#時空の輪廻転生物語 第Ⅶ章第69節
鏡祐、誓也、織姫さん、そして乙雛さんの力(厳密に言えば聖達の力も)は源のところで全て繋がっているので、ほんの一時であればお互いの力に干渉したりする事が出来ないわけではありません。
(今節の冒頭で、鏡祐と織姫さんが誓也の力を遮る事が出来たのもその為。)
しかし、やはり元々専門外の力を使うにはかなりの体力と労力と精神力が必要になるので、鏡祐は後の方で闇の力の代理をするのは「あまり自信はない」と言っています。
鏡祐が誓也について、時空物語正編の第96節で言っていた「闇の性質を持って」「あんな風にならざるを得なかった」という言葉は、今節で明かされた過去に起きた鳥居家の火事に関して語られたものでした。
同じように「光が恐れの対象」という言葉もここにかかってきて、続編の第14節の後半部分で乙雛さんが誓也に言っている話の内容も、この一連の事件に関するものですね。
もうひとつ書いておくと、正編の第98節の前半部分で誓也が乙雛さんに言っている「不自由させない」という「昔の約束」もこの関連です。
(それにしても今節の誓也に対して行なわれた事は「他に方法がない荒療治」なので、本来であればこんな「真正面からトラウマをぶつける」みたいな事は絶対にしてはいけません。)
ところで何故今回の宇宙生命がゆるキャラみたいになったのかというと、著者の身近な人に「これ使って」とよく分からない謎のゆるキャラのラフ絵を渡されたからです。
それもだいぶ昔の事で、一度別の作品(という程のものではないが)に「冥王星人」などというより一層よく分からない設定で使用した事があります。
(確か冥王星が準惑星に変えられてから数年経った頃に書いたもので、その当時からこんな話し方でした。)
このように書くとユニポン(それにしても何故こんな名前になったのか)がどこから来た設定なのかお分かりかと思いますが、この辺りの話はまた近々書く事になるかと思います。
(一応書いておきますが、ユニポンは表紙絵のものが真の姿で、ゆるキャラは仮の姿です。)
著者は時々、物語の挿絵でも「通常では表現し辛い心象風景」などを抽象画的に表現する事があり、今節の最後の挿絵もそのようなものになっています。
宿命物語の正編第98節でも同じような方法を取っているのですが、具体的な形にし辛いものを表すのに良い手段だなぁと思っています。
(最後にこれは本当に余談になりますが、最後の方に書いてある「太陽に近付き過ぎた神話上の若者」云々は勿論ギリシア神話のイカロスの物語ですが、これには太陽と蝋で固めた翼の話以外にも、追放された島から船を使って帰ろうとするストーリーもあるそうですね。
今節の話には全く関係ありませんが、詳しく読んでみたい気もします。
というよりも、最近本の形をしたものをあまり読めていないので何か読みたいですね。)
今回も、ご愛読いただき誠にありがとうございます m(_ _)m