ビジネスメンター帰蝶の戦国記⑩

あらすじ 
 主人公・濃姫(胡蝶)がメンター、織田信長がメンティとなり、壁打ちしながら戦略を組み立てる戦国ライトノベル。歴史を楽しみながらビジネス戦略の基礎知識に触れる事ができます。
 第3章は胡蝶輿入れ後から岩倉城の戦いまでの尾張統一を描きます。時期は1章と2章の間になります。信長さんと胡蝶さんの苦難の道のりです。いわば、ベンチャー企業の産みの苦しみです。今川氏に仕掛けられて対応しているので、どうしても、戦略より受け身対応になります。
 ただ、今回の主役は斎藤家です。


第3章 尾張統一
  ~弱者の生存戦略~

第4節 世代交代は難しい・長良川の合戦

 村木砦の戦い以来、胡蝶は定期的に美濃と尾張を往復するようになった。人質としての扱いから、家人としての扱いになったのである。ようやく胡蝶は、信長からの信用を得たのであった。
 1555年某日、斎藤家が一堂に会していた。斎藤道三、嫡男・利尚(斎藤義龍)をはじめ、孫四郎、喜平次、利堯としたか、利治。そして胡蝶である。仏門(京都・妙覚寺)に入った日曉と日覚は修行のため、不在である。
「どうじゃ、利尚。上手くいっておるか?」
「いやぁ、難しいです。武田の調略もしつこく続いておりますし」
「やはりのぅ。わしは隠居じゃと言うのに、いまだにわしの所に相談に来る奴がおる。基本は仕組みで回せておるようだが、調整が必要な事があると、わしの所へ泣きついてくる。それは本来、家督をついだ利尚の仕事じゃ」

 史実での斎藤義龍は、斎藤道三の政策を概ね引き継ぐ事から着手している。1558年頃から国政は斎藤六人衆という六人の宿老に権限移譲するようになるが、外交は義龍が握っていた。
 外交面での義龍は反武田であり、道三以上に武田派の長井隼人や快川紹喜と仲が悪い。また、義龍が美濃を治めている間、不思議と織田信長との直接の大きな合戦が無い。特に、美濃に近い地域で尾張の内乱・岩倉城の戦い(1559年)は、尾張侵攻の絶好の機会なのに動かなかった。
 岩倉城の戦いの時点で、義龍の状況は以下の通りである。
 ・兵の動員数は義龍が圧倒的優位
   長良川の戦い(1556年)で義龍は17500の兵を動員
   浮野の戦い(1558年)で信長2000と信清1000
 ・地理的に近く、時間と距離に障害は無い
   織田信賢は数ヶ月籠城しており、義龍が準備する時間が十分ある
 ・尾張に侵攻する大義名分がある
   義龍は信長の義父・道三を討った事で信長と敵対している
   織田信賢は援軍要請している。戦後、信賢を受け入れている
 ・もし義龍が弱腰な性格だとすれば、そもそも長良川の戦いは起きない筈
   この頃、近江は美濃の友好国で、背後の憂い無し
 何故、斎藤義龍は織田信賢が籠城している間に尾張侵攻しなかったのか、義龍の判断は理解し難いのである。

 内政においては、天文二十三年三月には、五日に井の口道場宛てに道三から、十日に井の口寄合所道場宛てに義龍から、ほぼ同内容の判物が重複して出されている。実質、道三の内容を義龍が追認する形である。
 歴史解説では、このような例は他に無いと言う。これが道三と義龍の確執の現れと解釈されて、長良川の戦いにつながったと説明される事が多い。
 この物語では、この判物の重複は、周囲が義龍の家督相続を十分認知していなかったために起きた事例と解釈する。

 ベンチャー経営において経営者のカリスマ性は好ましいのだが、世代交代となるとそのカリスマ性ゆえに難しくなるのである。
 
まさに斎藤道三がそれであった。道三は使えない前守護を追放したが、それに値する信頼を築いたから実現した美濃の国盗りである。斎藤義龍は優秀だが、近くに実績のある者・権威者の道三が居るのだから、若輩者・義龍はどうしても軽く見られてしまう。だから、いまだに道三に相談に行く者がいたのである。
 1554年、道三は家督を利尚(義龍)に譲った。しかし、1年近く経っても、家臣たちの期待の信頼と畏怖の信頼は道三にあり、それが二人を悩ませていたのであった。

「如何したものかの」
「父上の顔が怖すぎるのです」
 道三の言葉を茶化すように胡蝶が言った。兄弟の中でも、父・道三を茶化せるのは胡蝶だけだ。
「顔はどうしょうもなかろう」
 道三も、わざらしくと困ったような言い方をする。
「父上が話を受けるから、行く者が絶えぬのでは?政秀寺もあるでしょう。政秀寺の方は大丈夫なのですか?」
 孫四郎がきいた。
 政秀寺は、平手政秀が死んだ後、1553年に平手政秀の供養のために信長が建立を指示した寺である。胡蝶を通じ、平手政秀に縁のある道三こと『沢彦』にその開山和尚になって欲しいと信長から頼まれたのだ。
 もちろん、国主と住持の二足の草鞋わらじは不可能である。仕事が回らなくなったので、嫡男・利尚(義龍)に家督を譲ったのだ。
 だが、それを知る者は、斎藤家と織田信長、留守を預かる小坊主だけである。超極秘事項であり、何ら記録には残していない。道三は今、政秀寺の和尚『沢彦』であり、同時に武士としては隠居した『斎藤道三』なのである。
「優秀な小坊主もおるしの。寺は何とかなっとる」
 道三がのん気に答えると、胡蝶が反応した。
「いいえ、信長様は何も言いませんが、政秀寺のお和尚は幽霊和尚だという噂がたっております。私でも知っている程に話題になっています」
「まことか?」
「はい。まことです」
 道三は頭をかるく掻くと、つぶやいた。
潮時しおどきかのう」
そして、言った。
「よし、『斎藤道三』は死んだことにしよう。今後は『沢彦』だけにする。さすれば、利尚に相談するしかなくなるじゃろう。武士は完全に引退じゃ」
 一堂は一瞬啞然あぜんとして、道三を見た。だが、互いに顔を見合わすと納得した。最初に口を開いたのは喜平次だった。
「父上だけ引退するのは少々ズルいと思います。私も武士を引退しとうございます」
「武士を辞めてどうする」
「私は剣術よりも算術が得意です。商人になりとうござります」
 喜平次が商人になりたいと思っている事は、皆が感じていた事だった。
「私も武士を引退させて頂きたい」
 孫四郎も喜平次に続いた。これには皆が驚いた。
「銀山の運営だけで手一杯にございます。家督は利尚様が継いでいます。問題は無いでしょう」
 道三は、隠し銀山の開発を行っており、それを孫四郎に任せていた。他に信頼に足る者がいなかったからである。それを聞いて道三がつぶやいた。
「孫四郎が銀を掘り出し、喜平次が流通させる、か」
  (マネーロンダリング)
 胡蝶の頭に謎の言葉が浮かび上がる。
「悪くはありませんが、3人も一度に引退すると、痛くもない腹を探られる事になりませんか」
「そうよなぁ」
 と胡蝶の指摘に道三が同意する。
 すると、末席の利治はニタリと笑って、胡蝶に向かって切り出した。
「悪企みは、姉さまの得意技ではありませんか?」
「はぁっ。利治、何を言うの?私ほど正直なものはおりませんよ」
 皆がドっと笑った。胡蝶は不満そうである。
「で、策はあるか?」
 道三は面白がって胡蝶に聞く。胡蝶は一瞬露骨に嫌そうな顔を見せると、少し考えた。
 そして諦めたように話し出した。
「家臣たちに3人が死んだと信じてもらわないといけない。そして、人が急に死ぬのは、いくさやまい。3人も病で同時に急死したら良心的に見て疫病。周りを見れば疫病は無い。そうなれば、病よりも毒殺、暗殺を疑うわよね。死因に疑いを向ける家臣たちを前に葬儀をする。葬儀では遺体をまつらないといけない。死に顔を見せない訳にはいかない。これは大変・・・。
 そうすると戦の方が疑われないでしょうね」
 胡蝶の説明を聞いて、孫四郎が口を挟む。
「戦では利尚様が勝って、父上が負けるのですよね?大丈夫ですか?」
 そもそも人望の無い者に下剋上はできない。
「父上に味方するものが多いと、話になりませんよ」
 利堯が、利尚の顔色を伺いながら、孫四郎に続いた。
「戦上手の父上についた方が勝てると思う者は少なくありません」
 利治も孫四郎に元気に同意して、利尚にトドメを刺した。
「そんなに俺は人望が無いか?」
 利尚がしゅんとしてつぶやいた。フォローするように胡蝶が言う。
「父上が異常なのです。そのために苦労しているのでしょう?それに、そんな本格的な戦をすれば、死人が多数出てしまいます」
「・・・・・」
「・・・・・」

 丁度、一堂が沈黙したところへ、女性の足音が近づいてきた。
 ふすまの向こう側で立ち止まると、侍女が声をかけてきた。
「明智光秀様と熙子ひろこ様がご挨拶に参られました」
 道三と胡蝶が目配せすると、道三がうなずいた。それを見て、胡蝶が通る声で言う。
「お通しして」
 明智光秀と熙子が通されてきた。
「これは皆さま、お揃いで」
「よう参られた。そちらに座られよ」
 二人が座ると、熙子が胡蝶に話しかけた。
「胡蝶様、お戻りになられていたのですね。来てよかったわ」
「わたしも会えてうれしい」
 二人の一通りの挨拶を終えると、胡蝶から利尚の悩みを説明し、悪企みの途中経過を話した。
「本当に無茶振りするのだから、困るわ」
 と胡蝶は熙子に同意を求めた。
「確かに、こういう話なら胡蝶様に相談するのが一番でしょうね」
 熙子は利治を見て、にっこりとほほ笑んだ。
 熙子と目が合った利治は、我が意を得たりと、得意げに胡蝶を見て、ゾッとした。
「あ、姉上。目が怖いです」
「それにしても頭の痛い問題ですね」
 そんなやりとりを見ていた光秀が助け舟を出した。そして続ける。
「目的は、道三殿が居なくなる事を多くの者に見せて信じさせる事。利尚様が大将である事を認めさせる事の二つですね」
 光秀は目的をさらりと総括すると、
「戦を見せるという事であれば、最初は目的を隠して、長良川の河川敷に全員を集めてはどうでしょう。いざ集まってみると向こう側に敵陣がある。それを見てから利尚様が戦であると宣言するのです。そうすれば、自動的に利尚殿が大将です。そして、道三殿がもう一方の大将になるのですが、最終的に大将が討たれる所を見せないといけません。そこで、罪人を使って代わりに大将の首になってもらいます。先に処刑して、大将の席に座らせておくのです」
「なるほど。そうして死体の首をねるのだな」
「はい」
 道三が感心したように二度三度頷いた。
「父上の陣営はどうするのです?一人座っていては変では?」
 利堯が合戦をイメージできずに質問した。
 戦の結果、大将が死ぬのだから、負ける側(道三側)で巻き添えになって死ぬ兵士が出てしまう。そもそも模擬戦のようなものなのに、巻き添えで死んでは可哀そうである。
「そうですねぇ」
 少し考えて、光秀はアイデアをひねり出した。
「明智勢を二つに分け、一つが道三殿の陣を作ります。もう一つは利尚様の陣に集まります。そして、利尚様から、忠義を証明して見せよと明智勢に先陣を任せ、先陣だけを突撃させます。さすれば、明智勢同士の模擬戦となります。けが人は出るかもしれませんが、下手な死者はまず出ないでしょう」
「なるほどの。乱戦に見せて、その間に首を刎ねる。遠くからなら、顔までは判別できまい。大将が討たれたら、兵はバラバラになり、戦を止めるのは良くある話じゃ。がっつり鼻削ぎすれば、パッと見て誰だか分かるまい」
 道三も完全に乗り気である。
「我らの分はどうするのですか?」
 孫四郎と喜平次が顔を見合わせながら、光秀に問いかけた。
 光秀は二人の事は考えに入っていなかったようだ。そこで、胡蝶が思いついた。
「父上か、利尚殿が二人を暗殺した事にして、それが戦の原因という噂を流すの。どうかしら」
「父上が、今更、孫四郎、喜平次を殺すのは考え難いでしょう。俺が二人を暗殺した事にしましょう。一人も三人も変わらないでしょう」
 そう言うと、利尚(義龍)が汚れ役をかって出た。
 次に胡蝶はその戦の後の事、影響が気になった。
「父上と信長様の仲が良い事は多くのものが知っています。その父上を討った利尚殿は、織田家の敵になりますよね」
 胡蝶の懸念を言葉にした。斎藤家と織田家は仲良くありたいのだ。
「対外的には、それでも良いかもしれません」
「光秀殿、それはどういう意味でしょうか」
「親・斎藤家、反・織田家の情報は斎藤家に入ります。逆に、反・斎藤家、親・織田家の情報は織田家に入ります。情報交換すれば、敵味方両方の情報が入ります」
「それは良い」
 道三が膝を叩いた。胡蝶はもう一つの懸念を口にする。
「もう一つ。光秀殿はどうされるのですか?光秀殿は父上の陣につくつもりなのでしょう?」
「致し方ありません。芝居とバレないように、上手くやらないといけませんので」
「その後はどうされるつもりで?お立場がありません」
 そう聞かれて、光秀は熙子を見て言う。
「美濃を出るしかないでしょうね?」
「そうね。ほんと、光秀様は、自分から貧乏くじを選ぶのね」
 熙子もあっさりしたものである。悲愴感が全くない。むしろ楽しそうに言う。それを見て道三が言う。
「孫四郎、喜平次、わしらの為に、光秀殿に一肌脱いでもらうのじゃ。光秀殿に不自由をさせてはならん。分ったな」
「はい」
「はい。もちろん」
 孫四郎、喜平次は力強く返事した。
「では、わたくしは、信長様に父上を迎えにくるように手配します。長良川の反対岸に待機してもらいましょう。そうすれば、織田方からも父上が死んだ事が外に伝わるでしょう。細かい話は、おいおい詰めていきましょう。利堯はしっかり利尚殿を支えるのよ」
 そう言うと、胡蝶は利治に向き直った。
「利治。あんたは、あさって私が尾張に帰る時に、一緒に連れて行くからね」
「なんで?」
「戦国の世で子供が連れていかれるのは、人質と相場は決まってるでしょ」
「えーーー!」
「父上と二人で、しっかり性根を叩き直してあげる。覚悟しなさい」
 ようやく一堂に笑顔が戻った。
 こうして道三、孫四郎、喜平次の引退セレモニーの計画が決まった。
「そうじゃ、利尚。これより、『范可』を名乗るが良い」
「父上、どういう意味でしょうか」
「史記に范蠡はんれいという名将がでてくる。お前なら范蠡のように出来ると期待して、范の一字と可能の一字から作った」
 しかし、後日、斎藤義龍(利尚)が父・道三を殺したという事が広まると、別の解釈がされるようになる。武将の名前だけでなく、親殺しも含めて中国の物語が由来とされ、「仕方なく親の首を切った者の名が『范可』という中国故事に倣った」という話として広まっていった。そのため、早々に高政と名前を変えることになる。

 なお、史実として、范可の由来とされる中国故事が何かは確認できていない。後世の創作の可能性がある。この物語では、その中国故事が見つかるまでは『范可』は父親を討つ事が由来の名前ではない、とする。

 1556年4月、3人の引退セレモニーが実行された。長良川の戦いである。筋書きとしては、事前に孫四郎、喜平次が斎藤義龍に呼び出され、日根野弘就に暗殺された事にした。そして義龍はこの事を道三に通告する。それを聞かされた道三が手勢を集めて対抗しようとするが、数が集まらない。長良川河川敷で乱戦となり、小牧源太が道三の首を刎ねて合戦が終わる。首級は忠左衛門が鼻削ぎだと言って顔を潰した。
 信長は何も知らない馬鹿が突撃しないよう、長良川の対岸の小高い丘からこの様子を見ていた。第三者から見ると、手勢を率いて道三の援軍に向かったが合戦には間に合わず、道三が討たれたのを見て、尾張に引き上げたように見えただろう。
 美濃の家臣の中でも道三が信頼を置いた重臣には、事前に道三より根回しがされており、合戦の様子を大人しく見ていた。しかし、道三が討たれたと信じる下っ端からは、信長軍が引き上げるのを見て、追撃をしようと試みる者が出た。仕方なく、信長は殿しんがりを務め、銃を撃って追い返し、本隊に戻ったのだった。

 斎藤義龍は、そのまま長良川の河川敷で首実験をした。
   (・・・ほんとうに誰だかわかんねぇ)
「大義であった」
 そう言って席と立つと、何も言わずに帰っていった。残された首は小牧源太が土中に埋めた。
「お役目ご苦労」

「手数をかけたな」
 道三こと『沢彦』は信長に声をかけた。
「この程度、想定内です。ところで、あの将は明智光秀と申しますか。なかなかに真に迫った模擬戦でしたな」
 帰路、信長は道三に満足気に話しかけた。
「ふむ、大したものじゃ。ただ、今後は村木砦の時のような援軍はできん」
「承知しております道三殿。ですがまだ政秀寺の事があります。これからもよろしくお願いします」
「婿殿、これからは『道三』ではない。『沢彦』じゃ」
「そうでしたな。沢彦和尚」
「よろしく頼むぞ。信長様」
 合戦の後、明智光秀は越前に移り住み、朝倉義景に仕えた。実際には、領内に住まわせてもらっていただけであって、経済的な援助(知行)はなく、医師として生活していた。医師としては収入は僅かであったが、商人となった喜平次からの援助が大きかった。喜平次の後ろには隠し銀山を経営する孫四郎が居るのだから間違いがない。そして、この隠し銀山は、後日、胡蝶のへそくりになる。

 史実の長良川の戦いも理解の難しい合戦である。既に家督は義龍にあり、1年以上経過している。『美濃国諸旧記』によれば義龍17500に対して道三2700と、義龍は既に家臣から圧倒的な支持を受けている。美濃の支配権が動機となる戦いではない。
 父への私怨であれば、弟二人を殺した理由が弱い。『信長公記』では弟二人を同時に暗殺しておきながら、道三を暗殺せずに敢えて使者を送って宣戦布告している。道三に戦の準備をする時間を与える理由が分からない。
 斎藤義龍は長良川の戦いの前に「親殺し・范可」の名を使っており、書状が残っている。もし、親殺しの意味があれば、道三がそれに気付かないのも不可解である。これも後世の創作の可能性が高い。
 更に、首級の扱いも疑問が残る。『信長公記』では小牧源太が道三の首を討ち取った後、『美濃国諸旧記』では林主水が討ち取った後、忠左衛門が後の証拠・・・・として道三の鼻を削いで持ち帰っている。『濃陽諸士伝記』も同様の記載がある。だが、首級の扱いにも作法がある。通常、鼻を削ぐのは、合戦中に首級を数多く持ち歩くのが大変なので討った数の証拠にする時に行われる。もしかすると、乱戦で味方に首級(戦功)を横取りされた場合に備え、論功行賞で自分の功績を主張する証拠として削ぐことがあったかもしれない。
 しかしこの合戦は、戦力差の大きい合戦であり、しかも首級は大将・道三であって多くの者が現場を目撃している。論功行賞のためとは考え難い。何のための「後の証拠」なのか?一番の功績である大将首に人相が変わるような処理(鼻削ぎ)に必要性があったのか?小牧源太や林主水は、自分が討ち取った首級(戦功)から忠左衛門が鼻を削いで持っていく事に不満を持たないのか?そう考えると忠左衛門の行動は、当時でも非常識、或いは、印象的であり、敢えて記述されたのかもしれない。

(略)主水・忠左衛門飛懸りて組んで追伏せ、終に林主水、道三が首を討取り畢。忠左衛門は、後の証拠とて道三が鼻を殺ぎて持帰り、扨長良の河原に於て、義龍の実検にかけ、後首をば、長良の辺にかけたりけるを、小牧源太之を取上げ、土中に埋めて葬り畢ぬ。

 ウィキソース:美濃国諸旧記/巻之二

 トップの世代交代は、先代のカリスマ性が高い程、後継ぎの能力に関わらず難しくなるものである。ベンチャー企業が中堅、大企業と成長するに従って、極力「属人的な運営」を排除し、「仕組みによる運営」に移行しなければならない。
 組織が大きくなればなるほど移行は難しくなり、計画的に「仕組みによる運営」に移行しないと混乱を引き起こす。少人数のうちに、将来設計するのが理想である。
 但し、人が人を使って経営する限り、100%の仕組み化はできないし、してはいけない。行き過ぎた仕組み化や不適切な仕組み化は「ルールですから」と悪い意味での官僚的行動や大企業病的行動を誘発する。
 仕組み化できない部分、仕組み化してはいけない部分を十分に議論しながら仕組み化を進めなければならない。

(ビジネスメンター帰蝶の戦国記⑪へ)
(ビジネスメンター帰蝶の戦国記①に戻る)

参考:3章

書籍類

 信長公記       太田牛一・著 中川太古・訳
 甲陽軍鑑       腰原哲朗・訳
 武功夜話・信長編    加来耕三・訳
 姫君の戦国史      榎本秋・安達真名・鳥居彩音・著
 國分東方佛教叢書 第六巻 寺志部(政秀寺古寺) 鷲尾順敬・編
 斎藤道三と義龍・龍興―戦国美濃の下克上  横山住雄・著
 武田信玄と快川紹喜           横山住雄・著
 歴史図解・戦国合戦マニュアル  東郷隆・著 上田信・絵
 天下人信長の基礎構造  鈴木正貴・二木宏・編 の3章 石川美咲・著

インターネット情報

道三の書状
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014431231000.html

Wikisouce: 美濃国諸旧記  編者)黒川真道
Wikisouce: 濃陽諸士伝記  編者)黒川真道

Wikipedia


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