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車で移動することで”取りこぼしている”と思うこと

2年前から、自分の車で移動してばかりいる。 車って便利だな~と思う。 子どもの服いっぱい買っても、大丈夫。 お米とお味噌という重いものをいくつか買っても、大丈夫。 子どもを連れて公園に行って、雨が降ってきても、すぐ車に戻ればいい。

自分の車を買ったのには、切実な理由があった。 ヒザというか、足が悲鳴をあげたからだ。 子どもを抱っこひもでだっこして、子どもグッズと自分のものが入った荷物を持ち、バスなどの公共交通機関で移動してたらそうなった。 重い重いと自分でも思いながら、日々外出していたので、まぁ当然かな…と思ったが、対策は必要だった。 だから、車を買ったのだ。

バスで、1歳の子を連れて「〇時にここ」という期限のある外出をするのは、とても大変だった。 まず、子どもがグズグズするので準備が進まない。外に出ても歩かない。道草する。 それを抱え上げてバス停までダッシュする… 常に、バス亭にはぎりぎりで到着してた。

今では、ヒザの痛みもなくなり、快適に車移動している。

ただ、バスやJRで移動していた時のことを、ふっと思い出すことがある。

例えば、スーパーに買い物に行こうとバスに乗っていたときのこと。めずらしく車内は混んでいて、座れなかった。 乗り口付近で手すりにつかまって立っていたら、近くのおばちゃんが、後部座席に座っていた高校生男子と思われる団体に一言。

「重くて大変な人いるんだから、誰か席譲ってあげて。」

おばちゃんに何度もお礼を言いながら、空けてもらった席に座った。

そして、千歳市の乳幼児健診に行こうとバスに乗ってて座席に座ってたところ。前の二人掛けの座席に、小学校高学年の子とママが座った。ママがくるっとこちらを振り向き、
「あらー、女の子!いいわねぇ女の子。うちは男の子3人だから。服も黒とか青ばかり。いいねーピンク着て。かわいいわぁ。」
「男の子3人、にぎやかそうですね~」
「そうよ~、バタバタ。プロレス団体みたい!」
「3人育ててスゴイですよね。わたし、ひとりでも手一杯で…」
「あ、そうでもないのよ。上の子が下の子の世話、けっこうしてくれるから。 わたしも、最初の子だけの時が一番大変だったな。二人目出来たら、世話する人が二人、三人目出来たら、世話する人が三人になって、ひとりで子育てしている感じがなくなったのよね。」
「へ~、そういうもんなんですね~。」
「まぁ、ちょうど3~4年間隔で生まれてよかったってのもあるかもね。」

そんな会話を楽しくして、目的地でバスを降りた。

子ども連れで公共交通機関に乗ってると、千本ノックのように、老若男女問わずいろんな人に話掛けられてた。 最初は戸惑ったが、そのうち慣れて、返答パターンもいくつか定まっていった。 たぶん、自分のコミュニケーション力も鍛えられたんだと思っている。

返答不要なパターンもあった。 バスを降りて信号待ちをしていた時。 ななめ後ろから、たぶん70歳くらいのおばあちゃんが、わたしに並び、一言。

「今は大変かもしれないけどなぁ。ずっと先に、いいことあるからな。」

信号が青になって、さっさと歩いていってしまった。印象的だった。

わたしはこういうのがキライじゃない。 むしろ、小ネタが増えて喜ぶ方だ。 …でも、今では三歳になる子どもを連れての買い物や用事は、やっぱり車が便利なのだ。

この2年、こういうコミュニケーションを取りこぼしている感がある。何気ない温かさ、声をかけてくれた相手の、経験の深さ。中には、不愉快なこともある。でも、面白いと思う。

子どもが年長さんになって、社会のルールを学ぶ時期に入ったら、車じゃなくてバスでの移動を増やしてみたいな。

世間には、いろんな人がいるんだよ。