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不登校は何がつらいのか。


不登校は結局何が問題なのでしょうか。
国(文部科学省)は毎年統計を公表し、それを施策へと反映させています。統計結果は各種ニュースとなり、「不登校〇〇万人」といった見出しで世に発信され、それらを目にすたことはあると思います。

でも、改めて考えれば、何が不登校を不登校問題たらしめているのでしょうか。学校へ行かなくなる子どもが増えれば、義務教育を提供するという責務が果たされなくなりますから、それは一つの問題として言えるでしょう。

しかし、現在では学習塾を利用する子どもの増加しており、単純な教科学習としての「学び」は補完可能であると言えます。

今回は、不登校経験者の視点として、当事者の感じた「つらさ」を言語化してみようと思います。もっとも、一括りで「不登校」として自身を位置付けることには限界があるので(一人一人多様なので)、あくまでも一個人の域を脱しえないと思います。

原体験として

さて、立ち帰るべきは原体験でしょう。つまり根源的な経験としての事象です。ここでは印象的だった体験を取り上げます。

印象的だから今でも覚えているということです。つらいかどうかという視点は、この文章を書いている現時点(当時から見れば未来)からの視点での解釈になります。つまり、俯瞰的に見てつらいということです。

当事者が抱える「つらさ」が多岐にわたることは想像に容易いです。ですが、今回は数年後の視点です。

「雨の日なのに来れて偉いね」

中学校を継続的に休むようになり、1年と数ヶ月が経った時のことです。中学1年生の2学期から全く学校に行かなくなった私は、部屋に引きこもっていました。

そんな引きこもり生活に嫌気が差して、一歩踏み出そうとしていました。

そこでいわゆる教育支援センターへ見学へ行った時、入り口の扉を潜って最初に出会った職人の人に言われた言葉が「雨の日なのに来れて偉いね」でした。

大人になった今考えれば、それは引きこもりから大きな一歩を踏み出した子どもに対して、その頑張りを讃える言葉として理解することができます。自己肯定感を高めるとかそんなような理由も推測できます。

確かに、そのひは雨でした。しかし、当時の私が抱いたのは「そんなこと当たり前じゃないの?」という素朴なものでした。施設を見学するために事前にアポイントをとり、仕事で忙しい母親と一緒に行くのですから、雨が降っていたからといって休む人がいるのかと逆に聞きたくなるくらいです。

冷静に考えれば、何だかよく分からない理由で学校を行っていないのですから、そのことを疑問視すること自体が自己矛盾的です。当然、当時はそんなことまで考えが及んでいません。

さて、この体験は私の中で「不登校のつらさ」の一つとして位置付いています。もう少し深掘りしてみましょう。

この発言は「支援者が当事者に対して既存の不登校像を適応する行為」だったと考えています。事例では当事者=私です。そして、この行為が「不登校のつらさ」の一つであると主張したいのです。

「雨の日なのに来れて偉いね」という発言の背景には、雨の日に来ることができない「不登校」の存在があります。つまり、この発言は当事者(=私)に対し、そうした「既存の不登校像」を適応した結果です。

このように、「既存の不登校像」が適応され、カテゴライズされると、「不登校である自己」の自認は加速し、同時に周囲から適応される「不登校像」を内面化していくと考えられる。

より平易な言葉で表現すれば、「雨の日なのに来れて偉いね」に対して、「自分はそんなことを言われる対象になってしまったのか」という嘆きだろう。

「あなたは無能です」と言われて喜ぶ人は極めて稀であるように、暗に「あなたは支援に値する問題を抱えています」と言われて喜べる人もまた稀であろう。

まとめ

まとめましょう。あくまでも私個人の体験を振り返っていることはご理解ください。

「不登校のつらさ」の一つは、「既存の不登校像」と言えるのではないでしょうか。学校に行かなくなれば、そのような不登校像を適応され、背負っていくことは避け難いのかもしれません。

私が不登校だった時から、すでに5年以上が経過しています。その間に、不登校に対する社会的な認知も少なからず変化していることでしょう。

もはや不登校は全く特別なことではありません。どこの学校にも、どこの学級にいてもおかしくありません。

そして、「なぜ不登校になるのか」という問いに対して、その原因は個人ではなく、そうさせてしまう学校制度や社会的構造に目が向けられています。

しかし、私が経験したような状況が解消されているとは言えないように思います。

付記

上記の内容は、既存の不登校支援体制や、支援員の働きかけ・介入・支援を否定する意図はありません。

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