女性とジュエリーの関係性について。
若くてちょっと羽振りが良かった時期、やたら欲しくなったのがブランドものの時計やらジュエリーだ。どうしてあんなに欲しかったのか。今となるとさっぱりわからない。しかし、年齢と共に見た目よりも内面の充実を求めるようになった、ときれいにまとめてしまえるほど、女性とジュエリーの関係は単純ではない。
今朝のニュース番組で、あるコメンテイターが、とある有名ラグジュアリーブランドのペンダントを身につけていた。
「あれ、先週までしてなかったよな」と目ざとく気づいてしまう女性は、きっと私だけではないだろう。
女性は一般的に、アクセサリーが、更に言うと、ブランドもののジュエリーが好きだ。
高校生の頃、当時人気だったファッション誌に、ある女優さんが自分の腕時計を紹介するコーナーがあった。オブレイというフランスのメーカーの、フェイスがシルバーでハンドメイドのもの、確かもう一つはエルメスのものだった記憶がある。
今も活躍する美しい女優さんのその時計のチョイスは、上品で洗練されていて、その人の雰囲気そのものだった。
「いいなー」
オブレイという名前はその時インプットされ、それ以来、私のあこがれの時計になった。
当時の雑誌の特集で私が好きだったのが、「私のデイリーのジュエリーと時計のお気に入りの組み合わせ」みたいなやつ。
有名人やらブランドのプレスやらスタイリストやらが、自分のコレクションを、これでもかとばかりに見せびらかす、いや、紹介する企画だ。
シルバー系の色で統一したり、ブランドで統一したり、華やかな半貴石のリングを中心に、その他をコーディネートしたり。見ているだけでワクワクする。
同時に目を見張るのはそのお値段だ。
腕時計に数十万から百万円、ネックレス、リング、ブレスレットなど、それぞれが数十万円。そういうコーディネートパターンを複数持っている人というは、一体全体どういう生活をしているのだろうか。
せめて1パターンで良いからいつか、私もこういうコーディネートができる人になりたい。
心からそう願った。
多分これが、私のジュエリー原体験だ。
もちろん、今となれば、更に桁違いの、いわゆる「ハイジュエリー」の世界がある事は知っているが、私のような一般人にとって、この雑誌の世界が、現実世界の夢Maxだった。
そして、少しずつ、それを現実のものにしていった。
就職して最初のボーナスで買ったのは、小さいプラチナのクロスの真ん中に、小さいダイヤが埋め込まれたペンダント。
初めての昇進記念に買ったのが、真珠で有名な国産ブランドの一粒ダイヤのピアス。(水色の小箱で有名な米国ブランドとどっちにするか死ぬほど迷った)
確かこのころ、念願のオブレイの時計も手にいれた。
こうして何年かごとに、私のコレクションに加わっていくジュエリーは、私にとってある種の勲章のようなものだった気がする。
そして、究極が、30代半ばで手にいれた、某ハイジュエリーブランドのペンダントとピアスだ。実はこれ、今朝のニュースでコメンテーターの女性がしていたものと同じものである。
今でも人気のあるモデルで、白蝶貝にベースにクローバーをかたどったデザインが特徴で、石を使っていないのに、すんごいお高い。きっとセレブや、裕福なご婦人が、カジュアルにつけるような種類ものなのだろうが、日本では普通の働く女性に人気がある。
たまたま仕事が絶好調で、多額の営業コミッションを手にした私は、ついにあれに手をだしたのだ。その時の満足感といったらもう。
つらつらと私のつたないジュエリー歴を書いてきた。
20代の女性の方にお訊きしたい。
こういう感覚って理解できるものですか?
私は40代で、就職した時にはバブルは既に崩壊しており、氷河期の入り口世代だ。しかし、高校時代にバブルを反映した、あの雑誌のあの特集を目にしてしまった事が、その後の私の装飾品との付き合い方に多少影響しているような気がしている。
それとも、ジュエリーのような装飾品と、女性の野心のようなものは、年代関係なく、因果関係があるのだろうか。
ちなみに、30代後半で会社員を辞めてから、こういう欲はかなり抑え目になった。
経済的な余裕が無くなったという事もあるが、それ以外にもっとお金をかける事ができたのだ。それが、勉強やら体験する事だった。
モノよりも、コトへ。そこから得られるリターンの方が自分にとって魅力的になった。
そんな当時熱心になったのがFacebookだ。体験したコトについて毎日のようにアップした。リア充って言葉も流行った。
当時は、モノを手に入れる事から卒業したような気持ちでいたが、今思うと、Facebookも一種のファッションであり、「いいね」はアクセサリーだったのかもしれない。
モノよりもコトにお金をかける傾向は、現在進行形だ。
しかし、Facebookはほとんど使わなくなった。もちろんネットワーク作りや情報発信のような手段として有効だが、当時の自分が熱心だったのは、承認欲求に近いものだったのだ。
ちなみに、コロナ禍で、外との接点が激減した私がnoteを始めた事と、Facebookで承認欲求を満たす行為と何が違うのかと問われれば、かぶる部分もありつつ、ちょっと異なるような気もする。
noteは人から読まれる事も当然意識するが、見てほしいのは私の外側ではなく、内側だ。
認めて欲しい事の種類が少しずつ変わってきたのか。
ちなみに、ジュエリーは今でも好きだ。ラグジュアリーブランドのものは、いくつか手放したが、今でも愛用しているものも多い。
ずっと身につけ続けているのは、会社員を辞めてパリに一人旅した時に購入した、小さな蝶々がモチーフの細いリングだ。
これを身につけると、当時の身軽で自由になった気持ちを思い出す事ができる。
新しいものを買う時は、せいぜい数万円のものだ。以前よりも、シンプルなものが好みになったし、イミテーションやノーブランドとかも気にしない。
更に、10年たってもこれを身につけるか、とか、買う前に自分に問いかけたりする。で、色々理由をつけて結局買う。
そう、結局は買う。
理由づけや意味づけは毎回少しずつ変わるけど、結局私はジュエリーが好きなんだと思う。
女性とジュエリーとの関係性とは?
よくわらない。でも、単純に美しく飾りたいという気持ち、他者から羨ましがられたいという気持ち、自分自身を励まそうという気持ち、自分自身を表現したいという気持ち。
その時の自分の状況や環境によって、これらの気持ちの比率が微妙に変化しながら、複雑に絡み合いながら、どれも常に存在しているような気がする。
男性の方とか、ジュエリーに全く興味ない方にとっては、本当に「どうでもいい」話なんだろうけど。
とりのこ
本当は小説が書きたいです。