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「すみません。」が口癖な私の問題の本質

「すみません。」

私の口癖である。

「あっ、すみません。」
「すみません、これって…」

無意識に口から出る。
このくらいなら英語の「Excuse me」のようなものかもしれないが、気がつくと謝っていることが多々ある。
外国だったら何度裁判で負けているだろう。

例えば職場で、社内の人に明らかに短納期の仕事を依頼されたとする。
どうにかしてあげたいので、頑張って引き受ける。
必然的に依頼主の確認も急いでもらうことになるが、「急いで確認してもらってすみません。」と私が謝っている。しかし、その人の急な依頼なのでこっちが悪いわけではない。

なぜ私は謝っているのかを考えたときに、気がついた。

「いえいえ、こちらこそ急な依頼で、ごめんなさい」

と言われたかったのだ。というか、言われるものだと思い込んでいたのだ。
なぜなら私ならそう言うから。

お察しの通り、もちろんその言葉は返ってこないのだけれど。

つまるところ、人は自分軸で生きているのだということ。
勝手に自分の中で会話を想定してしまっているのだ。
そして勝手なことに、想定外のことを言われると、落ち込む。


「自分がやられて嫌なことを人にするのはやめましょう」
「相手の気持ちを考えましょう」

子どものころから教え込まれたすばらしい教訓は、時を経て害となる得る。

もちろんこの教訓が悪いのではない。
知らず知らずのうちに、自分がこうするから、相手もきっとこうしてくれるはず、と期待してしまうのがいけないのだ。

なのでもう一言付け加えて教訓にしたい。
(もしかしたら言われていたのに私が勝手に記憶から消しているだけかもしれないが…)

「自分がやられて嫌なことを人にするのはやめましょう。でも、相手も必ずそうしてくれるわけではありません。」
「相手の気持ちを考えましょう。でも、それが本当に相手の気持ちとは限りません」

相手の気持ちを考えたところで、相手の気持ちなど相手にしかわからない。
自分が考えた「相手の気持ち」は、自分が考え出した空想の可能性もある。


自分は自分。人は人。


腐るほど聞く言葉だが、世の中は結局この言葉に尽きる。

腐るほど聞いているのにも関わらず、案外わかっていないもんだ。
私もこの文章を書き出してみてやっと実感した。
(お恥ずかしながらそれまで、あの人意味わかんない!普通こう言うでしょ!と憤っていた。。)


自分は自分。人は人。


人に勝手に期待しそうになるとき、心の中で唱えたいと思います。

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