【アドベントカレンダー】自分にとっての「居場所」は果たしてそこで合っているのか?ーー移住に失敗したぼくの3つの誤解

おはようございます。こんにちは。こんばんは。はじめまして。
アドベントカレンダーというものは初めて書くので、要領がわかっていないのですが、文章書くのは好きなのと、テーマ的に「書かねば」というのが降ってきて、今ネカフェに飛び込んで文章打ってます。


ざっくりと筆者のスペックと経歴を書いていきます。

(小学校~中学)発達障害を背負いつつ、転勤暮らしや趣味の旅行で「地域おこし」に興味を持つ
(高校~大学初頭)「地域おこし」に漠然と興味を持った生意気な学生がまぐれで一流大学へ
(大学卒業まで)肝心の町おこし系のゼミに入るも、実力不足とやる気のムラで就活も失敗
(社会人最初数年)なんとか島根の会社に拾ってもらうも、精神疾患になり社会からドロップアウト
(現在まで)東京に戻り、社会になんとか復帰しようと3年もがいて、ようやく福祉の枠で社会復帰

ざっくり。ざっくりまとめるとこんな感じ。
詳細(というか今から書く記事の半分ネタバレになるけど)は以下過去記事も読んでくださいませ。

というわけで、3つの誤解、と題したので、それぞれについてみていきましょうか。

誤解その1:「お客さん」としての地方と、住んでる人にとっての地方は、全く違うもの

最初のプロフィールに書きませんでしたが、もう少し生い立ちを詳しく。
東京23区の、今でこそ人気住宅地になったエリアに、親が転勤族の家庭に生まれた筆者は、物心つく前はアメリカ、その後小学3年生まで都内に育ちます。
ある程度"おかしな"部分があって発達障害がわかるのですが(これはのちの適応障害や双極性障害の発症に繋がっていきます)、まあなんとかごまかしながらの、突然の島根という未知の土地への引っ越し
方言や独特の食文化、地元ならではの小学校の慣習に苦労しつつ、ぼんやりと「地元の商品や産物を中央や海外に売り込む」仕事をしていた親の背中を眺めて、地方の魅力みたいなのを感じ始めます
中学は都内に戻り、趣味で鉄道旅行で全国を回りつつ、その土地土地にはいろんな産品や風土があるのだなぁなどと生意気に考えながら、高校はまた転勤でアメリカへ。帰国子女入試とかいうチート技で、学力に見合わない「めちゃくちゃ実践に力を入れている≒学力の基礎固めにはそこまで固執していない」某有名大学に入学できました。
ちょうどそのころ「地方活性化」が学問として流行り(そもそも学問にトレンドなんてあっちゃいけないんでしょうが)だったのもあり、門を叩いたゼミでいろいろもがきながらも、プロジェクトで実際に地方でのワークショップを取り仕切ったりして、ある程度「わかった気」になっていたりもしました。

と、ここまでの時点で、「東京の人間が」「お客さんとして」「地方を"知ったかぶる"」ことは十分できていたと思います。変な話、"知ったかぶる"レベルですら地方を知らないで死んでいく東京人も多いですからね。

時は移り、就活失敗卒論ぶっちで精神疾患発症で心身ともに疲弊していた状態で、ありがたいことにご縁があって声をかけてくれた会社が島根にありました。
そこで見た現実は、「月15万円に満たない給与明細」「貧困や家庭環境で高校卒業すらままならない青少年たち」「ロードサイド店舗を都会の象徴として神格化する市民」。大学で学んだ、「商店街が元気な」だとか「元気な中山間部」みたいな崇高な理想論とはかけ離れてました。県庁所在地ですら。

鬱もひどくなり仕事をやめ、ぶらぶらと時間を過ごしてたとこでしょうがない。自分が求める「福祉の仕組みを使った求人」の数を考えても、2年後に東京に戻るのは既定路線だったのかもしれません。

誤解その2:自分には都会への適性がなかったわけではない、エリート社会適性がなかっただけ

もう少し大学時代の話をしましょう。
だいたいうちのゼミでは、4年生になるとプロジェクトを引退し、就活に本腰を入れ始める同期がほとんどになります。
自分は発達障害傾向があったのに加え、それをしっかり自分で自己理解できていなかったのでしょう、自己分析に苦しみ、就活で適応障害になります。
説明会に行ってずっと2時間話聞きながら寝てるとか、大手企業に決まった同期に顔向けできなくてゼミをさぼるとか、そんなやつが就活うまくいくわけないですよね。
それもあって、なんとなく「東京から逃げたい」と思い始めて地方で仕事を探し始めます。まあうまくいかなかったけど。

ただ、今になってこの1年を振り返ると、自分は「東京から逃げたかった」わけではなかったと思うのです。レールの上に敷かれた人生を順調に歩み、一流企業の総合職に決まって、順風満帆だった同期から逃げたかった、その逃げたさのはけ口を地方に求めてただけだったんですよね。
だから、自分の地方移住はめちゃめちゃ消極的な理由です。

誤解その3:自分にとって「居場所」を感じられるコミュニティを見失っていたこと

そんな消極的な理由で地方に移住し、「"お客さんとしてみていた"地方」への幻想を砕かれたそんな自分にとって、残念ながら島根には"居場所"といえそうなコミュニティがあまりありませんでした
あったとしたら、趣味でやっていた競技かるたサークルと、このnoteでもしばしば書いているバスケットボールの応援くらいかな。
そもそも自分の居場所がどこにあったかというと難しいのですけど、当時やっていたゲームでつながっていたSNSのコミュニティ(大多数が東京在住でした)、高校の同級生仲間(これは大阪と東京に半々)といったところで、結局島根にはなかった。

もちろん島根が魅力的じゃないかというとそんなことはないです。飯はうまい。まず米がうまいし魚が安くてうまいし肉も安く手に入る。たまに外食をする贅沢もある。歴史的なところでも独自の風土があるのは楽しい。自分は自然の豊かさに惹かれる人ではなかったけど、そこだってでかい。ただ、魅力的であることと居場所があることは別ですからね

仕事の求人の多さもそうだけど、自分の場合「居場所を感じられる機会が東京に戻ったほうが多そう」だってことが、東京に戻る決断に至った最大のポイントだったと思っています。



大きな誤解:結局「地方」か「都会」の二択ではないんだ

ここまで読んでくださった方で、島根大好きな方や島根移住大成功な方(おそらく今回のカレンダーにもいらっしゃるでしょう)は「こいつ島根disりまくってるな」「島根にそんな魅力ないのか」とお怒りになるかもしれません。

重ね重ねですが、断じてそんなことは筆者はないと思います。それこそ「日本一のバスケチームがある」と最近は主張してますし、さっきも言った通りいろんな人がそれぞれに魅力に思うところはあるでしょう。


ただ、一つだけ確実に、少なくとも筆者にとって最大の、島根を離れるに至った明確な理由があります。

「自分にとっての"居場所"が見つけられなかった」

これに尽きます。

もちろん島根でもどこでも、自分なりの居場所を見つけて楽しく住める場所だったら、きっとそれは幸せなことです。その点、筆者は就活から就職までにそれは「エリート社会」ではないことまでは発見できた。それで、幼少期に何か幻想を抱いていた「島根という土地」を仮の居場所にしたけれど、結局そこも幻想でしかなかった。居場所が見つからないまま漂流するくらいだったら、とりあえず東京に戻った。東京に戻ってきてもどこが居場所なのかははっきりわからないけど。まだまだ探し続けてるけど。

「自分にとっての居場所はどこか」。それに全員が納得する「都会」か「地方」かの二者択一の答えはないです。自分にとって、それが少なくとも「島根ではなかった」、それだけです。だから島根を嫌いになることもないし、人生でそこを通ったことも悔いていないし。
さて、読者の皆さんにとっての居場所はいったいどこなのでしょう「ぼくは都会だな」も「わたしは地方かな」もありだし、「両方かもしれないな」「まだ見つかんないや」もありだと思います。
だからこそ、地方に住むにしても、都会を選ぶにしても、もう一度自分に聞いてください。

「あなたの"居場所"はどこですか。」


おしまい。

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