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#時空の森羅万象物語 第Ⅸ章第87節


今節と次節は物語全体の核心に迫るお話である為、物語自体も解説文もかなり長めです。

なので、深く考えすぎずにゆるゆると読んでいただけると良いかと思います(内容は重めですが)。



始まりの巫女が龍神の森に祠を作った際、まだ巨大杉(つまり龍神杉)はまだ存在していませんでした。

後に龍神杉と呼ばれる巨大杉がその場所に育ったのがただの偶然だったのか、龍神が何かしらの力を与えたのかは定かではありません(あくまでも物語内での話)。



鏡祐が祠の水溜りを通してあちらこちらに行き来出来る事を知っていたのは、今節の始めの方に氷雨さんが言っている言葉を聞いたのと、後々自分で実証実験でもしてみたのでしょう。

ついでにこれはまだ書いていませんでしたが、龍神が意識的に人前に姿を表すのは、その場に水がある事ともう一つ、受け取り手のいない(つまりハッキリとした誰かに宛てたわけではない)助けを求める声や意識を察知した時ですね。

龍神は人の願いを叶える本能のようなものがあるので、特に命に関わるそういったものに敏感です。

幼い頃に醒馬が例の祠の水溜りで溺れかけた時も、龍神の遣いである白い鹿(つまり乙雛)に浅葱を導かせて助けたり(この時は理由あって自身が姿を表す事は出来なかった)もしていましたね。

(浅葱が深海で謎の海獣に襲われていた時は、神護が先に助けに行ったので除外です。)



そういえば第Ⅰ章第3節にて「移住者以外は龍神一族の人」みたいなセリフが出てきたかと思いますが、遥か昔に祠の封印の経緯があった事を考えると見方が変わってきますね。

つまり、当時一族の中で龍神の力の憑代となり、龍神の力を離れ離れにする為にやむなく本土に渡った者達がいて、その話が忘れ去られた頃に再び導かれるように彼らの子孫達が移住者という形で知らずしらずの内に戻って来た、みたいな話です。

特にこの中で鏡祐と誓也と織姫(創龍地家は元々ずっと虹野島にいたわけですが)が龍神の主要な力を持っていた事が判明したので、第81節で「自分達がいつも一緒に遊んでいたのは偶然じゃなかったのかもしれない」と鏡祐が考えていたわけです。



龍の尻尾の話は、桜菊国(つまり日本)全体が見方によっては龍のように見えない事もないというところから持ってきたもので、虹野島(屋久島)や鬼界カルデラを近くに有するメンドン島(薩摩硫黄島)は尻尾の辺りに相当します。

犬や猫が分かりやすいかと思いますが、動物がまず感情を表すのは尻尾が多いかと思いますので、この物語の龍神もそれに当てはめています。

桜菊国内の土地神(国津神)は元を辿れば全て龍(虹野島の龍神に限らず)という存在に繋がり、分かりやすく言うと桜菊国の国土自体が龍そのものであり、見方によっては龍という存在そのものを封印しているようにも見える、みたいな形です。

(第78節で語られていたアマビエと龍神尻尾の話も、実はこの辺りの事を意識して書いたものでした。)



今節の表紙絵でも描いている氷雨さんの神器は、七支刀と三種の神器(八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣/天叢雲剣)をモデルにしています。

その中でも鏡の話はもちろん八咫鏡をモデルにしているわけですが、これは薩摩硫黄島にある安徳天皇に関する話に付随するところから取っています。

『平家物語 壇ノ浦』の安徳天皇の話は有名かと思いますが、この物語で安徳天皇と共に壇ノ浦に沈んだのは草薙剣とされています。

しかし薩摩硫黄島には安徳天皇が生き延びたという話(や墓標)が残っており、その話の中で安徳天皇が持っていたのは八咫鏡で、後になってその八咫鏡が発見されたと言う話を知ったので、(真偽のほどはともかく)この話を使ってみようと思ったところです。

(この話に関して書くと長くなりすぎるので、詳しく知りたい方は「長浜豊彦」という方のWikipediaを読んでみてください。

 他にも薩摩硫黄島には、『平家物語』に出てくる俊寛という僧侶に関するお話もあります。)



今回も、ご愛読いただき誠にありがとうございます (^^)







中高生の頃より現在のような夢を元にした物語(文と絵)を書き続け、仕事をしながら合間に活動をしております。 私の夢物語を読んでくださった貴方にとって、何かの良いキッカケになれましたら幸いです。