見出し画像

いちコマに徹する友人とそれができなかった私との差(後日談)

前回の記事の続きである。

そんな出来事から数日経過しても、こんな彼とのやり取りがボディブローのように私を痛めつけ続ける。やはり、私はコマになれないのではないか――というか、彼のように「コマに徹した働き方」でうまく仕事がまわるのは、あくまで昭和の高度経済成長時代の話であって、変化の激しい現在においては、通用する場面というのは、かなり限定的なのではないか? ということである。そして、単なるイエスマンであれば、そのうち、AI に取って代わられるのではないか? とも思う。

あと、私が総務人事部門にいた間、結局、何が一番嫌だったかというと、やはり法令違反だろうか。総務人事部門は、どんな「悪いこと」をやってもそれをなかったことにしてもいいのだ。我々は無敵だったのだ! コマに徹するということは、このような法令違反を、上長の命令どおり、会社の利益のために隠し通し、世の中、社会を裏切らないといけないのだ!

余談だが、私が小6の頃のクラスの年間目標は「悪いことは悪いと、正しいことは正しいと、誰もが言える仲間になろう」だったと記憶している。しかし、我社の総務人事部門は、それができていなかったので、今でも小学生以下だと思っている。

唯一の救いは、今の部署での部長の存在だろうか。彼女は、基本的にこの辺の私の考えを理解してくれただけでなく、彼女自身も、パワハラで苦しんだ過去がある。そんな部長から得られたヒントとしては、彼女が言った言葉。
「私は、完全回復するまでに、2~3年かかったもんね……。」
だろうか。

私も、もう……、あの事件から3年目に入った。今年度が終われば、私のこの辺の悩みもどうでもよくなるのだろう……か。現時点では、まだまだ回復の兆しも見えていない。

とりあえず、別の会社への出向制度について、エントリー制ができていたので、取り急ぎそれに申し込んでみた。もっとひどい現場を見れば、我社が恵まれていることに気づくのだろうか……。

【関連記事】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?