「親になる条件」とは
北海道にある社会福祉法人が、知的障害のある入居者の男女に対して、結婚・同棲の条件として不妊手術を課していた。
ことの顛末はこうだ。
このことは、子どもを産み、育てるかどうかを自分で決める権利(リプロダクティブ権)の著しい侵害である。
それと同時に、障害のある者を自分と「対等な人」と見なさない優生思想が透けて見える。
以下、理事長の発言からその問題点を考えていきたい。
法律的な観点からしたのなら、グループホームで暮らす障害者の出産、育児を、法は想定しておらず、支援制度が整っていないのは事実である。
しかし、それを差し引いてもなお、理事長の発言からは、障害のある人を「一人の人間」として尊重しているような姿勢は感じられない。
以下、さらに理事長の発言を見ていきたい。
さらに、続けてこう述べている。
この発言は、問題があるものだと考える。
なぜなら「彼ら」は、その「能力次第」で、そもそも親になる資質があるかどうかを他者により先天的に問われるのである。
しかし、これは「親になる」ということの本質を見誤っている。
そもそも「親になる資質」とは、先んじて存在するものではない。
親の資質は、性質的に「後天的に」培われていくものだ。
「親になる」ということを初めから、自信をもって始められるものなどあまり多くないであろう。誰でも初めは不安である。
それを、四苦八苦・悪戦苦闘しながら、「親」というものは事後的に形作られていくものである。
それを導入(出産)の段階で、その「資質のあるもの・ないもの」というふうに選別していくのは、「親になる」とはどういうことかの本質的な見方を逸脱している、と言わざるをえない。