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餃子の宇都宮に行って来た

 皆さんは餃子はお好きだろうか?
 恐らく日本人で、跨いで通るほど餃子が嫌いという人を探すのは難しいと思う。カレーやラーメン同様、この国の食文化の1カテゴリに数えられる料理だろう。
 では餃子は、1泊2日の旅の目的に適うほどの料理だろうか。

 その答えを求め、我々探検隊はアマゾンの奥t……もとい、栃木県宇都宮市に向かったのである。

↑今更だけど、大谷石ですねこれ?

 東北新幹線で東京駅から3駅50分。と聞けば、意外な近さに驚かれるだろうか。関東平野の北に位置する50万都市宇都宮に降り立ったのは、厚手の雲が夏を遮る7月の半ばであった。
 言い出しっぺである私は、少し早めに宇都宮駅に到着。ややあって、時間にタイトなメンバーが合流する。
 料理好きのプログラマー、チャングさん(仮名)。元ファミ通の名物編集長にして餃子評論家っぽいバカタール加藤氏。そしてサイバーコネクトツーの松山洋社長。よく集まったなこの面子!と今更ながら突っ込みたくなる豪華メンバーが集結し、宇都宮餃子に挑むのだ。

 一行は路線バスに乗り7分。ドン・キホーテや大型書店が入る複合ビルの地下一階。宇都宮餃子会「来らっせ」本店に足を踏み入れた。
 市内80店(!)が加盟する日本唯一の餃子協同組合『宇都宮餃子会』が直営し、小規模スペースの店舗を並べ、広い客席を共有。客は好きな店の味を楽しめるという、餃子のフードコートといった店だ。
 といってもさすがに80店全てを並べることはできず、精鋭33店舗の味を日替わりで出すスペースと、宇都宮にその店ありと呼ばれる五大老(いま命名)の味を振舞う常設スペースに分けられている。
 12時過ぎ「来らっせ」に到着した我々は一驚した。そこにはすでに五十人を超える行列ができていた。しかも常設スペース側だけで。
 連休頭のランチタイムとはいえ、宇都宮の距離と駅からの距離を感じて些か油断していた我々は、その光景に気を引き締めることとなる。宇都宮は甘くない!
 とはいえ席数も多く回転がいいのか、列は案外スムーズに消化される。席に案内された我々はまずレギュラーの味を確かめるべく、五大老それぞれの焼き餃子と水餃子を手分けして買ってくることにした。

 と、ここで閑話休題。そもそも宇都宮=餃子の街となったのはなぜか?
 時は明治40年、旧陸軍第14師団司令部が宇都宮に置かれたことに端を発する。同師団は戦時中満州に渡り、戦後復員した隊員たちが、満州で食べた餃子の味を持ち帰り、市民の味として根付いたと言われる。
 しかし宇都宮初の餃子専門店は、ある主婦が開いた店だった。
 旧鉄道省職員だった鹿妻芳行は、妻の三子と共に中国の王府井へ渡る。そこで三子は主婦として本場の餃子を覚え帰国。栄養食ブームに乗って食品店「ハウザー」を開店。メニューに餃子を加えた。
 が、ブームの短命を悟った三子は昭和33年、馬場通りに「餃子と老酒の店・珉珉」を開業。これが宇都宮における、餃子専門店の元祖と言われる(一説です)
 ほかにも栃木は、ニラの生産がさかんであったり(現在も国内2位の生産量)、夏暑く冬寒い内陸気候から、スタミナ食の需要が高かったことなども、餃子が愛される背景にあったといわれている。
 しかし実際にマスコミなどで取り上げられるほど餃子を推すようになったのは、平成に入ってからというのが通説らしいが、このあたりは他所の資料に譲る。

 そしてその『みんみん』も当然五大老に列せられ、常設店舗の中にいるのだが、そんなこととは露知らぬ我々は、ずらりとテーブルに並んだ5店舗分の餃子の群れに、吠えるような歓声を上げた。

 人が一生の間に一度にこれほど多種多様な餃子を並べて眺める機会は何度あるだろうか。餃子ファンには申し訳ないが、これら一つ一つを細かく食レポすることは我々にはできない。これらすべての味が違い、そしてすべての餃子がうまいという事実に驚嘆するのが精一杯だったのだ。
 ニラやニンニクの刺激を主体にした餃子に毒されかけていた私など、肉と野菜の甘味を軸にした宇都宮餃子のパワーに蹂躪され続け、普段は米がなくては到底食い尽くせぬ量を、餃子のみでぺろりと達成したほどだ。
 下戸の私と違い、大人の嗜みを知る隊員たちは、生ビールとの黄金コンビに狂喜し、箸も休めず食べ続けた。
 ほどなく五人目の隊員、肩書き不明のアオ副隊長(仮名)が合流し、挨拶もさせずに餃子を押し付ける。
 定番を片付けた我々は、二巡目に変わり種を主体に購入。餃子の裾野を体感する。
 しそ、羽根つき、坦々スープ、よだれ鶏、おろしポン酢、揚げエビ、チーズ明太、バジルチーズ(餃子称略)。もはや無限とも思える餃子のポテンシャルを垣間見つつ、その完成度に腰を抜かすばかり。そして隊員の誰一人、これっぽっちも食べるペースが落ちないのだ。恐るべし餃子パワー!(私のオススメはよだれ鶏)


 無尽に食べられそうな餃子相手でも、歴戦の中年の胃には限度がある。限界を悟った我々は後ろ髪引かれる思いで「来らっせ」を後にし、夜の席に向けてインターバルを挟む。
 関東平野の北端(とブラタモリで言ってた)二荒山神社で餃子おみくじを引き、駅そばのシックな喫茶店で一服。ホテルに入り夕食まで自由行動。

↑石段を見るや一気に駆け上る松山氏。よく戦う社長である。

 そして夜は、宇都宮駅の真正面、宇都宮餃子館(会ではない)こと健太餃子へ。
「昼のぶんが消化し切れてないなァ」
 などと無念そうに腹をさする加藤氏はじめ一行であったが、一皿目に頼んだ12種詰め合わせに、魔法のように箸を動かされ、瞬く間に平らげた。
 チーズ、激辛、肉ニラ、どんこ椎茸、舞茸、エビ、しそ、フカヒレ(餃子称略)。中身を探りつつ食べ比べるその箸がやめられない止まらない。さらにとんかつ餃子におにぎり餃子なんて変化球までやって来て、再び恐ろしいほどの餃子の裾野を思い知った。

↑これも餃子です。餃子なのです!

 夕食後、デザートにレモン牛乳アイスを食べようと、駅売店をはじめ方々を捜索するも見つからず。そのまま松山氏の提案で、少し歩いた先にあるスーパー銭湯を目指す。

 ホテルのようなでっかい風呂で裸の付き合い。カロリーとアルコールをジョビジョバ流す一行。松山氏はサウナ→水風呂の往復を3セット決めたらしい。よく戦う社長である。
 ホテルに帰着後、松山氏の部屋でアニメ鑑賞会。
ソウナンですか?』なる今期の裏覇権アニメに度肝を抜かれつつ、ゲーム業界名物「眠るぴろし」を観測し、解散就寝となった。


 翌朝、雨降る宇都宮の裏通り。ある小さな店の前で、私は並んでいた。
 今回の旅の主目的はここだった。先述の宇都宮餃子会に名を連ねず、しかし本家「みんみん」と並び称される(実際本店が数十メートルしか離れていない)ほどの有名店。平日休日問わず開店前から列ができ、メニューは焼き餃子と水餃子のみ。ライスは愚かビールさえ出ないというストイックさにも関わらず、連日3時間ほどで完売閉店するという、宇都宮餃子の極北。
 その実、開店1時間前から列ができはじめ、否応無く期待が高まる。隊員が辛うじて入手したレモン牛乳アイス(これも一本原稿書きたいほどうまい!東京で売ってください栃木乳業さん!)を食べつつ待つと、やって来た店の方から驚くべき事実が判明する。
 なんと、週末は店内で食べることができず、持ち帰り用の冷凍餃子のみの販売になるというのだ。痛恨の調査不足!我々は後ろ髪を鷲掴みにされる思いでその店を後にした。
 餃子専門店、正嗣。お前とはまたいつかまみえよう!

 気を取り直し「来らっせ」を再訪。昨日は行けなかった日替わり店舗エリアを目指す。開店直前のいいタイミングで入れた。
「さすがに3食連続はどうだろうなー」と尻込みしつつ、曜日ごと10店舗ずつ変わるというメニューから、今回もとりあえず1皿ずつ頼んで食べ比べる。
 人が一生の間で、一度にこれほど多種多様な餃子を並べて眺める機会は何度あるだろうかと、さっき書いたら2度目がもう来た。餃子ファンには申し訳ないが、これら一つ一つを細かく食レポすることは我々にはやっぱりできない。これらすべての味が違い、そしてすべての餃子がうまいという事実に、またまた驚嘆するのが精一杯だったのだ。
 こちらら肉の甘みが、こっちは皮の厚さが、これはニンニクの刺激を、これは総合力が抜きんでている。と、一口一口が発見の連続なのだ。
 箸休めの漬物も完璧な仕事をしてくれたおかげで、箸も止めずに二巡を完食。最後は中年男性がこぞってタピオカドリンクに並んで、そのボリュームに悪戦苦闘するというデザートで締めた。


 実は二日目の朝、道中乗ったタクシーの運転手さんが栃木弁で教えてくれたところでは、地元の人はそれほど餃子は食べないし、このブームの理由も不思議だと苦笑していた。
 だが地元の人が足繁く通う店の名はすぐ出て来たし、その店のちょっとした裏話に花が咲くあたりは、結局餃子が好きなのだと感じた。
 観光資源として成立させる不断の努力。一皿12個の詰め合わせで、あれほどの幅と高みを演出できる創意工夫。ブランドになるから美味いのではなく、美味いからブランドになるのだと、強く感じさせられた1泊2日の旅であった。

 そして我々餃子探検隊は新たな謎、浜松餃子は宇都宮餃子にとって、どれほどの強敵なのかという答えを突き止めることをたぶん誓い、各々家路に着くのであった。

(ああ、書いてたらまた餃子が食べたくなった)

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