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23.05.15 家族の犠牲にならなくていい

・世の中「正しい家族像」みたいなものが強すぎると思う
親に感謝しなきゃいけないとか、家族が助け合うことは素晴らしいとか

何の疑問もなくそれを実現しているすてきな家族も確かに存在する
でも、一方的に負担被ってる立場の人がいるところにもそれが当たり前に適用されて、本人も気づかないうちに我慢して犠牲になっている人たちがいる

私もそうだった

・小学生のころから毎年兄の誕生日にプレゼントをあげていた
でも兄が私の誕生日に何かくれることはなかった
でもそこに家族の誰も何の疑問もなく、私だけがあげ続けていた

さすがに父が見かねて兄に声をかけたようで、6年生の誕生日に兄が私にプレゼントをくれた
びっくりした
と同時に、あれ、そういえばお兄ちゃんが私に誕生日プレゼントくれたこと今までなかったな、と気づいた
なんで私だけあげてたんだろう
そう思って、翌年からあげるのをやめた
(ちなみに、兄からのプレゼントもその1回きり)

しかし、その後もバレンタインのチョコは続けていた
もちろんホワイトデーのお返しはない
でも何とも思わなかった
当たり前のことだから

大学生になって一人暮らしを始め、チョコをクール便で送ろうとして、送料の高さに驚いた
そうまでして送るか?と悩んだときに、そういえばお兄ちゃんがお返しくれたことないなと気づいた
じゃあ別に私もあげなくてよくない?
その年からあげるのはやめた

・友達同士で返してくれなかったら、ずるい、ケチだな、なんて内心思っていたけれど、兄には全く思わなかった
返してもらってないことを意識すらしていなかった

私は家族の中で雑に扱われる立場で、兄は大切にされる立場で、私は兄のために我慢して尽くさないといけない存在だった
母からそうやって育てられるうちに、自分でも「私は雑に扱われるのが当たり前」「私は兄に一方的に尽くすのが当たり前」という価値観を内面化していたのだと思う
なんだか今さらかなしくなってくる

・最近、発達障害の兄のことで親と話し合いを始めた
でも、親は向き合ってくれない
私の話をちゃんと聞いてくれず、その場だけ理解のあるようなことを言って、私からも兄からも逃げてばかりだ

でも都合よく仲良し家族ごっこはしたがるごはん食べにおいでよ、母の日だから顔見せてあげてよ、正月は帰ってくるよね?と言う

お前は私がしてほしいことを何度伝えてもしてくれないのに、なんで私ばっかりお前の仲良し家族ごっこに付き合わなきゃいけないんだ
めちゃくちゃ腹が立った

と同時に気づいた
付き合わなきゃいけないことはないんだ、行かないって言えばいいんだ、と

・今までの私に、そんな選択肢はなかった

毎年母の日父の日誕生日の月には実家に出向き、プレゼントをあげた
(ちなみに兄から親には何もない)

ちゃんと親のリクエストを聞いてからプレゼントを選んだ
(親は私のリクエストなど聞いてもくれない
自分から伝えたとしても、その場ではわかったと言って違う物をくれる
返すのも悪いので、ありがとうと言って仕方なく受け取る)

正月も毎年帰る

それが当たり前だから
体調不良やお金のことなど都合のいいときだけ親を頼りにしておいて、そういう親孝行はしたくないなんて、さすがに自分勝手だから

・でもよく考えたら、親は私に本気で向き合う気がないのに、都合のいいときだけ私を利用して仲良し家族ごっこを楽しんでいる
兄も、家事やお金など全部親に頼っているのに、そういう親孝行は一切していない

なんだか私だけが頑張っている

なら私もやらなくてよくない?

そう気付いたとき、鬱々としていた気持ちがふわーっと軽くなった

私は自分が思っていたより家族の犠牲になっていたんだなぁと思う
世の中の正しい家族像に縛られて、自分の気持ちを蔑ろにしてきた
本当に、気づかないうちに
おそろしいなぁと思う

私を大事にしてくれない人を大事にする義務はない
たとえ血が繋がっていても

・とりあえず、今年の母の日父の日は実家に帰らないしプレゼントも買わないことにしよう
私は世の中の価値観より自分の気持ちを大切にする

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