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23.04.08 自分が幸せになる権利

・私の兄は、軽い発達障害がある
「お兄ちゃんは障害の特性でストレスを感じやすいの
我慢するのも苦手なの
あなたは健常者だから我慢できるでしょ、あなたが我慢しなさい」
私は母からそう言われて育った

兄ばかりちやほやと大事にされて私の扱いは雑だった
でも当時は扱いの差に気付くことすらなかった
私は障害児を育てる母の悩みを聴き、母にこれ以上負担をかけないよういい子となり、兄が心穏やかに過ごすために自分は我慢した
自己犠牲が前提の人生
自分が幸せになるために生きている人とは生まれが違うのである

・大人になって、職場でも自己犠牲が前提の働き方しかできずにいる
周りの人に負担をかけてまで自分の都合を優先できないし、周りの人には楽しく働いてほしいので、しんどい仕事は私がやればいいやと思ってしまう
別にそうしろと圧をかけられているわけではなく、自らそれを選んでいる

職場の人たちも、私ばかりが負担を被っていることを事実としては知っているのに、不思議と何とも思わないようで
僕もやりますよとか、あなたばかりに負担が偏ってておかしいとか、いつもやってもらってごめんねとかありがとうとか、誰も言わない

私はもう「そういうキャラ」なんだろうなと思う
私が犠牲になることは、みんなにとっても私にとっても自然なことなのだ
私はそういう星のもとに生まれたのだ

・「自分には幸せになる権利がある」という感覚がない
だから、仕事や学校や人生がうまくいかないとき、「うまくやれない自分は生きる価値がない」という思考になる
「私がこんなにつらい思いして我慢しなきゃいけないなんておかしい!」と怒っていいはずなのにね

別に誰にも、人を幸せにする義務とかないと思う
自分が幸せになる権利しかなくて
本当はその権利をもっと主張して行使するべきで
そんなことを人には思うけど、理屈では思うけど、実感として自分には思えずにいる

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