見出し画像

無責任に笑っていいのか

 昨今のニュースを観ていると、お笑いに対して無責任に笑っていいのかと感じることがある。
 その「昨今のニュース」は、自分の中にざっくり2つある。


 まず1つ目は、正月ののんびり気分に冷や水を浴びせた、能登地震と羽田飛行機事故のニュースだ。
 もともと、どんなニュースを観ても対岸の火事としか思えず、災害や戦争などのニュースを自分ごととして捉えることができなかった。
 東日本大震災の時は物心がついていたが、ゆかりのない遠い地で大変なことが起きているな、くらいの感覚だったし、ウクライナやガザ地区の戦争に対しても、遠い国が大変なことになってるな〜くらいの軽い温度感で報道に接している。
 したがって、東日本大震災の時に、津波のニュースを観て泣く同級生の気持ちはわからなかったし、戦争が起きているのに日本でクリスマスを祝っていいのだろうかと戸惑う人の気持ちもわからなかった。災害も戦争も自分の暮らしには直結しないのに、なんでこんなに自分ごととして感情移入できるのだろうと、不思議に思っていたまである。
 そんな、よく言えば図太く、悪く言えば無関心な心性を持っていた。

 しかし、正月のニュースに触れ、そんな心性は吹き飛んだ。それらのニュースを観て、今まで覚えたことのないほどの心のざわつきを感じたのだ。「ニュースを観て動揺する」という、今まで知らなかった感情を発見した。
 理由はおそらく、どちらのニュースにも、自分に引きつけて考えられる部分があったからだ。能登地震では仲の良い友人が被災したし、飛行機事故ではその飛行機に知り合いが乗っている可能性があった。
 結局、友人は発災直後に避難所生活をしたもののすぐに自宅に帰れたようだし、飛行機に乗っているかもしれない知り合いは全く別の飛行機に乗る予定だったらしい。したがって、どちらにおいても親しい人が被害に遭ったわけではない。

 それにもかかわらず、三ヶ日はニュースを観てずっと心をざわつかせていた。刻一刻と明らかになる被災状況を速報で知るたびに、痛ましさに顔をしかめ、ただテレビを観ていることしかできない状況に対してもどかしさを募らせていた。

 繰り返すが、こんな感情を味わったのは人生で初めてだ。今までは、どんなニュースに対してもどこか他人事のように接していた。
 だから、ニュース速報の後にバラエティが放映されても、何も考えずにげらげら笑うことができた。非日常的な惨事を伝えるニュース速報と、毎週放映されているバラエティが、同じテレビから交互に流れてくる状況に、違和感や居心地の悪さなんてこれっぽっちも感じたことがなかった。

 しかし、今回は別だった。それぞれのニュースを自分ごととして考え、心が揺れ動いていたからこそ、ニュース速報とお正月特番が交互に流れてくることを受け入れられなかったのである。
 いま日本のどこか、しかも自分にも馴染みのある場所で大惨事が起きているのに、お笑いやバラエティを観てただ無責任に笑っていいのか?とずっと思っていた。
 もちろん、自分が笑おうが笑うまいが、惨事の状況は何ひとつ変わらない。それにもかかわらず、テレビを観て笑うという日常的な行為が、なしてはいけない不適切なものと感じてしまったのだ。
 それに、ニュースとバラエティの反復横跳びに、心のスイッチを切り替えられなかったということもある。つい先ほどまでニュースに深く心を痛めていたのに、次の瞬間にはバラエティを観ていつも通りに笑うなんてことが、誰にできようか。そんな器用な心は持っていない。


 「昨今のニュース」の2つ目は、芸人界のセクハラ・パワハラ問題である。
 セクハラは、昨年末の文春ですっぱ抜かれた、まっちゃんに関する一連の報道だ。
 一見クリーンな世の中でそんなことがあるわけないという思い込みや、まっちゃんに対する個人的な肩入れもあり、当初はこのニュースを信じていなかった。
 しかし、週を追うごとに被害女性側の証言に厚みが増してきており、どうやら事実無根ではなさそうだ、と考えが改まっている。
 
 パワハラ問題は、昨晩プラス・マイナスの岩橋がツイートしていたものだ。とある制作会社の社長に壮絶で陰湿なパワハラを受けていたと、何個ものツイートで告発をしていた。
 被害者の一方的な証言なので信憑性は定かではないが、文章の圧や書かれている内容の壮絶さに面食らってしまった。加害者の実名が出ていること、被害者側の告発であることから、これは事実だったんだろうなと感じている。もちろん真偽はわからないが。

 これらのニュースによって、いくらクリーンになった(ように見える)芸能界でも、我々一般人が知ることのできない裏側には、汚くてどす黒い世界がまだ残っている、ということを知ってしまった。
 今まではテレビやラジオで接することのできる華やかな芸能界だけを知り、干される等の問題があるとはいえ何とかなっているんだろうな、だから出演者は普通に振る舞うことができているんだろうな、と太平楽に推測していた。受け手としてエンタメに触れている以上、芸能界の裏側など知る由もない。ましてや今はメディア全般にきついコンプラの波が押し寄せているのだから、裏側でコンプラ違反の出来事なんて起こっているわけがない、と考えていた。

 そんな矢先に闇の数々を知ってしまったので、報道以前に摂取していたエンタメに対して、無責任に笑えなくなった。毎週決まったテレビやラジオを視聴して楽しく笑っているが、それらの裏にも最悪な世界が広がっているのではないか?
 もちろんこんなのはただの推測に過ぎないが、数々の告発に半ば裏打ちされている推測である。したがって、以前のように純粋な気持ちでエンタメを受容することが難しくなっている。

 ニュース以前も以後も、パッケージングされて提供されるエンタメたちは、同じクオリティを保っている。ニュースがあったからつまらなくなっているわけも、面白くなっているわけもない。面白さで言ったら昔も今もなんら変わりない。
 しかし、それを受け取る自分の心が変わってしまっため、以前のように何も考えずに笑うことができなくなってしまったのだ。


 惨事と芸能界の闇という別軸のニュースではあるが、それが自分の中で絡み合い、エンタメ受容の態度に少なからず影響を与えている、というのが現状だ。
 種々のニュースを知った私よ。かつては何の気なしに観てげらげら笑っていたものたちに対して、今も変わらず無責任に笑っていいのか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?