私は恋をしない
新年が明けた。
アプリの整理をしていて、このnoteの存在を思い出して久々に開いてみた。
別に書こうと思って開いたのではない。でも、アプリを開いて自分のたった1つの投稿を読み返して、noteを書きたくなってしまった。だから、軽い気持ちで書いてみる。
2020年は、いつもより家にいる時間が長くて、例年より思考を巡らせることが多くなっていた。
例えば、コロナウイルスによる様々な打撃。
当たり前だと思っていたことが出来なくなったこと。
コロナウイルスに対する世間体での考え方の違い。
好きなアーティストに会えなくなったこと。
検察庁法改正法案の意見の割れ。
キャリアプランニング。
BLMでの暴動行為。
LGBTQについて。
自分の偏食について。
米大統領選。
社会や自分自身について多くのことを考えた1年だった。
大学生らしいと言えば大学生らしい。
その中でも1番ハッとしたことがあった。
それは勿論自分自身のことであり、セクシュアリティについてであった。
ここからが本題である。
今まで私はセクシュアリティについて真剣に考えたことがなかった。
確かに、セクシュアリティには様々な種類があって色々な人がいるということは知っていた。
しかし、自分自身の性について考えたことは無かった。
機会が無ければ普通はそうなのかもしれない。
しかし、私にはその機会が訪れたのである。訪れた というより、出会った というのか。
私はこの自粛期間にNetflixで様々な映画やドラマを見漁っていた。狂いそうなほど観ていたのだが、その中で特別な作品に出会った。
それは、『Sex Education』というドラマシリーズだ。
私の好きな俳優(Asa Butterfield)が主役ということで、軽い気持ちで観始めたものであるが、観終わる頃には私の中でとても大切な作品になっていた。
なぜなら、私はそのドラマのおかげで自分自身の在り方を見つけることが出来たのである。
19年間生きてきて、いつも腑に落ちなかったことがある。
それが自分自身のセクシュアリティについてなのである。
え、どういうこと?と思う人もいるかもしれない。
そう、私は一般的に言うストレートでは無いのである。
そして、このドラマを見て分かったことは、自分はアセクシュアルつまり無性愛なのであるということ。
もっと早くこの作品に出会いたかったと思う。
このドラマではストーリー内でLGBTQIA(+)について分かりやすく説明が施されていて、人生において知っておくべきことが詰め込まれている。
今まで、クエスチョニングであった私はアセクシュアルという性を知ったことで、自分がいるべき所にいるという安心感に包まれた。
19年間、人に恋愛感情を持ったことが1度も無く、好きな人が1人も出来たことがない。そもそも恋愛に興味が無いのである。
中学生の頃、こんなことがあった。
修学旅行の夜、友人たちが恋バナをしているので話に加わろうとしたら「〇〇ちゃんは好きな人がいないからダメ!」と言われた。女子たちの秘密話に参加することはできなかった。
その時、自分はなぜ好きな人ができないのだろうと不思議に思ったのと同時に、人を好きになるってどういうこと?という疑問までも生まれた。
高校では、「彼氏欲し〜」という会話を時折混ぜながら、皆に紛れ込むようになっていた。
しかし、その言葉を発する度、自分の中で何かむず痒いような気がした。
今でも恋愛の話になった時は、どこでもその嘘を交えながら会話を保っている。
本当のところ、彼氏を欲しいなんて思ったことは1度も無い。
逆に、そこまで恋愛に興味が無いことを自分でも変なのかなと不安になり、同性愛なのか?と疑ったこともあった。
しかし、それも何か違う気がした。
「人を恋愛感情で好きになったことが無い」「好きってどういう感覚?」
こんなことを友人に話しても、「まじで?」と笑いながら返される。
自分でも分かる。普通そうだよなって。
周りにそんな人いないし、出会ったこともない。
じゃあ、私は何なの?
そんなモヤモヤを抱えながら19年間彷徨い続けた。
そこであの作品に出会った。
話を進むごとに、今まで知らなかったセクシュアリティを知り、知識を増やしていった。
そして、アセクシュアルを知ったのである。
誰に対しても恋愛感情や性的欲求を抱かない人
その瞬間、ビビっと「私はこれだ!」と思うことができた。
遂に自分の性にピッタリと当てはまるものに出会えたのだ。
遅かったのかもしれない。自分の知識が少なかったせいで。
しかし、私以外にもこの性を知らなかった人がまだ多くいるだろう。
アセクシュアル(無性愛)というセクシュアリティがあることをもっと多くの人に知って欲しい。
そして、世界にはそのような人がいるということを理解して欲しい。
恋愛することが当たり前という考え方を普通だと捉えないで欲しい。
勿論、恋をすることは素敵だと思う。人々の話を聞いて幸せな気持ちになることも多々ある。むしろ、人の恋愛の行方は気になる方である。
だから決して冷淡な人間なわけではない。誰かを愛すことは知っている。私自身、家族への愛は誰にも負けないと思っている。
しかし、私は恋をしない。
それが私なのである。
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