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居場所

数年前、ある記事が話題になりました。

“学校に行けないなら
    図書館にいらっしゃい”

この言葉に世の中は二つの意見に分かれました。

賛成派だった私は思いました。
“何が悪い!”

図書館ならほどほどに人がいる。
静かに本が読める。
意地悪をいう大人も同級生もいない。

その記事を読みながら
私は学校の図書室で過ごしていた頃の事を
思い出しました。

高校生の時、私は3年間図書委員でした。
…というか、小学高学年からずーっと。
理由は“誰もやりたがらない”から。

花形の放送委員会や体育委員になりたがる子が多かったので、いつも、開いていました。

小学生の頃の私は“誰もやらないなら”とか
“これ決まらないと終わらないなら、私がやれば終わるかな”と思う子供でしたから、
図書委員になりました。

中学時代も高校時代も、経験があったから、迷わずに…

高校時代、私はクラス全員から無視をされるといういじめにあっていました。

それでも学校に行き続けたのは
私の本来の性格。
“負けるもんか!”のせいでした。

当時の私には夢がありました。
その夢を叶えるためには
大学まで行かないといけなかったのです。

頭が良くなかった私は、せめて、休まずに、授業に出て推薦をもらおうと思っていました。

真面目に授業を受ける
そんな姿も同級生は気に入らなかったのでしょうね。
人付き合いの苦手な私は、同級生の中で上手に立ち回れませんでした。

授業中は良いのですが、休み時間などは、
やはり、辛かったです。
心の中で必死に
「あんな奴らに負けない!」と叫び続けていました。

そこで、図書委員というのが役に立ちました。

図書室が唯一の“逃げ場”になったのです。

当番でもない日でも行き、司書の先生に
「また来たのかぁ」と言われていたりもしました。

実は先生は私が図書室でこっそり泣いていたのを知っていました。

だけど、あえて何も言わず、「帰りなさい」とも言いませんでした。

委員会で出来た友人と放課後、図書室で「もう閉めるから帰れ!俺が帰れないだろう!(笑)」と言われるまで居座ったこともあります。
蔵書整理も手伝ったりしました。

時には「内緒だぞ」とお菓子をくれたりも。

この「場所」が私の創作の力になり、勇気にもなっていました。

私にとって、図書室は、
安息で静かに自分を癒せる場所でした。

だから
【学校にいけないなら図書館においで】は
私にとっては優しく包み込まれるような響きで、居場所のなかった私には羨ましい言葉なのです。

学校の中に“居場所”があれば
または、包み込んでくれる人がいれば
学校へ行けるようになるんじゃないかなと
思ったりしてます。

図書室があったから、司書の先生が見守ってくれたから、今の私がいるのだと、
図書室に感謝しています。

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