち勝った。 障壁を越えるには、それが大きければ大きいほど、大きな希望が必要だ。 人文学に情報工学を取り込むには、現状、大きな障壁があるように思える(特に古文書類を扱う場合)。そこにどう立ち向かうか。 一つ、個人の研究を擲って、大いなる進歩の礎として人文

        "Omnitheca" --収録に値するものとは 

          最終レポート出した

           共創工学でつくるBigHisoryの研究基盤  還暦を過ぎたある日、突然思い立って、私はアプリ開発者になった。といっても、開発のなんたるかも、プログラミングも、何も知らなかった。ただ、「自分がほしいアプリを自分でつくろう」と思ったのだ。以来、独学の試行錯誤、七転八倒の悪戦苦闘を繰り返しながら、日々の小さな達成感や、ときおり垣間見る新しい景色に励まされつつ、なんとかプロジェクトの全体像が見えてきたところである。そんな中、「母校でもう一度学びませんか」という呼びかけを受けて、共

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          失敗は財産である、人類の

           人間環境工学のお二人がそろっておっしゃった「失敗も財産であるから公表、共有しない」というお話と、情報工学の先生のデータマイニングのお話を受けて、ミニッツペーパーとして提案するのは、「失敗共有データベース」です。  失敗が財産である、というのは論を待たないと思いますが、それが「だれの」財産であるか、は検討の余地があるでしょう。成果を公表した順番、あるいは特許によって研究、研究者の価値が保証される世界にあって、失敗は、研究者個人、研究室、団体、企業、場合によっては国家の財産と

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          歴史を可視化する  文化情報工学総論のALH2として、情報の可視化についてリサーチする。聴講生であるから評価対象にならないことは承知しているが、ご笑覧いただければ幸いである。 言語化と可視化  百聞は一見にしかずという。人は(視覚障害を持たなければ)最も多くの情報を視覚的に受け取る。この言葉を真に受けるなら、可視化できるものはなんでも可視化して、言葉に頼るのはやめたら良さそうなものだが、書店に行けば、可視化を軽く凌ぐ数の『言語化』にまつわる書籍が並んでいる。物事をきちんと言

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          からくり文楽

          日本演劇と文化情報工学 を受講して  平田オリザ、石黒浩の同世代(彼らのほうがちょっと若い)として、興味深く受講した。モーションキャプチャによる身体技能の記録と、ロボット・アンドロイド演劇の話題から、からくり文楽、という可能性を考えた。  人形浄瑠璃は、他の古典芸能同様、後継者の育成に問題を抱えている。モーションキャプチャ等によって、名人の芸を記録、保存する対象の一つと考えて良いだろう。しかし人形浄瑠璃には、単に継承が危ぶまれる芸能、以上の意味が、文化情報工学的にあるよう

          からくり文楽

          ストロー

           むかし、なにかのイベントで、用意したストローがあまったのを、「災害備蓄」という段ボールにしまってあった。しまいながら、災害時にストローなんか使うかなあと、ちょっと懐疑的だったのだが、イヤ、これは必要だ、と思い直した。  以前、書いたように、私は先週水曜日に転んで口周りにケガをした。ほかは全身、どこも痛くも痒くもないのだが、唇と口内の裂傷、そして強打した歯列全体がちょっと後を引いているのだ。結果、液体をストローでおそるおそる飲む、という以外の食事法がなくなった。  平時には意

          ストロー

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          『四次元年表』とGeo-informatics  母校に共創工学部が新設されるというのは、うれしいニュースだった。哲学科を卒業し、還暦を過ぎてアプリ開発者の道を選択した今、ぜひ母校に帰って新しい知見を得たいと思い、今期、本講義を含む四つの講座を聴講している。  今回は文化情報工学総論のALH1として、地理情報学についてリサーチする。聴講生であるから評価対象にならないことは承知しているが、ご笑覧いただければ幸いである。 四次元年表とは  『四次元年表』というプロジェクト

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          おばあさんがころんだ

           今日は、散歩の日記を書こうと思っていた。大学の帰りに少し運動しよう。ところが途中でころんだ。ほんとに、単純に、ころんだ。躓くものも、滑るものもない、ぶつかったり、よけたりする人もいない、ふつーの静かな歩道で、ころんだのだ。  下り坂だった。あっ、と思った。重心が崩れている、前にのめっている。 まず膝が地面についた、上半身がついた、頭をぶつけたくない、そう思ったのを覚えている、それでだろう、あごから落ちた。下り坂の角度の分だろうか、ずいぶんゆっくりと感じた。  あごをした

          おばあさんがころんだ

          言語の呪縛

           2000年代、AIといえばチェス、将棋、そして囲碁だった。人間は機械に負けてしまったのか、という落胆は、たぶん、ほんの一瞬だった。別に聴衆は機械同士の戦いを見たいわけではなく、むしろ、「機械と切磋琢磨した人間同士」の対戦が、ますます人びとを魅了した。競技者たちに、「この機械は人間のように考えていない」などと言っている暇はなかった。人がまだ見たことのない手、なんでそうするのが良いのかまったく理解できない指し筋をどんどん受け入れていった。メディアはメディアで、人間だけでなくAI

          言語の呪縛

          新世界

           復学して第六週が終わった。宿題は提出しているものの、成績がつくわけでなし、テストがあるわけでなし、ただひたすら楽しい聴講生生活である。唯一の難点は通学が遠い。  昨日は地理情報学でQGISの演習だった。使ってみたくてDownloadしたけど、手も足も出ていなかったので、なんというグッドタイミング。東京の地形図に江戸の古地図から抽出した地理情報を載せて、旧地名と地形の関係をみる。おおお、こういうの大好き。これは、もう、一日遊んでられるヤツでしょう。  帰宅して早速復習。  ま

          哲学とAI

           1980年、私が大学生だったころ、コンピューターはまだ一般的ではなかったし、それは工学とか、数学とかの世界のものだったのだが、哲学科の若い助教授は、そのコンピューターに大変興味を持っていた。今から振り返れば、その先見の明を慕って、彼の研究室を志望すれば良かった、と思わないでもないが、当時の私は悲しいほど保守的だったから、人間の代わりに機械が考えるような未来、なんてまるでバカバカしいSFだと思っていた。神が存在することを裏付けるようなデータと、神などいない、というデータを同数

          哲学とAI

          通底する「なにか」

           今日は、言語情報学だった。言語学は、特定の言語を学習するのではなく、言語に通底する「なにか」を探求する。教授の定義に、私の思考を方向づけた言葉の一つを思い出す。  宗教学とは、特定の宗教について学ぶのではなく、宗教に通底する「なにか」を探求します。ある神にまみえる恍惚はけして味わえないが、広い視野で大きな世界が見られますよ・・・。 ヒトの言語、クジラの言葉  消えてなくなる音声を留めて視覚化する、人間はずっと、その方法を模索してきた。意味を画像にし、音を記号化して、岩に

          通底する「なにか」

          掘ると見つかる

           私の作っている『四次元年表』に 「869年7月9日 貞観地震 三陸沖」の登録がある。そしてもう一つ、「901年 日本三代実録が貞観地震に言及 京都」という登録もある。この事象については、Wikipedia(日本語版)で三代実録の原文を見ることができる。だが、三代実録に記されているという300もの地震の記録を、私が直接見ることはできないだろう。  と思ったら、Wikisauceに一覧があるという。  では、地震以外のなにかを知りたいと思ったら、どうすればいいのか。また一から

          掘ると見つかる