還暦を過ぎて、残り人生をかけたサービス「四次元年表」の開発に日々いそしんでいます。

還暦を過ぎて、残り人生をかけたサービス「四次元年表」の開発に日々いそしんでいます。

最近の記事

掘ると見つかる

 私の作っている『四次元年表』に 「869年7月9日 貞観地震 三陸沖」の登録がある。そしてもう一つ、「901年 日本三代実録が貞観地震に言及 京都」という登録もある。この事象については、Wikipedia(日本語版)で三代実録の原文を見ることができる。だが、三代実録に記されているという300もの地震の記録を、私が直接見ることはできないだろう。  と思ったら、Wikisauceに一覧があるという。  では、地震以外のなにかを知りたいと思ったら、どうすればいいのか。また一から

    • どこで立ち止まるか

       『四次元年表』の簡易版を、Flutter大学の共同開発でつくっている。モバイルで使えて、入力項目が少なくて、ちょっとしたゲームもついてます、みたいな。そこでまた、英語問題が再燃する。英語で入力する、あるいは英語で表示される検索結果への、アレルギーみたいなもの。  おりしもLlama3が無償公開されたので、なら、自動翻訳を入れられるのか?と思ったりするけれど、よくよく考えたら、自分でServerを用意して、Llama3を設定して、導入する、というのはゼンゼン、タダ、ではない。

      • かわること、かわらないこと

         1980年ころ、お昼を食べていた、住宅街の小さな洋食屋さんがまだあった。すっかり傷んだ木の看板には、1977年と書いてある。古びた扉とは裏腹に、店内はとても賑わっていてた。店の隅にひっそり、私と同世代の女性の写真が飾ってある。シェフのバンダナの端から白髪がもれている。ああ、この店は、学生だった私といくつも年の違わない若い夫婦が、始めたばかりだったのだなと思う。切り盛りをしている女主人は、だから私の娘より少しだけ年上、という感じだ。  この店に学友と来たことはない。彼女たちと

        • そこからどちらを見るか

           今日の講義は本館の大講義室。講堂を囲むE字型の建物の一番奥。今でもときどき、古くて大きな本館で迷子になる夢を見る。けれど久しぶりに入ったその建物は、中庭に降りそそぐ春の日が大きな窓からさしこんでいて、なんだか拍子抜けするほど明るかった。  『四次元年表』が目指しているようなことは、実は権威のある組織が、国家予算を投じて、大人数で、何年もかけてやるものだ、というような話だった。特にデータの収集が難しいと。  だよねえ・・・・。このご時世だから、ChatGPTに聞いてみたことが

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          歴史と歴史学の間

           朝9時からデータベース論、16時40分から人文情報学研究、6時間超の空き時間! 図書館に立てこもって、Unityのコード書いて過ごした。途中ちょっとランチ兼お散歩に出て、にわか雨に降られた。雨宿りで入った区立スポーツセンターがおしゃれだった。  今日の講義は二つとも3年生の選択科目なので、火曜、水曜の1年生必修、に比べると、人数が少ない。特に人文情報学研究は5人。よっぽど人気ないのか、と思わないでいただきたい。小規模な我が母校ではめずらしくない。こういう贅沢なことをしている

          歴史と歴史学の間

          講義のたびに宿題が出る

           私の哲学の先生は、初回の講義で、「君たちねえ、哲学というのは大学の黒板の前でするものではないんだよ」とおっしゃったので、以来その講義には出なかったのだが、試験の時、「黒板の前ではないところで学んだこと」を書き連ねたら、Aをくださった。  講義に出るたびに、出席表の代わりに短文を提出しなければならない今時のシステムをまえに、しみじみと先生のことを思い出す。  さて、今日は一つしか受けてないのに、お題が二つ。 「工学の工は工夫の工」  例示された「3°の傾斜がついた電卓」に

          講義のたびに宿題が出る

          初登校

           若い学生たちと違って、入学式もオリエンテーションもないので、今日が初登校。40年ぶりの、「先生以外はみんな女子」環境に、ちょっとドキドキする。学生の3分の1ぐらいが、新らしそうなMacbookAirを開いている。でも、ノートと鉛筆、の学生もいて、それがちょっとうれしい。  今時の大学は、出席取る代わりに、「講義での気づきと学び」を短文にまとめて、自分のアカウントにアップロードするんだというので、それをちょっと、書いてみよう。 女子大に工学部を新設する背景とその目指すところ

          なぜ英語?

           四次元年表は英語で運用している。世界標準を目指す上で、好むと好まざるとに関わらず、現実的な判断だ。  Wikipediaには各国語ある。でも、内容は均一ではない。フランスの事象を詳しく読みたければ、日本語でも英語でもなくフランス語で読むのが確実だ。が、それはだれにでもできるという話ではない。結局、平均的に英語、という選択になる。いずれ、遠くない未来に、AIが言語の壁を壊すだろう。だが、少なくともそれは、今、ではない。  テスト使用を頼んでいる友人たちに最も不評なのも、この英

          なぜ英語?

          いつ、どこで、なにが

           「四次元年表」はまたの名をWhen Where What Databaseという。 いつ、どこで、なにが、だけが必須項目だ。もちろん、検索をかけて関連を見たりしたいからいろいろなタグはつけるが、デフォルトでは表示されない。  この情報過多の時代に、「いつ、どこで、なにが」なんてどうやってでも手に入るだろう、わざわざデータベースにする必要があるのか、と思う方も多いと思うが、これが簡単には手に入らない。わたしは毎日、四次元年表の動作確認をかねてさまざまな入力をするけれど、その三

          いつ、どこで、なにが

          Je me précipite où les anges craignent de poser les pieds

          おろか者 天使の踏まぬ道を つきすすむ  子どものころの夢にアプリという形を与えたい、というわたしの日々は、おおむねこんな感じだ。  西洋人の好きな「引用句Citation」には、文脈というものがない。茨のみちを選んだおろか者はどうなったろう。おろかな選択を悔やみながら果てたのか、おろかはおろかなりの実りがあったのか、あるいはおろか者だからこその至福を得たろうか。  また、この警句を吐いた詩人は、どう思っていたのだろう。そのおろかさを批判したのか、哀れんだのか、あるいは

          Je me précipite où les anges craignent de poser les pieds

          ふたたびの春

           この春、母校に帰る。文理融合、文化情報工学を謳う新学部、今の私にぴったりと思う。  還暦を過ぎて、夢をカタチに、と、プログラミングを独学し、データベースをつくり、そこに情報を登録するためのアプリをつくり、情報の検索結果を三次元表示するサイトをつくり・・・、でもここに来て、なにか新しい視点がほしい。じぶんの夢、じぶんの思いにひたりすぎで、視野狭窄になっていそうな気がするから。  入学式の直後、哲学科の自己紹介で言ったことを、今もよく覚えている。 「高校では歴史が好きでした。歴

          ふたたびの春

          ジグソー

           今日は一日中、UNCHAINの復習をしていた。六つの課題の読み込みながら、使えそうなもの、よくわからないもの、とりあえず放置するもの、なんかを分別した。三月四月は、全く五里霧中で、flutterならわかる!と思えてしまうほどだったが、五月にデータベースの泥沼を歩き続けたら、なんかちょっとUNCHAIN、前よりわかるかも、と思えてしまうから、不思議。わかるなら書けよといわれると困るから、わかる、じゃないな、懐かしい笑

          ジグソー

          せいしまさつ

           ちょっとうまく動き出せない。

          せいしまさつ

          かくど

           今月の進捗発表会終了。この一ヶ月はデータベースの扱いに苦戦して過ぎた。今使っているのは、firebaseだけれど、ほんとにそれでいいのか、ちょっと考える。でもとりあえずデータベースをいったん離れて、またweb3を少しやり直したい。新しい視線がちょっと必要。

          かくど

          てづまり

          明日、進捗発表だというのに、できていたこともできなくなって、どうにも修復できない。悲しいことこの上ないが、それでも粛々と進むしかない。

          てづまり