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ロシアによるウクライナ侵略戦争で思うこと。

私は戦争にとても敏感だ。
戦争だけでなく、紛争や虐殺といった人が人を殺してしまう行為に敏感だ。
国内外の遺構やモニュメントがあれば足を止めるし、どちらかといえばわざわざ足を運んで知ろうとしているくらい敏感だ。
たまたま日本に生まれたものだから、広島や長崎、第五福竜丸という核の恐ろしさを知ることができる場所が身近にある。東京には機関銃の跡が残った建物なども残っている。
人生をそこそこな年数歩んできて、実感として歴史は繰り返すものだと感じているので、いつかその中に巻き込まれるのではないか?と思ったりもしてきた。どのようにすればそれを止められるのか。自問自答を繰り返してきたけれど答えはいまだに出ない。

2014年にロシアがクリミアへ侵攻した時は、こんなことが許されるのか?と憤りを感じたし、国際社会の対応が生ぬるいのでまたやるぞとも思った。そして2022年に案の定「またやった」というのが本音だ。
プーチンによるウクライナへの侵略戦争であることはほぼ間違いないだろう。なんせずっとウクライナの周辺で準備をしてきたのだから。

戦争が起きたことでウクライナでは罪なき人々が毎日殺されている。命があるだけマシなのかもしれないが、多くの人の日常が奪われることになった。見てはいけないものを見てしまった子供たちも多いだろう。こうした出来事が、憎悪となってやがて未来の戦争に繋がるのかもしれない。
多くの人がロシアが悪いと感じているにも関わらず、これを止めることができないのもとても歯痒い。

ウクライナで亡くなった人たちは戦争が始まる前までは私たちと同じように日常を営んでいた極々普通の人たちだ。
朝起きて、ご飯を食べて、学校や会社へ出かけていく。大切な人たちと日々を過ごして、笑ったり泣いたりをしていた普通の人たちだ。
どうやったら彼らに普通の日常が戻ってくるのだろうかと思うのだが、亡くなった人たちは戻ってはこない。破壊された街が仮に再生しても、そこは元の街ではないのだ。つまり失われたものはとてつもなく大きい。

これだけのことを想像することはそんなに難しいことではないはずだ。戦争が起きるたびに世界中の人々はこうしたことを考え後悔してきたはずなのだ。なぜプーチンはそれすら想像できないのだろうか?これは彼が他の多くの人を価値の低いものだと認識しているからに他ならない。プーチンが自分で始めた戦争を、彼自身がやめれば終わるがそれはどうやら難しいようだ。
プライドよりも高い命などこの世にないと思うのだが、彼はどうやら違うらしい。

こうして戦争を目の当たりにしたことで、私はいつか自分がその渦中にいることになるかもしれないという想像を具体的にするようになったと同時に、今の置かれた状況・日常がとても幸せなことなのだと思うようになった。
身の危険を感じることなく他愛もない話ができること。好きなタイミングでご飯を食べれること。爆弾が落ちてくる恐怖に怯えながら目を瞑ることもないこの状況はとても幸せなことなのだ。

こうした普通のことができない状況を生み出す戦争は、やはりだめだ。取り留めのない文章をつらつらと書いてしまったが、これが私の今の気持ちだ。
ウクライナの人たちに、1日も早く平和が訪れることを願ってやまない。

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