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結局「エルピス」とは何だったのか?


 昨年の秋に放送された「新しいカギ」のSP(2022/10/15)を見ていたら「おっ!」と思った。
 チョコプラ松尾氏が下積み時代に住んでいた築43年の老朽化アパートを訪れた映像に防災危機ジャーナリストの渡辺実さんが映っていたからだ。
 彼は日本のあちこちでおきた長雨や台風による災害を扱った回のフジテレビ「バイキング」に出演した際に、
 東京五輪のせいで職人が不足してしまっていて、(被災各地の復興が)どうしようもない手詰まりな状況に陥っていると発言し、その翌日から画面から消えていた。
 当時見た中で一番露骨な反五輪潰しだった。

さて、おなじく昨年放送されたフジテレビのドラマ「エルピス」は国際オリンピック委員会総会における安倍首相の「原発はアンダーコントロール」発言の映像を使ったことが話題になっていたが、なぜそれをあんなに持ち上げるのかわからなかった。

 同ドラマは冤罪の問題を取り上げたかったらしい。「らしい」というのは私はこのドラマを初回から最終回まで見たが結局、何が言いたいのかよくわからなかったからだ。
 冤罪問題はたしかに出てくるが、冤罪を単なるプロップの一つとして扱った従来型のサスペンスドラマを連ドラ形式しただけに見えた。

 このドラマについて扱った記事などを見ると、これはいわゆる「社会派ドラマ」で現代社会が抱える問題に対して大胆に斬りこんだとかなんとか。

 いままで社会派っぽく見えても結果、ただの無難なエンタメというドラマは多数あった。「エルピス」と同じく関西テレビ・フジテレビで放送された亀梨和也主演の「FINAL CUT」(2018年1月9日~3月13日)は報道被害を扱ったテーマで自己批判も含む内容なはずだが何かしらの波風がたった様子は一切なかった。
 報道被害というテーマは、マスコミ各社にとっては「みんなやってることじゃん案件」だからだ。
 大津の保育園が被害者に取材者が殺到しないようにと異例の記者会見を開いた一件は記憶に新しいが、マスコミが報道姿勢を改める様子はない。倫理基準もカルテルのように共有してしまっているのだろう。

「エルピス」も何の波風もたたなかったが、そもそもフツーに放送できている時点でただのエンタメだ。
 というか長澤まさみが主演という時点で、お上にたてつくドラマになるはずがない。JRAのキャラクターも務める彼女は、政治批判からは一番遠いところにいるのだから。

 企画段階でTBSでは断られたらしいが、高市大臣に目をつけられているTBSならCX系とは多少は意味合いがかわったかもしれないが、それでもあの脚本が世間に波風をおこせるようには見えない。そもそもテレビ局の自主規制基準など実際の危険水域からはるかに手前にあるものだ。

 このドラマはいわゆる「業界人気」が高かったらしいが、そのことも社会派な部分を薄めてしまったかもしれない。
要するに「業界人気」というのは「大豆田とわ子と元三人の夫」がそうであったように、ゴードンくんら役者陣の演技や会話劇もさることながら、ムービーカメラによるこだわりの画作りと、玄人好みのアーチストを使った音楽ということなのだろう。
 「大豆田とわ子と元三人の夫」の撮影はARRIのアミーラという機種を使っている。人気のアレクサよりは安い機材だが腐ってもARRIということなのだろう。
 ハリウッドではARRIとかREDといったブランドのほぼ寡占状態だ。
 一方で「エルピス」はソニーのVENICE2という国産では最高級クラスだが世界的にはまだまだマイナーなカメラだ。
 ギョーカイ的には先述のように腐ってもARRIなところにソニーとは。
 そのむかし海外の大物ギタリストのインタビューで
「こないだ日本人が何十本もギターを持ってきたんだよ」といっていたのを思い出した。
 要するさまざまな調整のギターを提供して、合うのがあればぜひお使いください、ということなのだろう。
 ソニーのVENICEについては「エクスマキナ」についてとりあげたこんな記事がある

Ex Machina” is one of those rare movies not shot on film, Arri Alexa, or a Red camera.
エクスマキナはアレクサやレッド以外のカメラで撮った珍しい映画だ。

また、紙の上では先輩カメラのスペックに迫る勢いのはずだがSF映画専用カメラというニッチな用途に陥ってしまっていると軽いディスリも。

 何が言いたいのかというと、ソニーのムービーカメラは市場ではまだまだ売り出し奮闘中だ。つまりこの「エルピス」にもソニーのほうから提供されたのではないか?ということ。

だとしたらなおさらお上にたてつく作品になりようがないじゃん、ってハナシだ。

さっきTBSなら意味合いもかわったかもしれないと書いたが、フジテレビの立ち位置はその真逆だ。
 政権に近いというと自民党機関紙と揶揄された読売新聞擁する讀賣系だと思うかもしれないが、日テレはZEROでは統一教会問題に関しては結構攻めていたし、日曜日のNNNドキュメントは系列地方局制作のものを放送する深夜枠ながら冤罪の疑義が残されたままで死刑が執行されてしまったといわれている飯塚事件や原発反対の漫才コンビおしどりについても扱うなど多少のバランス感覚は感じられる。
 一方でフジテレビはこのご時世に櫻井よしこ先生をコメンテーターとして重用したり、解説委員は学術会議を貶めるためにウソ解説をして問題になったり杉田水脈の差別発言を擁護したりと、ある意味、自民党よりも右側にいる。
 こんな局だから大抵のものは風刺っぽい要素を含んでいたところで「シャレやがな」で済みそうだ。

というかこの「エルピス」脚本そのものにも政権擁護のニュアンスが見えかくれする。
 斉藤がスキャンダルを潰そうと放送直前に直談判に押し掛ける場面

おれが案じてるのはこの国の行く末だ
つまり君が案じているのと同じ
この国の人々のことだよ
国の副総理大臣が強姦事件をもみ消し被害者が自殺した
君が今夜そのニュースを報じれば
のぞみ通り、大門は失脚する
しかしコトはそれでは終わらない
政界全体にもまた最大規模の激震が走る
内閣総辞職…どころか政権交代もありうる
いまこれほど世界情勢が緊迫している状況で
そんな事態に陥ることが
どれほど危ういことか
君にも想像がつくはずだ
国政も司法も混乱を免れない
国際的信用は失われ
株も暴落するだろう
国家的危機の中で一体何が起こるのか?
だれがどんな悲劇に見舞われるのか誰にも読めない

ようするに
「政権交代はさすがに激ヤバだよね」
というのは共通認識のようで
結局、政権交代は回避する妥協案におちつくことになる。
この「政権交代は激ヤバ」は
政権擁護というよりは日本的な「有事観」かもしれない。

前に「余ったワクチンを市長だか町長だかが接種して物議を醸している」というニュースを見ながら

「別に地方行政の長が余ったワクチン打つのは大騒ぎするようなことでもないと思うが長が倒れても代理が機能するのが正しい行政組織の在り方という解説委員氏の説明は正しい」と呟いたら

「長が倒れても代理が機能するのが正しい行政組織の在り方」というのは日常的な状態の場合であって、今のような異常時に長が倒れることは避けるべき。長も代理も代々理も倒れたらどうする?解説委員は間違っている。」
とわざわざコメントにてつっこまれたことがあった。

そういえば政府も、これまで行ってきたコロナに対する施策についての検証は事態が落ちついたらやるみたいな眠いことをいっていた。

この一段落方式が日本の有事観なのかと。

さきほどのコメントに対しては
そんなこと言ったらアメリカはご高齢なバイデン氏を当選させたこと自体が間違っているということになってしまう。「任期中」の女性大統領誕生の可能性についてもアメリカのマスコミはちゃんと言及していたよ。ナンバー2にはできる人材が控えているべきなのは当然。連続性が維持できるように。
とお返した。

どこへ行くにも核の発射ボタンを帯同するような絶対的リーダーが「今回は任期中の交代もあるかもね」ってハナシになっているというのに日本の地方の長ごときが替えがきかなくてどうする?ということだ。。

恵那の当初の主張は要するに
「病気と借金は隠せば重くなる」といってるわけで、
だったら放置したら政権交代もこの先どんどんしにくくなるよと言いたい。

もっといえばこのドラマのようなことがおきても、今の日本では政権交代はないのじゃないかと思う。それくらい自体は硬直的だ。

冤罪がテーマだというのなら「死刑」についてももっと掘り下げてほしかった。
エンディングで色々な参考文献名が出てくるが、寄せ集めて結局、何者でもなくなってしまっている印象だ。
多分、司法のかかえる問題点については何も視聴者に伝わらなかっただろう。

菅田将暉、山田孝之主演の「dele」の第七話ではまさに冤罪、死刑というテーマが描かれていた。
 そしてこれは明らかに和歌山毒物カレー事件がモチーフとなっていた。
 興味のない人は全く知らないかもしれないが、冤罪事件という見方をする専門家は多い。
 異色だったのは、技術評論社・知りたい!サイエンス・シリーズの1冊
「毒の事件簿」~歴史は毒でつくられる~齋藤勝裕著
これは中高生が夏休みに読むようなカジュアルなノリの本だが、著者はこの中で和歌山毒物カレー事件について
冷静に見てみると、
直接証拠ゼロ、
自白ゼロ、
動機ゼロ
という、極めてあいまいな判断基準しかないことがわかります。
と言い切っている。

「エルピス」も社会に問題提起するというのなら、まだ救えるかもしれない命によりそったほうがよかったのでは?

結局、私はこのドラマには「オシャレさ」しか感じられなかったが、もし死刑が執行されるという結末になっていたらインパクトはあったのではないだろうか。
「Dele」ではそういういゃーなエンディングになっていた。
 残念なのは知る人しか「和歌山カレー事件」としかつながらなかったということ。

 そもそも「エルピス」はあの話題になった「Under Controlスピーチ」映像がすべてを象徴してるのではないだろうか。冒頭の五輪が被災地の復興を妨げていることも裏情報などではなく朝刊を読んでいればわかることだ。
 つまり五輪に熱狂していた国民は結局のところみな同じ神輿にのっていたということだ。(いい人ぶるつもりもないが、私は大好きな野球すら見ていなかった。)

ゴーン憎しで「人質司法」の問題はおきざりにされ、上級国民憎しでプリウスミサイルの真実は闇に消えた。
 上級国民の件についてはあえて触れないが、過去のプリウスの事故に関しては取材ルポなどを読むと冤罪の陰が見え隠れする。

そしてこの先もきっと政権交代も起こらない。
結局はすべて国民の総意ってことなのだ。

「エルピス」で描きたかったのはあくまで人間ドラマで現実世界にコミットするつもりなどさらさらないと言い張るなら現実の問題をつまみ食いしないでと言いたい。ただの無影響ならいいけど「ガス抜き」になってしまうこともあるのだから。

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