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親の名誉心

ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」を読んでいて気になった箇所がある。

「(大人の)残酷な名誉心が傷つきやすい子供のあどけなく、ひろげられた魂をなんのいたわりもなく踏みにじる」

規則と精神の葛藤に悩む少年ハンスは神学校の規則よりも友情を大切にした結果、校長や教師から疎まられるようになった。ここで言う規則は、毎日ギリシャ語・ヘブライ語やホメロス等の詩の勉強に励み良い成績を残さなければならないという意。現代で言うと進学校のような考え方。

幸い進学校に合格したが、学校で精神のようなことを学んだ覚えはない。そして家族が気にするのは学校での成績と大学受験の結果。医学部に合格した後は、息子或いは孫が医学部で勉強に励んでいることを自慢することしかしない、まさに”残酷な名誉心”そのもの。おまけに小さいころから続けてる楽器を今でも続けてるから、自慢することは”勉強も音楽も充実している子、なんて自慢の子”

自分の家族は自己愛が強い。だから自分のことしか考えていない。子供を立派に育てあげた自分に酔っている。例えば、父親は子供に嫌われたくない思うが根底にあるらしく、直接子供を叱ることは絶対しない。母親づてに聞いたとして、本人に問い合わせると、「そんなことは言っていない」と手の平返し。実家に帰るとご飯の支度にいろいろと自分に尽くしてくれるのだが、それも結局は尽くしている自分に酔っているだけのように感じる。自分が大好きなんだろうことが伝わってくる。

心から愛されていないんじゃないかという疑念が頭をよぎってはあとに薄いモヤを残す。ただ、それは愛されていないんじゃなくて、そういう形でしか子供を愛することができないだけだとも感じる。そう自分に言い聞かせている。

残酷な愛だ。

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