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合理的な意思決定をするためには

合理的な意思決定をするために、人間の不合理性を理解する

 医療者も患者も、治療や予防の効果を最大化するために、すべてにおいて合理的(rational)に行動する。一見、医療はそのような基本的通念の上に成り立っていると思いがちであるが、実はそうとは言い切れない。人間の行動、とくにmaking healthy decisionsにおいては、合理的な考えとは到底言えない価値判断基準、すなわち不合理性(irrationality)が強く影響しているからだ。

人間は皆、めんどくさがりである。

 例えば「絶対脳梗塞にはなりたくない」という患者がいたとして、降圧薬を処方されても彼らのうち半分は「メンドクサイ」ので1年以内に服用をやめてしまうという。なぜなら降圧薬を飲むという行為は現在やらねばならない事象だが、実際に脳梗塞になるとしても、それはたいてい数年〜十数年後の事象であるからである(現在バイアス;先延ばしグセ)。

 また、医療者は喫煙者である患者に「タバコをやめろ」と口酸っぱく伝える。しかし、多くの患者は「タバコを吸っていい気分になれるという旨味が目の前にあるのに、どうして起こる確証もない未来の肺癌のことを恐れて、それをやめねばならないのか?」と考えてしまう。これは医学における合理性には明らかに反しているが、それを非難することはできない。なぜならタバコを吸うという行為には即時性があり、将来の肺癌発症にはそれがないからである。このように、人間は易きに流れがちである。それにニコチン依存の問題もある。

 かく言う自分も、アフリカのマラリア流行地に渡航する際にマラロン(1錠500円!)という予防薬を持っていったのだが、蚊がたくさんいるにも関わらず、途中で飲むのをやめてしまった。地元住民に「マラリアは今の時期にはあまりいないよ」と言われたのもあるが、振り返ってみると、やはり「メンドクサイ」という理由からであった。つまり、「飲まない」という甘美かつ即時性のある怠惰への誘惑に、無意識のうちに負けたのだ。現地で蚊に実際に刺されていたにも関わらず、である。致死率の最も高い熱帯熱マラリアの潜伏期は1-2週間であり、喫煙者が脳梗塞になるよりもずっと近い未来にそれが起こりうることを、医師である自分は知っていたにも関わらず、である!

 自分の言うとおりにしない患者に対して、「知識が足りない」「効果を最大化するにはどうしたらいいか、という経済学的な考え方ができない」などと考えてしまう医療者もいるかもしれないが、ここからわかるのは、事はそう単純ではないということである。人間は、誰でも不合理的性の生き物なのであり、考え方の癖=バイアスを持っていることを認識して事にあたらねばならない。

プロスペクト理論を応用した患者意思決定支援

 プロスペクト理論は1979年にDaniel KahnemanとAmos Tverskyによって提唱された、行動経済学の根幹をなす概念である。簡単に言うと、「目の前に提示されたものの損失の度合いにより、人の意思決定は変化する」という考え方である。要するにプロスペクト理論とは、人間は利得よりも損失の方がその価値が大きいと考える人間の考え方の傾向のことである。しかもKahnemanらによると、その差は2.5倍にも及ぶという。マーケティング戦略においては「満足いただけない場合全額返金します」「100人に1人が無料になります」などの広告にこの考え方が応用されている。
 ある研究では、「毎日7000歩を歩くごとに1.4ドルもらえる」とした群より、「最初に1.4ドル x 30 = 42ドルをもらっておいて、7000歩歩いていない日があるたびに1.4ドルずつ失う」とした群の方が圧倒的に高い目標達成率を収めたという。両者がもらえる可能性のある金額の数学的期待値は同じであろうが、人間の考えにはこのような癖=バイアスが存在する。

 これを医療現場で応用してみる。例えば末期がんの患者に対して積極的治療を中止するという提案において、患者は「治療をやめるとこれ以上生きられないことが確定する」という損失状況に置かれている。このような場合、当事者である患者は、損失状況には置かれていない非当事者である医療者と立場は全く異なる。自分の命がかかった状況であり、患者が合理的な判断ができないのは当然である。その結果、例えば高額な民間療法に手を出すといった、思わしくない状況を生んでしまうことをしばしば経験する。もちろんそのような意思決定を批判する意図はないが、これが患者にとってベストの選択肢とは言えない場合も多く存在する。
 ここにプロスペクト理論を応用すれば、損失状況においてはマイナスの価値が非常に大きくなるため、当事者である患者は、損失を可能な限り回避し、現状維持(=治療の継続)の方向に考えが偏りがちであることが理解できる。そして医療者がこれを逆手にとり、治療を中止することで得られる利得について繰り返して説明することで、損失状況ではなく利得状況での判断を導くよう努力する。そうすることで、手堅く得られるメリットを追求する方向に患者を促すことができるかもしれない。

人間の持つ不合理性をコントロールする

 言うまでもなく、人間の考え方が常に不合理性を含んでいることは、何も患者だけの問題ではなく、医療者にも言えることである。人間の行動を変えることは非常に難しいのは誰でも知っていることだ。一つの方策は、人間は社会的動物であるという事実に訴えかけることである。例えばあるサンフランシスコの病院で手洗い場にフリー素材の人間の目を拡大したものを貼っておいたところ、医療者の手洗い率が倍増したという。医療者は自分が見られていると知ると、とたんに社会的に「正しい」行動を取る方向に意識が働くようにプログラミングされている、極めて「社会的な」動物なのだ。
 また医師をしていると、貧困、精神疾患、アルコール依存者などで合理的自己決定能力が欠如している人々=disempowered peopleと直接関わる機会が多い。残念ながらこういった状況下では、より合理的な判断に導くことは難しくなり、不合理性の度合いが増してしまう。しかし、彼らも大量に酒を飲んだら体を壊すことは知っているはずだし、自殺を図ることで周りに多大な迷惑をかけることも、頭のどこかでは理解しているはずだ。彼らが、自らの尊厳と無力化の間で苦しんでいることを、我々は理解する必要がある。
人間は皆、不合理性を持って生きているし、その度合いや考え方の癖はそれぞれ異なる。個人個人が持つ不合理性を一人ひとり評価し理解した上で、それに応じた対応をしていく必要がある。これこそ、医療者および患者にとって最良の決定を下すのに不可欠なことだと言えそうだ。

 全ての患者は決して軽視されてはならず、リスペクトされる必要がある。患者も医療者も、同じ非合理性の中に生きる動物であり、できるだけ楽をしたいと考えるナマケモノであることに、何ら変わりはないのだから。

元リンクhttps://www.ted.com/talks/david_asch_why_it_s_so_hard_to_make_healthy_decisions?fbclid=IwAR3jmyddG2ttvV1xCrrfdrDg9kLlMrA4O8dEdIFE-gXuqhRoNxsex8Uu03Y

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